淡路島での修行

山伏修行が、「感じる知性」を引き出す~羽黒山伏と考える、答えが出ない「問い」への向き合い方③~

2018年12月12日に行ったイベント(「感じる知性」を取り戻そう! 羽黒山伏と考える、答えが出ない「問い」への向き合い方)の内容、ほぼ原文そのままです。

○女性は、修行をすると美しくなる!?

渡辺:感じる知性というのは、女の人のほうが強いものなんですか?

星野:そうだよ。俺もそれさ、修行して気づいたの。俺が修行を始めたのは45くらいの時。まあ本格的に修行をさせ始めたのは60以降なんだけどさ。

渡辺:皆さんをお連れして?

星野:そうそう。大聖坊(たいしょうぼう)で修行を始めて、まあ最初の頃なんか十何人で入ってくる。そのうち、女性が「入っていいですか?」「ああ、女性も入っていい」と何の意味もなく女の人達もどんどん入れたの。だけども、修行に来るのなんか、やっぱり変わった女性たちだから。まあ、それがいいんだけどね。俺からすると、その「変わった」ところというのが「感じる知性」で、興味を示すんだ。

渡辺:最初の頃、どういう方々がいらしてたんですか?。近所の女性ですか?

星野:いやいや、やっぱり遠くから来てる。だけども、情報が昔は今みたいにいかなかった。大体10人そこらだよ。そのうち(女性は)2~3人。まあ何年かしているうちに、修行が終わると女性達、イキイキとして帰るな、と気づいた。女の人達は皆イキイキと美しく帰るんだよ。すっぴんで行をしているんだよ。それが皆テラテラして帰っちゃう。

渡辺:テラテラ(笑)。違うテラテラじゃないですか? 大丈夫ですか?(笑)

星野:要するに、なんか内に持っているものを引き出された感じかな、良い言葉言ったね、今。

渡辺:(笑)。大体見た目は泥だらけになりますけどね。

星野:そうそう。だから、「あれ? これなんだろう?」と思ったんだよ。そして、俺も後で考えて整理してみた。山伏修行というのは、結局山をほっつき歩いたり、川を裸足で歩いて滝に入ったりだろう?これ野性性そのものじゃない。野性性そのもの。山伏修行は野性性そのものをやっているんだよ。特に女性達大変そうなんだけれども、修行中は。

(写真:修行後の地下足袋。新品だったものがドロドロに…)

渡辺:死にそうですよね。

星野:うん、死にゃあしないから心配ない。

渡辺:本当に死にそうですよね。私、毎回死にそうだと思うんですけど。

星野:だけども、お前だってイキイキと、より美しく帰るじゃない。

渡辺:ありがとうございます。

星野:お前、俺にこれを言わせたかったの?

渡辺:はい(笑)。いつ言ってくれるかな?と思っていたんですけど。はい、ありがとうございます。

○「見えないもの」を「見る」、「感じる」

星野:話、ちょっと余談だけどさ。こいつ(渡辺)なんかね、去年修行したんだよ。そして月山に行ってね、月山の頂上に行くまでにダメな人は帰したりして。それで頂上行ったらね、「先達、私、今、死にそうです。湯殿山に行けません」と言うの。

渡辺:「うけたもう」しか言っちゃいけないのに、めちゃくちゃ喋って(笑)。もう「うけたもえない!」と思って、もういろいろ言ったんですけど。

星野:ところがね、こいつはね、「死にそうだ」と言いながら顔はニコニコしてるの。だから、「おう、お前行ける。お前、湯殿山行けるよ、大丈夫」って一番前に来させた。つらそうだけど、ちゃんと行けたろう?だから、その辺の見えないところを見抜く、見抜いちゃう。ダメな人は帰したろう?

渡辺:そうですね。

星野:だから、お前の場合は行ける、と。そらあ行けるよ、大丈夫。と、まあ、それで行った。

渡辺:本当に大変だったんです。これ(画面の映像)、月山という話題になっている山で、高さは2500くらいでした?

星野:月山は1984。まあ2000くらい。

渡辺:2000くらいですね。まあ、何もないんですよね。それで行った時、すごい台風が来ていて、風も雨もすごかったので、もう本当に死ぬかと思って、それでうけたもえなくなって言ったんですけど、「顔を見てりゃ分かる」と言われて。「お前は顔見てりゃ分かる。お前は行ける。顔を見りゃ分かる」みたいなことを言われて、「顔で分かるのかな?」というのがすごくあったんですけど、でも感じてくださったということですよね。

星野:うん。そうしたら、こいつなんかね、今年になってから5月の淡路島の修行に行きたい、と。そして終いには9月の神子修行して山伏になっちゃった。だから多分俺があの時お前のね、月山、「そうか、お前帰ってもいいよ」と言ったらここに居ないよ。

渡辺:そうですね。

(神子修行での様子)

星野:そういうことなの。それを見抜く、「お前、行ける」と。

渡辺:それは感じるんですか?

星野:そうだな、何も考えていない。その時、即座に出る。だから、そういうことじゃない?

渡辺:今回参加の皆さんに「何か質問ありますか?」ということでアンケートを取らせていただいた中で、「考えることの限界をすごく感じています」という、まあ仕事の現場で、ということと、でも「感じる」と「考える」の違いがそもそもちょっとよく分からないな、だったりとか、感じたことが仕事の現場ではやっぱり通らない、「感じたからです!」とか言っても却下されちゃう、みたいな。

星野:男社会。

渡辺:そうですね。その辺りのことを「感じる」と「考える」の違いとか、「感じる知性」ってなにか、というのをもう少し教えていただきたいです。

○「感じる知性」「考える知性」と意識、無意識

星野:だからね、「感じる知性」というのはね、無意識なんだよ。無意識。「考える知性」というのは意識。無意識の世界だから、それは言葉として表現できないこと。突き詰めて言えば、その無意識の「感じる知性」というのはその人の魂だと思う。俺なりに置き換えるとね。
ところが、今、「私はこう感じているんです」と言うけれども、それがやっぱり考える癖がついているから、「考える」ことが「感じる」と勘違いしている人がものすごく多い。

俺、Facebookもやっていて、今、4千人くらいと繋がっているんだけどさ。修行にもいっぱい来てるよ。そういう人達のFacebookでいろんなのを見せられるんだけども、そうすると、「私は先達の言うように『感じる』ということを大事にして、そこをキーにしてやっているんです」と言いながら、ものすごくいろんなことを書いているわけ。だから、どうも考えていることを「感じる」と勘違いしている部分がかなりあるような気がするの。
感じるということは結局、無意識の状態。無意識の状態の時にポッと出たこと、究極は感じることなんだよね。
だけども、まあ山に入って気持ちいい、と。そういうことというのはまさに感じることなんだけど、だから「感じる」という一番共通の言葉として「気持ちいい」なんだね。「感じる」ということの突き詰めたところは、なんか「気持ちいい」という。そこが一番分かりやすいというところだね。

渡辺:気持ちいい感じの時にその無意識と一体になっている、と。

星野:そう。その時にフッと浮かんできたこと、それが自分の「感じる」じゃないかと思う。

(第4回へ続く (仮)「言葉にならないこと」を言葉にするという矛盾にどう立ち向かうか)


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