見出し画像

【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】鉛のような銀-偉業前夜-

はじめに

2019年2月、「第16回大喜利天下一武道会」の本戦が開催された。2014年に第15回が行われ、その後活動休止に入るも、主催団体の変更と共に復活が発表された、大喜利天下一武道会、通称・天下一。誰でも出場できるフリップを使った大喜利の大会では、日本最大の規模を誇っている。

東京と大阪で行われた予選に参加したのは、総勢242名。そこに前回大会の上位4名をシードとして加えた246名の中から一人の王者を決める、熾烈な戦いである。

第16回で優勝したのは、それまでは天下一の本戦進出経験が無かったものの、準決勝では100票を超えるポイントを獲得し、FINALラウンドでもペースを乱さず面白い回答を出し続けた、鉛のような銀である。

鉛のような銀は、かつて大阪で開催されていた、一日に100人近い人数の出場者が競い合う「大喜利鴨川杯」という大会でも優勝経験のある、輝かしい経歴の持ち主だ。大きく体ごと動いたり、声色を変えたりする、次にどんな回答が飛び出してくるか予測不可能なプレイスタイルは、見る者を圧倒させる力がある。

今回彼に取材を敢行したのは、第17回大喜利天下一武道会本戦のおよそ一週間前。彼が前回王者としての出場を控えた状態であった。ちなみに、準決勝でどの予選通過者と当たるかは、取材時にはわかっていた。

これまでの経歴や、彼自身が凄いと思っているプレイヤー。そして何より、天下一に対する思いを聴きたかった。果たして彼は、大きなプレッシャーを感じているのか、それとも連覇を狙っているのか。その答えを探るべく、私はDiscordを繋いだ。

2023年1月21日18時、インタビュー開始。

ネット大喜利からの生大喜利デビュー

挨拶を交わし、録音を開始する。私が彼の姿を実際に見たのは、去年4月の「EOT第8章」以来である。私も大喜利歴だけで言うと中堅の域に達してしまったが、鉛のような銀とはほとんど交流がないままここまで来てしまった。緊張もしていたが、このインタビューシリーズを知ってくれていることがわかり、少し安堵する。

彼が大喜利を実際に行ったのは、2010年の頃。当時高校生だった彼は、3分間で一答して、3分間で投票して、順位が出る大喜利サイトの元祖である「大喜利PHP」をやっていた。サイトの存在自体は、ネットの掲示板を通じて、中学を卒業する頃から知っており、投稿もしたことはあるが、当初はあまり興味を持てなかった。

風向きが変わったのは、高校2年生の時。

「(クラスメイト相手に)自分がひたすらギャグをやっていて、なんとか輪に入れるように。そこで、かなりギャグにダメ出しをする方がいらっしゃいまして、同級生に。『面白くないんじゃないか』みたいなことを(言われて)。じゃあネット大喜利やってやるわっていう風にやり始めて。それで、同級生どうでもよくなるくらいハマってしまったっていうのはあります」

あまり聞いたことのない経緯だが、事実である。ちなみに、「ハマってしまった」と話していたが、詳しく掘り下げてみると、実情は違っていた。

「全然ウケなかったんですよ。最初どころか多分今に至るまでずっとウケてないんですけど。ムキになったっていう感情の方が近いです。『なんじゃこれ(語気強め)』みたいな」

逆に言うと、ムキになるほど夢中になったということなのだろうか。

実際にボードとペンを使う生大喜利に触れたのは、2012年。当時大阪在住だった店長が、東京で大喜利会を開く機会があった。「さすがに気が引ける」と思った彼は、会には参加しなかったが、大喜利会の後の食事の場で、店長や家臣といった面々と実際に会って話すことになった。ちなみに鉛のような銀と店長は、大喜利PHPを始めた時期が近い。

店長がかつて主催を務めていた、鴨川杯は当時から存在していた。後日大会の動画を観たが、期待しすぎていたのか、少なくとも「とても面白い!」という感情は抱かなかった。せっかくボードとペンがあって、声が出せるのだから、もっと新しいことが出来るはずなのに、そう思ってしまった。その中でも、ケンドーアラシやぼく脳といった面々の大喜利は、興味深いものとして印象に残った。

その後、自分も生大喜利をやってみたいと思った彼は、後にEOTの主催を務めるoが、自身の通っていた大学で開催した大喜利イベントに参加する。「普通の大学生とかが出るんだったらさすがに勝てるだろ」と思って参加したが、ふたを開けてみたら、虎猫、六角電波、冬の鬼、家臣といった強豪たちも参加しており、当人が今振り返っても「最悪」の2文字しか出てこない状況だった。

