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東北が好き 一関が好き

一関地域おこし協力隊に着任して1ケ月がたちました。その間、地域行事、講演会、国際交流、ボランティア、SNSなどを通して、たくさんの人たちとの出会いに恵まれました。知り合いが急激に増え、戸惑いと共に大きな喜びを感じています。


SNSをバカにしていた

私ははっきり言ってSNSというものをなめていました。(というか世間をなめてます)
顔の見えない他人とネット上で交わすやり取りなんて実体がない、面白くもなんともない、そんな暇あったら寝るわ、とバカにしていました。着任時にコーディネータの方から「SNSによる情報発信も大切な業務のうちのひとつです」と説明を受けたときも、内心めんどくさいと思っていました。

ところが投稿を始めると、会ったことのない人とはいえ、一関や周辺地域の住民から温かなダイレクトメッセージが何通も届くようになりびっくりしました。始めたばかりの私が投稿なんてしたって、どうせ身内や近しい間柄の人間が義理で「いいね!」とか押すだけだろうとたかをくくっていましたが、こうして地域の人々から声援をいただくと、やはり大きな励みになります。

SNSのみならず、新聞による効果も大きいようで、これまた意外でした。
ある日近所の旅館で昼食をとったあと、帰り際にロビーで手にとった地方紙に、先月おこなわれた委嘱式の様子が大きな写真付きで掲載されているのを発見し、ぶったまげました。

ちょっと大げさすぎ…

とは思ったものの、やはり地域おこしはこのように地元でも注目されている存在なのだから、少しでもお役に立てるよう頑張らなくてはと心を新たにしました。

その後、地元の公民館や売店にあいさつにうかがった際に「あなた、このあいだ新聞に載ってたよねえ」なんて気さくに話しかけてくれたことが何度かありました。
委嘱式の日、ガッチガチに緊張しながらもちゃんと新聞社の取材を受けておいてよかったようです。

これだけ顔が知れ渡ってしまったら、おもてで悪いことができませんね…

東北弁が心地よい

昔、都会生活を送っていた石川啄木が、懐かしい故郷の訛りを聞きたくて、わざわざ地方へ向かう列車の発着する駅の雑踏まで足を運んだ、なんていう内容の句を残しましたが、その気持ちが都会で生まれ育った私にも少しわかる気がします。

東北弁には他の地方にはない、何とも言えぬ温かみと泥臭さみたいなものがあるように思えてなりません。

例えば近所のホテルで露天風呂に入っていると、地元のお父さんたちのばりばりの東北弁の会話が聞こえてきます。

………何を言っているのかさっぱりわかりません。

もっとそばで聞きたくて、素知らぬふりして会話の方へにじり寄ります。

………やっぱり何を言っているのかわかりません。
がぎぐげご、ざじずぜぞ、だぢづでど… 濁点だらけです。
頭の中で一生懸命翻訳している間に、会話はどんどん先へと進み、置いてけぼりを喰らいました。

それでも聴いているだけで何となく心が和み、思わずにやっと笑ってしまう、言葉の端々からその温かい人柄がじわじわとにじみ出てしまう、それが東北弁の不思議な魅力だと私は思うのです。

結局何を言ってたのかよくわからないまま、お父さんたちは風呂から上がってしまい、ひとり残された私は、そんな会話に混じれない自分を知り、軽い嫉妬を覚えるのでした…

あとがき

協力隊着任から約1か月半がたちました。
冒頭で述べたようにSNSをバカにしていた私が、今やSNSで知り合った地元の人とお会いしたり、一緒に山をのぼるようにまでなりました。人の明日なんて頼りないものです。これはSNSという道具のおかげというよりは、ひとえに私の人徳のなせる業……ではなくて、温かな地元の人たちのおかげだと思うのです。
まだまだ慣れないこと、わからないことばかりで戸惑ってはいますが、地元の人たちの優しさが支えとなっています。

真湯の春の訪れ:カタクリとバイケイソウ(?)


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