「なりたいキャリアコンサルタント像」について考えてみる

自分の仕事を通じた自分のなりたい姿といったようなことを考えることは重要だと一般的によく言われる。現にキャリアコンサルタント養成講座修了時に講師でもある先生に「なりたいキャリアコンサルタント像をもつことが重要だ」という話を聞いた。もちろんそういったことを考えるのはキャリア支援に携わる者としてもつべきイメージなのかもしれない。

たとえば営業職ならどうな営業の人になりたいかや、職人ならどういった職人になりたいかというのは職業人なら当然のごとく必要不可欠なものと捉えられている。それが仕事をする上で必要なアイデンティティであり、自分が今いる位置を示す羅針盤であると。

しかし僕はそういった「なりたいキャリアコンサルタント像」というものがどうしても思い浮かばず、想像することができなかった。それはなぜなのかもわからずにきた。ただ、クライアントに寄り添う支援であるとか、クライアントの痛みや辛さに共感できるキャリアコンサルタント、さらには適切かつ効果的な情報提供ができ、クライアントが自発的に意思決定できるようなカウンセリングプロセスを踏めるキャリアコンサルタントといったようたことは考えてはいた。しかしながらそれであっても、「なりたいキャリアコンサルタント像」とはまた違うと思っていた。

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就労支援事業所で働きはじめて3週間になろうとしている。そこで仕事をするようになって芽生えはじめた考えがある。それこそが「なりたいキャリアコンサルタント像」であり、さらには「利用者にとって相応しい支援者」であり、「利用者にはどのような支援が必要か」といったようなことを考えるようになってきた。

そこで、現時点での自分なりの結論を出すとすると、「なりたいキャリアコンサルタント像」というのはキャリア支援者の勝手な思い上がりで自己中心的な妄想ではないのかと。就労支援事業所を利用している利用者からすると、支援者のなりたい姿なんてどうでもよいわけで自分で勝手にやってくれ、と思うのが普通だろう。

そんなことより、利用者からすれば支援者がどういった支援をしてくれるのか、どのような情報を提供してくれるのか、どんなツールを用いて就職活動の支援をしてくれるのか、といったようなより具体性を求められると思う。なりたい姿なんてどうでもよいとさえ思われるかもしれない。

もちろん、基本的姿勢としての受容や共感、自己一致といったような要素は重要である。でもそれは支援者であるこちらの問題であってこちらの問題によって相手に影響を及ぼすようでは支援者失格であるというもの言い過ぎではないだろう。

自分なりの現時点での考えの帰結として言えるのは「なりたいキャリアコンサルタント像(支援者像)」が見つからなくても全く気にしなくてよい。そんなのが見つからなくても当然で、そもそもそういったことを考えることすら時間の無駄であると。

それよりも一人のキャリア支援者として自分はどういう支援ができるのかをより具体的に考えることが重要である。もし自分に不足していることがあるならそれを補うこと、ただそれだけ。自分がどのような支援者であるかは自分が決めるのではなく、他者が決めることである。

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