「これダメだろうなと思ってたんですけど、1回戦は通過出来て。こんだけ凄そうな人たちの中でやれるんだったら面白いかもなって思ってやり始めたのがきっかけですね」

印象的なイベント

そこから生大喜利にのめり込んだ彼は、様々な大喜利イベントに参加する。多くの大会でインパクトを残し、好成績を残してきたが、自分が「勝てる人」であることを意識するようになった、ターニングポイントのような大会がある。2016年1月に六角電波主催で開催された「東京地獄大喜利~明~」だ。

元々は、現在ネット大喜利を中心に活動する、「わからない」が福岡で主催していた「福岡地獄大喜利」を、六角電波がルールを借りる形で開催したのが本大会。毎試合3人の審査員が、回答が出るごとに点数を付けるというのが、大まかなルールである。

「地獄大喜利の前までは、とにかく答えたいと。ネット大喜利って1問のお題で1答とか2答しか出来ないけど、生大喜利だと何答も出来るっていうのが凄い楽しくて。で、個人的に2016年とか2017年っていうのはすごい多忙だったんですよ。その時期に、思考にブレーキをかけられるようになったというか」

今までは、とにかく数を出すことを楽しんでいた彼は、思いついた回答をそのまま出すのではなく、少し練ることを視野に入れ始めた。それを初めて試した場が、東京地獄大喜利だった。

地獄大喜利のルールは、基本的に「1問6分」。他の大会より少し長めの時間でお題に向き合えるルールも相まって、「じっくり考える」戦略がハマった。

「自分で意識して、勝てるようになったっていうのがここですね」

第16回大喜利天下一武道会

鉛のような銀は前述の通り、誰でも出場可能な大喜利大会の中でも、国内最大規模を誇る「大喜利天下一武道会」の第16回で優勝している。初めて出たのは第14回。そこでは予選敗退で、次の第15回も本戦には上がれなかったが、第16回で初の本選進出。そのままの勢いで優勝までしてしまう。第17回への出場を控えた状態で、今さらながら第16回を振り返ってもらった。

天下一の予選は、1stステージと2ndステージ、要するに1回戦と2回戦がある。ブロックの中で2位以内に入れば、上のステージに進める。過去2回の彼の成績は予選敗退となっているものの、いずれも1回戦は勝てていた。しかし。

「両方とも、予選の2回戦は、箸にも棒にも掛からずみたいな感じでした」

第16回の予選前は、あれこれ余計なことを考えず、「お題が出たらなるようになれ」というモチベーションでいた。何が起こるか、誰が通るかわからないのが天下一。そう思っていた。

「絶対いくぞっていうのも無かったし。まあ、1回戦で負けたらどうしようっていうのはありましたけど」

結果的に、1回戦も2回戦も突破するのだが、1回戦の時から、ケイダッシュステージ所属のプロの芸人である、サツマカワRPGが同ブロックにいた。「誰でも出られる」という謳い文句に影響されるのは、何もアマチュアのプレイヤーだけではないのだ。

「1回戦はサツマカワさんは私服だったんですけど、2回戦で舞台衣装になって。本当にプロのウケ方をしていて。『やめてよ』って思ったんですけど。『いい加減にしてくれよ』って思って。それでもなんとか、サツマカワさん1位で自分が2位で通過出来たって感じです」

爆笑を取り続けるサツマカワRPGの真横で、なりふり構わず回答を繰り出し続けた。周りを気にする冷静さがあったら通過出来ていなかったとは本人の弁だ。

本戦準決勝。鉛のような銀はEブロックに組み込まれる。ヘリウム、ぺるとも、デッドエンドサーカス(妙子のリザーバー)、カシス、家臣といったメンツと戦うことになった。いずれも予選を勝ち抜いているだけあって、厳しい戦いが予測されるが、本人はどう思っていたのか。

「全員の個性が立ちすぎていたんで。誰が通過してもおかしくない、それなら俺が通過してもおかしくないっていう感じでした。確率等しいなくらい。あそこまで全員が凄すぎたら逆に気になんなかったですね」

Eブロックの1問目は「勝手に何かを実況しているYouTuberと、それに怒っている人の会話」というお題だった。一人二役を演じることが要求されるお題で、(厳密に言うと、忠実に一人二役を演じた方がウケやすいお題)彼は毎回答爆笑を獲ることに成功する。二問目の画像お題でも、誰も予測できない回答を繰り出し、それでいて観客を突き放すことなく、会場を味方につけていた。

「本当にいいお題に当たっただけだよなって感じで。(1問目は)とにかく色んな動きもやろうと思えば出来るし。『これでこんなウケる⁉』みたいな。その時はいつもと同じことやってる感覚だったんですけど、ありえんくらいウケるみたいな。」

後から振り返ると、「緊張感のある大会でいつものように変なことやってるから落差でウケた」と分析できるが、お題に挑んでいる最中は、なぜいつも以上にウケているのか分からなかった。ただ、間違いなくチョウシが良い日だったのは間違いなかった。

