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人生の意味について思いをめぐらす

キャリアコンサルティングにおいて、人の人生について考えをめぐらすという行為は必要なことかもしれない。自分の人生についてだけでなく、他者の人生についても考えることは、キャリアコンサルティングにおいて重要なことだと思う。では、その人生について考えるという行為はどのようなものなのか。自分の人生についての見方と他者の人生の見方では違いがあるのか、というようなことを考えたい。

自分の人生について振り返る

自分の人生を振り返り、考えることについて現時点で言えることは、自分はこれまでどのようなことをしてきて、どういうことを思い、感じてきたかということについて考えるということである。つまり、自分のこれまでの人生で、自分はどのようなことに取り組んできたのか、そしてどのように感じてきたのかを考えるということが、人生を振り返るという行為ではないかと。自分がこれまでどのようなことに取り組み、それは成功したのか失敗したのか、どのような人々に助けられてきたのか、その取り組みの結果から自分は何をどのように考えるようになったのか。というようなことを考えるということは、人生にとって有益な行為である。

その際に、自分の出来事に着目するのか、自分の感情に着目するのか。また、どのような人生だったかを問う際に、出来事の結果なのか、自分の感情なのか、はたまた他の要因なのかという事柄によって、人生の捉え方は違ってくると思う。自分のこれまでの人生は、比較的より良いものだったと捉えるならば、自分の成功体験からくる感情が大きく影響しているだろう。一方で、自分のこれまでの人生は苦労の連続だった、と思うのならば、それはつらい体験がクローズアップされ、その際の感情に思考が引っ張られているということが言えるだろう。少なくとも、人の人生なんて往々にして、良いこともあれば良くないこともある。嬉しい体験もあれば悲しい体験をすることもある。人生なんてそんなものだと思う。

認知的側面

自分の人生がどんなものだったのかと考える際に、どうしても強烈に印象に残っている出来事が想起されやすい。その出来事に伴う感情もまた、印象形成に大きく影響を与えている。その出来事が良い出来事であれば、比較的良い人生だったと思うかもしれない。物事の思い起こされやすさ、思い起こされにくさのようなことを心理学では「検索容易性」という。ある心理学の実験で、被験者の半数には「自分が積極的に振舞ったエピソードを6個、思い出してください」と指示し、もう半数の被験者には「自分が積極的に振舞ったエピソードを12個、思い出してください」と指示をした。結果は当然、積極的に振舞ったエピソードを6個思い出すより、12個思い出す方が困難であることは容易に想像できる。実験後には6個のエピソードを思い出した被験者より、12個のエピソードを思い出そうとした被験者の方が、自分のことを積極的であると思う、度合いが低かったという結果である。すなわち、積極的なエピソードを思い出すという行為は同じでも、その数を多く想起させることによって、自分は積極的ではなくむしろ、消極的であると思ってしまうということである。自分が積極的に振舞ったエピソードを想起するとう行為の容易性(困難性)によって、自分の認知の傾向が影響を受けるということである。

自己の統合と絶望

エリクソンの発達段階論という理論がある。そこではある年代的な段階ごとに課題が記されているわけだが、その中でも老年期においては、自分の人生を「統合」対「絶望」という表現をしている。これは、自分が歩んできた人生を、良いことも良くなかったことも含めて、統合的にみて振り返り、それを自分という人間観や人生観に結びつけて考えるということである。対して絶望とは、そのような統合的な人生観をもてない、人間観をより良いものあったと思えないことによって、自分の人生の振り返りで絶望感を感じてしまうというようなことである。自分の人生を振り返る際に重要なことは、自分のこれまでの歩みで良かったことも良くなかったことも思い出すことが必要であると思う。また、自分の人生に何かしらの影響力を及ぼしてきた人がどれだけいたのか、またそのような人はどのような人だと自分は思っているのかということを考えることは、重要なテーマなように思える。

多様な見方

他者に対する見方は多様であるべきだ、というようなことは誰もが納得していることである。しかし、そのようなことを頭ではわかってはいても実際の行動では相反することも多々ある。人それぞれだとは理性的にはわかってはいても、そのように振舞えないこともある。それと同じように自分の人生が辛いものであったと思っているならば、それを良い人生であったと捉え方を変えるということは並大抵のことではない。辛く悲しいことの連続だったと考えている人に対して、それをより良いものであったと考えさせることは単なるエゴでしかない。また、そのような人に対して、これからの人生はもっと良くなると根拠もなく言うのは気休めにもならず、相手の気持ちを無視していると言えるだろう。重要なことは、人の人生では良いことも良くないこともある、その際の自分の感情がどういうものであったのかを多角的な視点で考えるということが重要ではないか。キャリア支援者は、その人の人生の振り返りを多様な見方で見るように促し、総合的に自分を見つめ直す支援をする必要があるだろう。

自分の人生を語る行為とは

自分の人生を誰かに語るという行為は、自分の人生をたったひとつの物語として相手に語るという行為でもある。そのようなことを示唆させてくれるのが文学である。小説などの物語は多様である。ハッピーエンドのものもあれば悲しい終わり方のものある。心理学的な側面から述べると、人は心理的に未成熟な子どもころは単純明快なストーリーでハッピーエンドな作品が好まれる傾向にあるという。心理的に未成熟な若年者は、辛く悲しい結果に終わる物語に感情的な耐性が未発達であるという見方もできる。それが大人になるにつれて心理的に成熟してくると、単純明快なストーリーよりも複雑なストーリーの方が好まれる傾向があると見て取れる。そこにはハッピーエンドではない物語がむしろ印象に残り、自分の人生観を豊かにしてくれ、自己観に大きく影響を受けるということもある。

自分の人生を語るには、自分の人生をひとつの物語ととらえ、その主人公が自分自身であるという考えを持つことが必要である。文学作品では、その主人公が数々の困難に直面しながら多くの人々に助けられ、その困難を克服することによって大きく成長していく姿が描かれる。それと同じように自分も、自分の人生をオリジナルストーリーとして、主人公である自分がどういう困難に直面し、どのように乗り越えてきたのか。また、主人公である自分にどのような人がかかわってきたのかと思いをめぐらすことは、とても有益なことである。むしろそこでは、おそらく自分の人生において良かったこともそうではなかったことも総合的に想起されるのはないだろうか。その総合的な出来事を自分の自己観と統合して、とらえ直すことができると思う。


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