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新しい年を迎えて

新年を迎えて本当ならおめでたい気持ちになるところ、正直複雑な気持ちです。

本当なら、心機一転、前途洋々、晴れやかな気持ちで一年の抱負なんかを書きたいところなんですが、なかなかそんな気にはなれなくて。

いや、もともと、初詣とか新年の抱負とか意味があるのかと懐疑的な見方をしてきたのですが、それも平穏な生活があってこそ。


新年早々に大きな自然災害があったり大きな事故があったり、痛ましい出来事があって正直な気持ちとしてとてもじゃないが晴れやかな気持ちにはなれません。

普段、テレビのない生活をしていますが年末年始は帰省するので当然、マスメディアが身近な生活になります。

そこに映し出されていたのはとっても辛い現実です。

いや、見なきゃいいのですがそういう問題ではありません。


久しぶりにnoteも開くと、


『能登半島地震に関係する内容の可能性がある記事です』


とあって、正直なところを申し上げると、その文言を記載することに首をかしげてしまいます。

それって、なんのため?

だれに向けて?


確かに、自分は今現実に困っている人、悲しい辛い思いをしている人に何もしてあげられないけど、でもこのどうしようもない無力感をかみしめることができるはず。

でも、上記の文言はそのような現実に向き合う、少なくとも今の僕のこのような複雑な気持ちを逆なでされているかのように感じてしまった。


それだけ、心がささくれ立っているのだろうな。

なんか新年早々、心がつらい。



僕は、仕事やキャリアについて困っている人の手助けになるようなことを生業にしている。

でも、現実に多くの人が悲しみ打ちひしがれている人たちを見て何もできないことに無力感を感じている。

できることとして募金や寄付はあるけど、それはただの自分に対しての気休めにしかならない。

いや募金や寄付はもちろんするけど、それをすることで安心するのはまた違う。



あまりにも、支離滅裂な脈略のないへんてこな文章ですが、今の僕の正直な気持ちです。

ちょっと、涙が出そうになるのを我慢しないといけないときもあります。

いやそれは、いろいろなことが複雑に混ざり合ってのことなのですが。



いずれにせよ、今の現実の社会を目の当たりにして、とても辛い気持ちであることは事実です。


新年初めての記事がこのような内容なのはなんとも言い難いところ、お許しください。


これも、「能登半島地震に関する内容です」とか出るのかな。


そんなにセンシティブなのかな。


お花畑すぎない?

なんて思ってしまいます。


すいません、批判するつもりは毛頭ありません。

ご容赦ください。

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