3問ウケ続けて、観客による投票で106票を獲得し、ぶっちぎりで最終決戦へと駒を進めた鉛のような銀。最後の6人に絞られた状態で、不思議とプレッシャーを感じることはなかった。考えていたことと言えば「4位以内に入って次回のシード権を得られたら」くらいだった。

途中まで、準決勝と同様に自然体で突き進んでいた彼だったが、3問目で急にピンチが訪れる。

「『オーケストラのこの楽器を担当する人の職業病』みたいなお題で、シンバルしか思い浮かばなくて、シンバルを使おうとしたら鞘さんが先に使ってて。『ああもうダメだ』って思ったんですけど、さすがにこの場でダメだって投げるのは無しだろと思ったんで。最後のお題ですし。興行なわけじゃないですか大会とはいえ。色んな人が見に来てて。降りるのはさすがに色んな人に申し訳ないと思って、『申し訳ない』が勝って、頭がかなり回りました」

これまで感覚でお題に挑んでいたが、一瞬ブレーキがかかってしまう。「生大喜利でまともに考えたのは最初で最後」だったと語る。そんなことを考えナガラ、最後まで頭をフル回転させた。「やべえどうしよう」という焦りの感情が、奇跡的に上手い具合に働いたのだ。

全てのお題と、集計が終わる。6位から順に発表されていき、最後は鉛のような銀と店長のどちらかが優勝、という状況になった。

「自分が優勝するとは思ってなかったんで…。『もういいよ、もういいよ』と思ってる中で他の人たちの点数がめくれていって、最後二人になって。これあんま言うと怒られますけど『店長さん優勝してくれ』って思っちゃったんですよ。『荷が重すぎる』って思って。今考えたら相当贅沢な話ですけど」

二人の票数が同時に発表される。店長39票、鉛のような銀68票。16代目王者という栄冠は、鉛のような銀に贈られた。その瞬間、彼は頭が真っ白になり、「コメントどうしよう」という言葉しか出てこなくなってしまった。

「今までコメントで上手くいったことが一つも無かったので。面白いこととかは何も言えないんで、『あきらめないでやれたのが良かったと思います』っていう月並みのコメントをとりあえず言うしか無かったです」

回答の考え方

「今までも、回答をどうやって考えているんですかみたいなこと聞かれること結構あって。そのたびに要素を拾って…みたいなことを言ってたんですけど。自分なりに言語化しないといけないのかなって思ってたんですけど、無理ですね。考えてないです、ほとんど感覚ですね」

天下一の話の流れから、どうやって回答を考えているのかという話題に偶然たどり着いた。「言語化が苦手」だという鉛のような銀は、感覚で大喜利に答えている。だからこそ思いもよらないフレーズや固有名詞が、当たり前のように飛び出してくる。体を大きく動かすのも、流行りの曲を歌うのも、「面白い印象を与えられるのでは」という思考から導き出されたものだ。

「たとえば、沢山のボールが入っている箱があるとします。その中から、ボールを一個取り出します。で、そのボールがどれだけ形が良いかっていうのを鑑定してもらうみたいな、そういう感覚ですね。色んなボールを順繰り順繰り出していくっていう」

さらに掘り下げると、2019年頃まで、「脳が勝手に面白いことを考えてくれている」という感覚だったらしい。オチである最後のセリフなどがパッと浮かんで、それに肉付けをする作業すら簡単に感じていたという。

私自身がひらめきから生まれる突拍子の無さで戦えない分、彼の戦法は羨ましく映った。しかし、「自分はボールを作る所から始めますけど」というような言葉を投げかけると、彼は「果たして自分は本当にパッと思いついているのか、実はちゃんと理論に基づいて考えているのか」と、急に迷い始めた。

数十分この話題で考えを巡らせてみたものの、結局答えは出なかったので、次の質問に行くことにする。ちなみに、「たまに他人の回答そのまま出していますけど、他人の箱からボールを出している時ないですか?」とは、怖くて訊けなかった。

この人に驚いた

ここからは、鉛のような銀が面白い、凄いと思ったプレイヤーについて書いていく。そのプレイヤーの凄さについて、言語化してくれるか若干不安だったが、それぞれに違ったベクトルのリスペクトが感じられる、素晴らしいコメントをくれた。3人いるとのことなので、一人ずつ掘り下げていく。

一人目は、本記事でたびたび名前が出ている家臣。前述した、鉛のような銀が最初に参加した学園祭での大喜利イベントで、初めて大喜利をしている姿を見た。

その時家臣は、「体育祭カルタの『ほ』」というお題に当たっていた。原則「ほ」から始まる回答を出さなければならない縛りのお題に対して、家臣は「激ムズカシス!」と答えていた。

