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滋賀一周ラウンドトレイルができるまで〜プロローグ

滋賀県を囲む山々を、全部つなげて走ったら面白いんじゃないか、と思いついたのは、確か2015年くらいだった。

トレイルランでいろいろな山を巡るうちに、走ったことがあるルートがつながっていく。自宅に近い大文字から比叡山、比良山、朽木の山々・・。そのままつなげていけば、琵琶湖の反対側で、実家に近い鈴鹿山脈につながって、そのままぐるっと回って戻ってこれるんじゃないの。そうしたら、日本でも屈指の名コースになるんじゃないか。

滋賀県には、真ん中に琵琶湖がある。この琵琶湖を取り囲むように、ぐるっと山が連なっている。「この山の内側に降った雨は、琵琶湖に注ぎ、外側に降った雨は、別の県に流れていく」という分水嶺が、ちょうどお盆の縁のようになっている。この「縁」をつなぐと、見事な一周が完成するのだ。

そんなアイデアをぼんやり考えていたが、考えているだけでは始まらないので、まずは京都から三重の実家まで、トレイルをつなげて帰ってみることにした。琵琶湖の南側を約140km、2日間に分けて走った。その様子をブログに書いたら、「雑誌に掲載したい」と『RUN+TRAIL』の鈴木さんから連絡があり、記事になった。それを見た、国内トップランナーの丹羽薫さんが、「春のトレーニングに使いたい」というので、一緒にもう一度同じコースを100km夜通しで走ることになった。

自分でコースを作り、走ってみること。その面白さを知った瞬間だった。誰も行っていないコースを走り、一本の道が見えると、雑誌に載ったり、国内のトップ選手と一緒に走れたりする。思いも寄らないことが起こる。

さらに前に進んでみようと、地図とにらめっこして、滋賀一周トレイルの構想をより具体的に考え始めた。西側には、京都から近い大文字山、比叡山、比良山、高島トレイルがあり、これをうまくつないでいけばきれいなルートが出来上がる。その先には余呉トレイルの区間が待っているが、ここはうまく道がつながっているのかよく分からない。伊吹山の北まで行けば、北縦走路から伊吹山に入り、その後は鈴鹿山脈だ。霊仙岳から油日岳まで、100kmほど縦走するこの区間が後半の山場になるだろう。それを降りると、東海自然歩道を行けば良いだろう。

ヤマレコなどで先人が辿った道の情報をあさり、滋賀一周のコースがパソコン上で出来上がった。2016年2月だった。コースが出来上がったとは言え、余呉トレイルや奥伊吹エリアはどの程度ちゃんと道があるのはよく分からなかった。もうこのあたりは、実際に行ってみないと分からないだろう。

これはなかなかの名コースだと思った。ワクワクする。ワクワクするのは良いけど、それで、どうしたら良いんだ?これは(笑)。

誰かに見せたくなって、トレランや山の経験が豊富で、滋賀に住んでいる後輩の尾崎くんに、「どうこれ?」とコースの地図を送ってみた。そうしたら、「すごいですね!」と返事が返ってきたけど、「一緒に行きましょう!」となるわけでもなく、「いつか行けると面白そうですね」という感じだった。そりゃそうだ。400kmのコースをいきなり見せられても、「すごいですね」以上の反応をするのは難しい。

気軽に「じゃあ今度行ってみましょうか」と言うような距離ではない。アイデアを思いついたのでひとまず夢中でコースを作ってみたが、しばらく滋賀一周のコースは僕のパソコンの中で眠っていた。

滋賀一周をつなぐ

2017年春。長年携わってきた仕事も一区切りし、自由な時間が増えた。友だちが、アメリカのPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)のスルーハイクに挑戦する、という話を聞いて、急に滋賀一周トレイルのことが頭に浮かんできた。

挑戦するなら5月が良い。今なら仕事の調整もつけられる。行くなら今しか無いんじゃないか。よし、行こう。

2017年5月20日、滋賀県を北回りで三重まで縦走する旅に出発した。用意したのは8日間。8日あれば、三重の実家までたどり着けるだろう。

進み始めてみると、1日40kmほど進むのが限界だった。夜も歩けばもう少し進めるが、翌日の準備や回復を考えると、夕方の18時頃には行動が終わるようにしたい。

2日目、朽木から高島トレイルに向かうあたりから、道の無いエリアが始まった。踏み跡のない山の中を、地図を頼りに進み続けた。それでも、高島トレイルはまだ整備されていたが、5日目に余呉トレイルに入ると、道がないどころか、藪こぎの連続。熊に会ったり、状況はどんどん過酷になっていった。服は破れ、靴は壊れ、全身ぼろぼろになっていった。足の痛みも出てきて、「一体自分は何をやっているのだろう?」という思いが頭をよぎった。

