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考え・意見を述べるということ

ご無沙汰しております。

今回は私が前から考えていたことを書きたいと思います。

多くの人は自分の考えや意見を述べることに苦手意識をもっていたり抵抗感をもっていたりしています。

とある事柄について、まずは現時点で自分が思っていることや考えていることを表明するというよりも、他の誰がどう考えているかを先に考える傾向にあります。

私はそういうことに疑問をもっているというか、どうなんだろうと思うことがしばしばこれまでありました。


事実と意見というものがあります。

これは、反証可能性として考えたとき、事実は反証することができますが意見を反証することはほぼできないのではないでしょうか。

どういうことかというと、事実でないことを事実であるかのように言うことに対して、それは検証して事実、実態を探ることができます。一方の意見というものは、基本的には個人の考えや気持ちであるため、正解か誤りかを検証することは難しいと思います。一部例外はあるかもしれませんが、基本的には他者の意見に対して、「間違っている」と発言すること自体が誤りなわけです。

この事実と意見に対して多くの場合で混同されているように感じます。

あくまで事実をもとに発言していても、それを個人の意見だととらえられ、「その発言は間違っている」ということが実際にもこれまで多々ありました。

また、個人としての意見、考え、主張というものに対して、「何を言っているか」ということよりも「誰が言っているか」のほうに目が向きやすい傾向でもあります。

また、とある発言に対して、それぞれの立場でのとらえ方の違いといいますか、抽象度の違いがあるように思います。

その発言の抽象度が、発言者と周りの人とで大きなギャップが発生する場合も多々あります。

たとえば、顧客満足度を上げるという命題に対して、この顧客満足という言葉の意味というかとらえ方の抽象度によってまったく違ったものになってしまいます。

それは、顧客満足をあくまで企業としての理念・ポリシーとして、または従業員としての倫理・規範として考えたとき、できることとできないこと、実現性が課題になってくるかと思います。そういう意味で、顧客満足をどのように獲得するかという手段のところで意見をのべることに躊躇してしまうことがあるかもしれません。

しかし、顧客満足をもう少し抽象度を上げて考えてみると、企業の理念やポリシーというものよりももっと大事なこととして、顧客にとってどうなのかという視点で考えると前者よりも抽象度は上がっていると思います。

それは、主観と客観の違いでしょうか。

主観は自分の立場に立った視点ですから自分がどうしたいかということになり、客観は相手の立場に立った視点ですから相手がどう思っているかの違いになるでしょうか。主観よりも客観の方が抽象度は高いですよね。

しかしながら、この物事の抽象度のとらえ方のギャップが発生することによって、どちらも個人の単なる意見であるはずが、その考えは間違っているということになってしまうのです。

これは何を意味するのでしょうか。

顧客満足度を上げるということはどちらも言っていて、どちらもその重要性は同じ認識だと思います。

しかし、他方がもう一方に対して、意見・考えに対して否定的な態度をとられることに、どうなんだろうかと思うことがこれまで何度もありました。

前職ではセミナーを企画する際に、「自分はこういうセミナーをやりたい」というのと「こういうセミナーを参加者に届けたい」との違いですね。こちらの方が明確でわかりやすいですかね。



あと、これも前から感じていたことですが、自分の考え・立場を表明することよりも、他の人はどう思っているのかを先に探ろうとしたり、他者の意見を聞いて(確証バイアス)、自分と同じ立場であれば、「○○さんもこう言っている」というようなことを、自分の意見として表明される人も実際に多くいる印象です。日本的といえば日本的ですが、見る人からすれば主体性が乏しいと思わざるを得ません。

それと、外堀を埋めるという表現もありますがまずは当事者同士で議論することよりも、確証バイアスを得るために同調者をつのるという行為もどうなんだろうなと思うことがあります。


このようなことは仕事に関しても日常生活においても当然ありうることですし、誰もが感じていることだと思います。

これまで、こういうことが何度となくあって、そのたびにあれこれ考えることがあったため自分の中で整理するために今回書いてみました。


以上、ひとりごとでした。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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