【大喜利】距離感と熱量と参加回数

この記事は、皆さんと比べて生大喜利が出来る回数が圧倒的に少ない私がふと思ったことが大半なので、読んでも真剣に受け止めずに、出来たら「そういう考えもあるのかな」程度に思ってください。

昨年末、多くの大喜利プレイヤーが、noteに2023年の大喜利の振り返りを書いていました。読んでみると、まとめ方も人によって様々で、ざっくりと振り返っている人もいれば、参加した大喜利会を全部まとめている人もいて、それぞれの違いが見えて面白かったです。

参加した会を全部まとめている人の記事を読んでみると、まず「凄い数参加している!」が先に来ました。それだけ毎週のように大会及び大喜利会があるということなんだと思います。

ただ、会が多数あることだけが参加回数が多い要因ではなくて、単純に「大喜利をしたい!」という熱量が、個人どころか界隈全体で上がっているようで、それが「凄い数参加している!」に繋がるのかなと思いました。

前提として、趣味に夢中になれるのは良いことだし、「真剣に取り組みたい」「続けたい」と思えるのは大事なことです。ただ、「大喜利との距離感」を見誤ると、大会で負けた時に物凄く悔しくなったり、落ち込んだりすることもあるのかなと感じます。

「大喜利との距離感」とは何かと説明するならば、「取り組み方」「挑み方」だと思います。

私は昨年7月、大阪で行われた大規模な団体戦「戦2023・大喜利団体対抗戦」で、手汗さんと本塁MAXさんと組んで優勝しました。戦は一度延期になって、ようやく復活したという流れがあったので、この時の私の心情としては「このチームで大喜利出来る。それだけで充分」という気持ちでした。これが「絶対優勝してやるぞ!」という気持ちで挑んでいたら、優勝は無かったかもしれません。

もちろん、皆さんが2023年に参加した大喜利会が、全て真剣勝負の場ではないことはなんとなく分かります。ただ、たまには肩の力を抜いて大喜利に挑んだり、時には全く別のことに夢中になっても良いかもしれないというのが私の感想です。「たくさんの趣味の中の一個に大喜利がある」と、時々言われる地方在住の私だからこそ言えることなのかもしれませんが、本当にそう思います。「上を目指すな」ということではなく、「上を目指す方法は、あらゆる場を毎回真剣にこなすことだけではない」ことが言いたいのです。

長々と語ってきましたが、ようやく言いたかったことが言えました。

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