ほら貝

擬死再生を積み重ねて、感じる知性を磨く ~ノープランから生まれる価値を体感する②~

2019年3月14日に行われたイベント(「感じる知性」を取り戻そう!~ノープランから生まれる価値を体感する~)の内容、ほぼ原文そのままです。

*イベントの概要

https://kanjiruchise2.peatix.com/

*写真の一部は下記からお借りしていますhttps://www.facebook.com/yamabushido/

○祈りの音は、まっすぐ胸に響く

渡辺清乃(以下渡辺):次に行きましょう。他のテーブルのどなたか、ぜひシェアしていただけないでしょうか。

参加者B:グループというよりも、私の感想なんですけれども、最初にほら貝を吹かれてお祈りを捧げられた時に、私としては結構初めてな光景だったので、会議室でこういうのって。

星野文紘(以下星野):普通あり得ないよ。こんなこと。

参加者B:ちょっと奇異な感じというか違和感があったんですけれども、でも目を閉じたらすごく普通だったというか安心だったんですね。目によって結構自分の感覚が制限されているんじゃないかなというのがありました。ふと同じテーブルの方が「お祈りを聞いてすごく安心感があって泣けてきました」という話もされていました。

渡辺:ありがとうございます。

星野:いいよ、大きい声で泣いても。そういう時は。

渡辺:お祈りいいですよね。

星野:音なんだよ、音。本当に音なんだよ。言葉が違う国へ行っても音なんだよ。だからイスラム教も。

渡辺:モロッコに一行が行かれたのがあって、向こうのイスラム聖職者の方とセッションしたんですね。山伏仲間で。

参加者C:オオツキと申します。モロッコにご一緒させていただいたのは去年の2月なんですけれども、いろいろな村々を訪ねまして、なかなか一見さんが行けないような山奥の村に訪ねさせていただきました。そこでイスラム聖職者の方が4~5人いらしていました。私たちは先達のチームとして、山伏が半分ぐらい、山伏でない人が半分の10人ぐらいでお伺いしたんですけれども、イスラムの方のお祈りを聞かせていただく機会ができまして。
私たちはそのお祈りをずっと静かに聞いていたんですけれども、イスラムの方たちのお祈りが終わった後に山伏の先達が中心になって私たちもお祈りをさせていただいたんです。宗教自体は違うんですけれども、感じるものが似てるというか、向いている方向がすごく似ている気がしました。

 それを言葉で説明するのはとても難しくて、私も東京に帰ってからそのことについてなかなか言葉にまとめきれていないのですが。イスラムの方たちのお祈りの言葉は私たちにはまったく分からないんですけれども、まっすぐになっている感じというのがすごく胸に響いてきて。
 イスラム聖職者の方たちに、「私たちはどう思われるんだろう」と最初はドキドキしていたんですね。一神教の国だし、いきなり山伏が乗り込んでいって全く違う奴がお祈りをするというのはどういうふうに思われるんだろうとドキドキしていたんです。でも、翌日改めて聖職者の方がわざわざ私たちを訪ねてくださって、本当に喜んでくださって、にこやかに記念写真まで撮っていただいたりして、やっぱり通じるんだなってすごく思いました。体験として。

○育った地域の自然環境が生き方を作る

星野:お祈り終わった後、聞いたんだよ。聖職者に。日本では山は神様だけど、こっちでは山は何かと聞いたら、「こっちでは山は神様の授かりものだ」と。山の先に神様がおられる。
 やっぱり、モロッコでは太陽だね。モロッコの自然はあの強い太陽が作っているわけで、モロッコでは「そうか、山の先に神様、太陽だ」一神教ってそういうものだね。それでなるほど、ここは一神教だって分かったんだけれども、日本は自然がいっぱいあると。
 モロッコで山といったって赤茶けて荒涼とした荒野じゃん。ああいうところを3時間も車で引っ張り回されると、本当に気持ち悪くなってしまう。日本は常に自然がいっぱいだから。ところが、モロッコではそれが当たり前なんだろ。それは太陽の授かりもの。だから、モロッコは一神教、太陽に行くんだよ。日本は自然がいっぱいだから、一つひとつみんな神様だよ。だから八百万なんだよ。

 その国や地域の自然環境が、そこに住む人たちの考え方や生き方を作るのよ。人が作っているんじゃない。考え方や生き方はすべてその国や地域の自然環境が作っているんだよ。日本だってそうじゃん。われわれ雪国と南の九州と、考え方や生き方が違うもの。こんな狭い国で。
その地域の環境、季節感、そういうものがすべて、そこに住む人たちの考え方や生き方を決めていく。それがベースになっている。
 ただ今は、全部機械でやっちゃうから、どんどんそれが壊れていくわけだ。地球上のいろいろなそういうものがね。日本も然り。
 長くなった。はい、終わり。