「これだけは本当に自分の原点というか。『俺はこれがやりたい!』って思ったんですよ。『こういうことがやりたい』と。家臣さんってやっぱり大喜利強いのもあるんですけど、『楽しませたい』っていうのが…。家臣さん自身のアイディアと、楽しませたいっていう思いが噛み合っているのが凄い良いなっていうか羨ましいと思います」

二人目は、芸人・パフォーマーであるぼく脳。SNSなどで、独創的な作品を日々発表している。鉛のような銀は、生大喜利を始める直前の時期、店長に勧められて観た鴨川杯の動画で見た、ぼく脳の大喜利に衝撃を受けることになる。

「『この会場に強盗が入ってきました!どうしましょう?』っていうお題が出て。ぼく脳さんが『僕は魔法使いだから、ティン!アシカに変えちゃう!』っていう回答出してて。こんな崩して良いんだ、こんなにふざけて良いんだって思ったんですよ」

それまでネット大喜利では味わえなかった、生大喜利の「自由」な部分を、直に教えてくれた人物である。

三人目は、見る目なし。過去のインタビューでは、六角電波が驚いたプレイヤーの一人として名前が挙がっていた。なかなか生大喜利の場に現れることがない見る目なしだが、出たイベントでは確実にインパクトを残しているベテランだ。彼は、見る目なしが一番直近で参加した、2022年11月に開催された「真大喜利文化杯」でのエピソードを話してくれた。

「一答目で、普通に回答したんですけど、ボードの下の方に、格闘ゲームのゲージみたいなものが書いてあって。それがちょっと左の部分が黒く塗ってあるみたいな。回答した後に『それとは別に、倉橋ヨエコゲージが溜まっております!』って言ってて。なんだこれは?ってなって。その後も回答するごとに、普通に回答はするんですけど、倉橋ヨエコゲージが溜まってるんですよ。書き足していってるんですよ。最後の回答で『倉橋ヨエコゲージが溜まりました!』って言って、倉橋ヨエコの曲を熱唱するっていう。一連の流れで面白いことをしようとしてるっていう。令和に良いもの見たな、令和でもまだこんなこと出来るんだと思って」

それに刺激を受けた彼は、敗者復活戦で、勝手にお題を変えてそのお題に答えるという行動を取り、ただ見る者を戸惑わせて終わってしまった。

「なんか出来ないかって思っちゃってっていう感じでした」

今後の展望

最後の質問。今後どのように大喜利に取り組んでいきたいか、どんなことをしていきたいかを尋ねたわけだが、鉛のような銀は「こうナリタい」のような展望は「全くない」とのこと。

「何か貢献出来ないかっていうのを考えると苦しくなってしまう」とまで言い放つ彼は、「他の誰かのために」「界隈のために」と、何か行動に移すのは、難しいと自己分析している。ちなみに、数年前は周りのことも考えていたが、変わっていく環境や、大会での経験が、彼をソウサせてしまったらしい。

「趣味でやってるだけなので。やりたい時にやるっていう感じですかね。あとは、怖がられないようにする。展望はないですけど、怖がられないようにするっていう」

今回、90分間しっかり話して、彼は全く怖い人間ではないということを知れたので、この記事が「怖がられないようにする」という目標に貢献できることを祈るばかりである。

連覇達成

2023年01月29日、第17回大喜利天下一武道会の本戦が行われた。数年ぶりに本戦に返り咲いたベテランや、大会自体が初出場でありながら本戦進出を決めたルーキー、常連組やシード組などが、それぞれの意地と持ち味で戦う。

準決勝で敗退したが、印象に残る回答を繰り出した者、100票を超える票数を獲得し、FINALラウンドへと進んだ者など、数々の名場面、名試合が生まれる中、優勝したのは、前回大会同様、鉛のような銀だった。これには主催のRed、司会の橋本も、驚くしかなかった。

彼は、年が明けてからチョウセイのために生大喜利の会に参加するなどの行動を取っていなかった。2023年初生大喜利の場が天下一だったのだ。

連覇後の彼とは、残念ながら特に言葉を交わせていない。では、連覇するなど露ほども思っていない大会数日前の彼が、この取材の中でどのような意気込みを語っていたのかは、記録に残しておきたい。これが、彼の本心である。

「配信あると思うんですけど、(同じブロックの)冬の鬼さんのファンの人が、悪い気分にならないように、頑張りたいなと。冬の鬼さんのファンの人が気を悪くしないように。『隣のこいつはなんだ』ってならないように。その後ですね、勝ち抜けるか勝ち抜けないかは。いやでもこのルールで連覇するって相当恐ろしいことですよ」


ここから先は

0字

¥ 300

記事を読んで頂き、ありがとうございます。サポートして頂けるとさらに喜びます。