【大喜利】「大喜利への興味関心」について考える

数日前にこのポストを見て「大喜利への興味関心」について記事を書けるなと思ったので、東堂さんの許可を得て書いています。

「大喜利への興味関心」について考えた時に、まず「大喜利との関わり方」が、大きく分けて3つあると思いました。その3つというのが

①大喜利を行う場に参加して、お題に答える
②大喜利を行う場を作る
③自分は答えずに、他人の大喜利を見る

です。
ひとつずつ掘り下げていきます。

まず①の「大喜利を行う場に参加して、お題に答える」ですが、「大喜利を行う場」というのは、生大喜利だと会議室での小さな大喜利会から、ホールで行われるような大規模な大会、生大喜利以外だと、スプレッドシート大喜利やネット大喜利のサイトなどがあります。

ひとまず、生大喜利にのみ焦点を当てて考えます。生大喜利には、勝敗があるものと無いものの2種類があります。勝敗があるものに参加する場合、「自分はこの大会のルールでどこまで勝ち進めるだろうか」「優勝できるだろうか」のように、興味関心の話題だけに絞ると「自分の実力への興味関心」が重要になってくるように思います。

他に生大喜利の大会に対して、興味関心を持つとするならば「誰が優勝するんだろう」「どんなお題が出るんだろう」といったものが挙げられるでしょうか。こちらの方が、”大喜利への”興味関心に意味が近いと思います。いずれも「自分以外の大喜利をする人の実力」「大会」に対しての興味関心なので、「自分の大喜利への興味関心」とは少し異なります。

逆に、勝敗が無い大喜利をする会であれば、私の感覚ですが、大会よりも「今日の自分はウケるかな?」という自分の大喜利への興味関心は減って、他の参加者の回答や、企画内容に興味が湧きます。まあ、ウケるに越したことはないのですが。

そう考えると、「勝敗のある大喜利の場」に出る時は「大喜利への興味関心」が少ないことは、別に変なことではなくて、「勝敗の無い大喜利の場」に参加する時の方が、興味関心で溢れていることになるのではないでしょうか。

次に②の「大喜利を行う場を作る」についてです。わかりやすく言うと、大喜利会の主催ですね。こちらもコンセプトのある企画会から、大会まで幅広いです。まだまだ遊べる余地はあると思っています。

あくまで私の見解ですが、企画性の強い会や、招待制の大会になると、「この企画を実行してどうなるか見たい」「このメンツでの本気の戦いが見たい」といった具合に、「大喜利への興味関心」が、主催の原動力となっている場合が多いのではないでしょうか。

ただ単純にお題をこなしていく、いわゆる車座の会でも「このお題を出してどんな答えが出るか見たい」「お題を出した時の反応が気になる」のように、興味関心が湧いてくるものだと思うので、会に企画性が無いからといって、「大喜利への興味関心」が無いとは限りません。

最後に、③の「自分は答えずに、他人の大喜利を見る」について考えます。

大喜利を見るといっても、「会の観覧に行く」「大喜利の動画を観る」「大喜利がフィーチャーされているテレビ番組を観る」など、様々な形態があります。動画に関しては、有料と無料の違いもあります。

個人的に、大喜利会、特に大会に参加している間は、他人の大喜利を見る時間の方が長い場合が多いので、会に参加すれば、「他人の大喜利を見たい」という欲は、自動的に満たされるはずです。よって、自宅でも「大喜利の動画を観る」習慣がある人は、「大喜利への興味関心」がかなり高いのではないでしょうか。

話は少し逸れますが、自分の大喜利が動画になることに関しては、その時のウケに関係なく、自分を知ってもらえるという意味で、かなり有難いことだと思っています。また、地方に住んでいる身からしたら、動画で最近のお題の傾向や、会の雰囲気を知れるという意味でも、大喜利の動画がYouTubeで観られるというのは、恵まれているなあと思います。実際、先日の「ONLY ONE」という大会に出る前は、主催の六角電波さんの大会の動画をかなり拝見しました。

話を戻します。大喜利の動画を観るのは、大喜利への興味関心の強さの証でもあると私は思います。

以上が、「大喜利への興味関心」について、私なりに考えた文章です。ちなみに、4つ目の大喜利への関わり方として、「大喜利についての文章を書く」ことも思いついてはいたのですが、これはあくまで自分のためであったり、その文章に関わった人物のための動きでもあるなと考えて、興味関心とはまた違う領域にあるのかなと思いました。

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