○ビジネスも修行も、擬死再生の過程は不可欠

渡辺:他にどこか。

参加者D:こちらで話していたもののなかで印象的だったのが、スポーツとか競技になると現役と引退とかがあるねという話をして、そうは言っても、現役の選手じゃなくなったら今度は現役のコーチになっていくという話をしていて、その時その時に合ったフィールドを見つけていくことが現役で続けることなのかなみたいな話をしていたんですね。

 その後に、清乃さんがほら貝を吹いたら「うけたもう」という話をされたので、やはりその話からどういうふうに現役で……現役というのは、ご自身が役割を認識されていて、全うされるということだとして、皆さん「どう死にたいか」みたいなすごく明快なイメージを持たれていて、私はあまりそこら辺がなかったんですけれども、皆さんのそういう話を伺いながら現役について考えてみると、じゃあ死はどう迎えるかという話と近いなと、不思議とこの場ではなっているなと付け加えておきます。

参加者E:どう死にたいかというのはちょっと脱線したんですけれども、皆さんこう死にたいとかああ死にたいとか、いろいろおっしゃられて。それを全うするためには、そこまで健康でいて、その上で、その日を迎えるんだということを話していて。やはり健康って大事なんだというのは思いますね。

渡辺:ありがとうございます。
 実は始まる前に先達と「修行って擬死再生の儀だね」って話してました。お山に行って一回死んで戻ってくるというもので、何度でも生まれ変われるし、日本ってお祓いの行事がいっぱいあって、汚れても何度でもきれいに洗えるから大丈夫みたいな。汚れたところですぐ白くなるよみたいな、そんな感じのところがあるなという話をしていて。
 私は普段、里の行ではキャリアコンサルタントをしていて、企業の研修をしたりしているんです。山の行での顔と里の行での顔があるんですよ(笑)。キャリア理論の中にも、転機を迎えて新しい自分に変わっていく時に「小さな死を迎える」という言い方をするんですね。トランジションという理論があって。
先達は理論があまり好きじゃないから、ちょっと聞かないようにしていただいて(笑)。

星野:いいよ。

渡辺:今までの自分のアイデンティティーがある意味崩壊して、死んだような、自分を失ったような戸惑いの時間があって新しい自分になっていく。こういうものを繰り返しながら、人はキャリア積み重ねていくって話があって、まさにそうだなと思うんですよね。
 例えばですけど、いつまでも小学生ではいられないじゃないですか。小学生だった自分が死んで、中学生になるというのもそうだし、子どもを産めば、独身だった自分とか自分だけの人生じゃなくなって、親という新しい人生が始まるときには何かが死んでいくというか、そういうこともあると思うんですが、それは仕事の場面でも全く同じで。
 死ぬということが日常になっていくことが、修行の世界でもビジネスの現場でも普通だよねとなったら、世界の見え方が変わるかな、と思っていて。

 (修行で使用した足袋)

 私は山の行で本当に死にかけて……死にかけたと思っているんですよ。先達から見たら大した事ないよと言われたんですけれども。初めての修行は台風で本当にしんどかったので、このままじゃ死ぬという思いをしたんですが、それがすごくよかったなと。
 それで死ぬというのは日常だねという話をね。