こんなことをして一体どうなると言うのだろう。一周つなげたところで、それがどうしたというのか。

疲労が溜まり、天気は雨に。膝が痛く、持っていた装備もボロボロ。気持ちが下を向き、半日休みを取った。

それでも、毎日facebookにその日に通った山を投稿していると、次第に僕が滋賀一周をつなげようとしていることが分かりはじめ、応援してくれる人が出てきた。「どこまで行くんだろう」「頑張れ」。そんな声が、大きな励みになった。

7日目、雨が止み、青空が戻ってきた。横山岳から金糞岳に向かうと、山深さと高度感のある道が待っていた。ここは、滋賀一周の中でも、最も奥深いエリアだ。とにかくここまでやってきた。8日で三重までたどり着くことはできないだろうけど、行けるところまでいこう。

8日目は国見峠をロードで上り、伊吹山を越えた。滋賀県で一番高い山だ。今回はこの山まで。これを降りたら、一旦終わりにしよう。まずは、ここまで来れた。8日間も連続で山を走り続けたのは初めてだったけど、なんとかやってこれた。達成感とともに山を下り、柏原まで走った。

滋賀一周をつなぎたい、という気持ちが途絶えないうちに、その翌週の金曜22時、僕は柏原駅に立っていた。夜通しで最後の区間を走り切るつもりだ。となりにはトレラン仲間の西さんが付き添ってくれた。

夜の県境稜線を進み、鞍掛峠から鈴北岳までたどり着いた。夜が明け、辺りは明るくなっている。ここから西さんは滋賀の家族の元へ。僕は鈴鹿山脈を進んで自分の故郷へ。御池岳、藤原岳、竜ヶ岳と続く絶景の稜線を楽しみ、釈迦ヶ岳へつながる長い尾根を進むと、あとは下りるだけ。羽鳥峰から朝明渓谷に下り、僕の滋賀一周の足跡がつながった。

一体それに、どれくらいの価値があるのかは分からない。もしかしたら、地図の上で僕が歩いたことがある線が一周つながった、というただそれだけの事かもしれない。

それでも良い。とにかく、やろうと思ったことを達成できた。線がつながるだけでもまあ良いじゃないか。僕が知る限り、一周つなげて歩いた人はあまりいないようだし、少しは自慢になるだろう。

小さな満足感を胸に、帰宅の途についた。

大会へ

単なる自己満足が、それだけじゃ収まらない動きになり始めたのは、それからしばらく経ってからだった。

2017年11月、京都の北山で開催された「京北トレイルラン」に参加し、後夜祭に出ていると、大会主催者の成田さんが声をかけてくれて、「滋賀一周を大会にしたい」と話し始めた。

成田さんはパタゴニアの店員さんで、京都店にいた頃にはよくお世話になった方だ。聞けば、僕が滋賀一周している様子をfacebookでずっと見てくれていたらしい。生まれも育ちも滋賀県の成田さんは、そもそも以前から、滋賀一周をつなげて、大会にしたいと思っていたということだった。子供の頃に滋賀で見た、トライアスロンの国際大会が忘れられず、そんな大会をトレランで開催したいという夢を持っていたそうである。

僕が滋賀一周を走ったのを見て、道がつながっていることが分かったし、大会をやるなら今だ、と思ったそうで、「一緒に大会をやりましょう」と声をかけられた。「僕はこれを生涯をかけてでもやりたいと思っています。」とまでおっしゃる。

製造者責任というわけではないが、そこまで言われたら乗るしか無い(笑)。大きなことを新しく立ち上げるのは嫌いではないし、そもそも自分が考えたコースである。もちろん、他にも同じような構想をしていた人はいるだろうけど、自分でちゃんと一周しているし、資格あり、というところだろう。

「分かりました。やりましょう」とその場で答えた。となりには、一緒にレースに出た、同僚の二宮さんや、最初にコースを送った尾崎くんもいて、「一緒にやろうね」とその場で巻き込んだ。

こうして、「滋賀一周ラウンドトレイル」の実現に向けて、最初のチームが出来上がった。

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