星野:死ぬとか、脱皮するというか。昔の人たちというのは……蛇なんかも脱皮をしたりして、ああいうのをものすごく大事にしたじゃない。

渡辺:脱皮しない蛇は死んじゃいますもんね。

○お祓いは自分を清め、感じる知性を磨く儀式

星野:そうそう。だから常に1年のサイクルも、とにかくお祓い、お祓いなんだよ。
 まず暮れに大祓いして1年間の穢れを祓うだろ。その次は3月3日の雛祭りだ。穢れは人型の紙を流すという。自らをきれいに流す。そういうものが雛祭りだ。うちの山でも人型を流すだろ。穢れが雛祭りの原点だよ、本来はね。だから、3月3日は毎年毎年女の子がお祓いをする。
 5月5日の端午の節句は、うちのほうではショウブとかヨシとか浄化するものを屋根に飾るんだよ。だから家ごとお祓いをすることになる。そして6月30日は夏越の祓えで、半年間のそれを祓うわけだろ。その場もカヤやヨシだろ。カヤもヨシも浄化するものだよ。だから、そこをくぐることできれいに浄化する。
 だから昔から、お祓いは常に自らの穢れを新しくしよう新しくしようとしていく行為なんだよ。そうすることで、自分自身の先に進む一つの大きいエネルギーにしていた。そこには理屈がないじゃん。誰でも分かるじゃん。きれいにお祓いすることで、自分が常に新しい自分に行く。これはものすごいエネルギーだろ。
 そして大和時代に大祓詞(おおはらいことば)というのがある。これが大事なんだよ、大祓詞。それもお祓いしてくれる人が瀬織津姫とか速秋津姫とか、女神さんなんだよ。女神さんが全部祓いをしてくれるんだよ。そこのところなんだよ。
だから今日のお祈りでも瀬織津姫がフッと出ちゃったんだよ。これは結局、最初だからここの場を清めたんだろうね。会議室だから瀬織津姫が出ちゃったんだと思う。

 そんなこんなで、全部祓うんだよ、昔は。だからもう感じたまま。そんなことを理屈で頭で考えたら、どこが綺麗なんだよって。理屈こくやつなんかそこばっかじゃん。
ところが、昔は大真面目だよ、すごく。それが一番の最高の儀式なんだよ。大祓詞が。今でもわれわれは毎朝大祓詞を持っているけどさ。だからそういうことなんじゃないのかな。いま清乃がそういう話をしてくれたけどね。

渡辺:自分が綺麗になっていると、感じる知性も冴える感じってありますよね。

星野:それでいいんだよ。それが大事なんだよ。昔はそのままやってきたんだよ。それにああだこうだ説明はない。今では何でもそれに説明をつける。無駄だ。贅肉だ贅肉。贅肉はいらない、はっきり言って。
 だから俺はFacebookやっているけど、俺が「どうのこうの」って自分が感じたことを書いて出すと、なんか理屈でペラペラペラって書いてよこす奴がいるんだよ。そんなことじゃないんだけどさ。だけどしょうがないから「いいね!」してさ(笑)。「いいね」して、あとは「そうだね」だよ。その通りなんだよ。
 あれ、なんでそうしちゃうんだろうね。こうして言葉をいっぱい持ってきて難しいような言葉をいっぱい持ってきて話をすると、なんかみんな認めてくれると思っているのかな。あれムダだよ。俺からするとこれは邪魔。だからとりあえず「いいね」「そうだね」。俺の「うけたもう」だよ、それ(笑)。

○感じる知性は、日常使いの言葉から滲み出る

星野:だけど、今回のこの動き(編注:「本の企画一緒に考えませんか?会議」)では、それを言葉で表現していただければならない。言葉で表現していくのは、普段使っている日常的に使っている、そういうことで表現していくことが必要なんじゃないかという気がするんだけどね。
 だから俺の場合は全部口伝になっちゃうんだよ。その口伝を清乃がどう文書化するかという。

渡辺:そこ、私?

星野:いま日本能率協会マネジメントセンターで、柏原を中心に、われわれが手のひらに乗っかって遊ばれているわけだけどさ。今日なんか完全に遊ばれているわけだよ。あいつなかなかだよ、やっぱり。能率協会なんか、「柏原、お前が社長になった方がいい」って言っているんだよ。大いに言っているんだよ。こういうのが社長になればいいんだよ。
 そうしているわけだけど、この先がどうなるか。「清乃、お前も北海道へ行って来い」って(編注:このイベント後(2019年4月)北海道で対談イベントを実施。詳しくは記事1回目参照)。そこでまた何の話になるか分からないじゃない。そこでまた新たな何かができあがるかもしれないし。
 それから、鶴岡に「ショウナイホテル スイデンテラス」というホテルがあるんだよ。

★参考 ショウナイホテル スイデンテラス
https://suiden-terrasse.yamagata-design.com/

 そこの向かいにあるホールで4月28あたりにトークショーをするから思い出した(編注:瀬織津姫奉納作品ドキュメンタリー上映会 じねん & Mico Maiさん、星野文紘先達、宮部勝之監督 トークショー)。それこそ庄内平野のど真ん中で、月山の鳥海山が見えるところにホテルがあるんだよ。

 そこを作ったヤマガタデザインという会社の山中大介という社長がまだ30代後半なんだけど、40何億の仕事をしているわけ。俺から見ると、感じる知性が強くなければ、そういうことができない。だからそいつと向こうで対談もするんだけれども。具体的にそういう若い企業人との話も面白いなと思っているんだよ。

(第3回へ続く)

*編集協力 松本沙織

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