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第0日目:旅の始まり(1)

2022年3月19日 午前10時前。そのとき、私は小田原駅13番線で14番線ホーム方に向かってカメラを回していた。借り物のビデオカメラの動作確認のために撮影された映像、9時52分に小田原駅を通過する新幹線列車を収めたものがこの旅の最初の記録となった。時刻表の記述を参考にすると、のぞみ309号の通過を撮っていたものと思われるのだが、今となっては確証がない。
操作の不慣れがあったために通過直前に録画ボタンが押していたようで、 5号車以降の通過しか収められていない。いわば失敗作…なのだろうが、この失敗から様々な記録が生まれていったことを考えると、決して無駄なものではなかったと思うところがある。

これに引き続く形で、10時ちょうどにこだま713号の入線を撮影した。
この列車は名古屋行きの列車だった。コロナ禍で移動が控え目になっているのではないかとばかり思っていたのだが、ホームに並ぶ人の数は多く・乗車率も比較的高めであったので、「生活はそれなりに戻りつつあるのかもしれない」と考えたことが比較的記憶に残っている。

この2本後のひかり637号(新大阪行)に乗車して小田原を発つことになっていたので、こだま713号の発車と続くのぞみ21号の通過は撮影されていない。もっとも、乗車列車であるひかり637号の入線も撮影されていない。ボストンバッグを持ち・大形のリュックを背負った状態でスムーズに乗車を行うためには、撮影している場合ではないと判断したためである。
ここでの乗車編成はJR西所属のK11編成であった。中学生の頃に乗車した列車がJR東海の列車であったことから、新幹線の案内チャイム=ambitious Japan!というイメージが刷り込まれていたために、いい日旅立ちがかかった時には「違うな」と思ってしまったことがあった。別に悪い曲ではないのだが、短調なメロディーはどうも ブルーな気持ちを呼び寄せてしまうところがある様に感じられ、少しばかりくるものがあった。

私は海側の席で、ずっと外の景色の移り変わりを眺めながら列車が京都に着くの待っていた。熱海を越えた辺りでは天気は曇りであったが、三島を越えた辺りから天気は晴れていき、列車は市街地と田園地域を気持ちのよい天候の中で駆け抜けていた。
そんな車内で、私は到着先の天気を今一度調べなおす。☁と☂のマークだ。
今の静岡の気持ちのいい天気からは考えられない 不穏なマーク。そうはいっても持ちこたえてくれるんじゃないかと思いながら、なおも外を眺め続けていたが、豊橋を越えた辺りから徐々に天気が怪しくなっていき、名古屋に停車する頃にはすっかりどんよりとした空模様となっていた。
都会特有の独特の空気の重々しさが名古屋にはある…とかねてから(以前の旅行で名古屋を訪れてから)感じていた節があったのだが、この日の名古屋はいつも以上に重々しい雰囲気が漂っていたような気がする。

名古屋を発った列車は次に岐阜羽島へ停車。ここで天気は快方に向かうも それは束の間、列車が関ヶ原に差し掛かった頃には再びどんよりとした天気へ逆戻りする。山側窓から琵琶湖が見えたのち、列車が米原に着いた頃には、周囲がかなり暗く見えるようになってしまっていた。
私自身 米原では外に出ていなかったので そのものを知っている訳ではないのだが、ここで乗車してきていた乗客の話を聞いていた限りでは、この日の米原は異様に寒かったようである(米原に近い、彦根の この日の気象記録は気温は最高10.5℃・最低8.0℃という記録になっている)。
これ以降、このどんよりとした天気は下車駅である京都まで続き、この日通して雨と寒さ・暗さにつきまとわれ続けていたのである。

12時12分 定刻通りに列車は京都駅に到着。京都駅に着いてからは、在来線に乗り換えと撮影が差し迫っていたこともあり、急ぎ近場の改札口を目指し移動を行った。(ちなみにその道中、学ランとブレザーを着た制服の集団(修学旅行生)を目にした際に、新幹線乗車時と同じように「戻りつつあるな」と考えた覚えがある。)

ボストンバッグを抱えた状態でバタバタと移動しながら、なんとか予定通り切符に下車印をもらった私は、次に天王寺方面への切符を購入。すぐさま、在来線構内へと入場したのだった。
この切符の京都→奈良→王子→天王寺という半ループ乗車から、今回の西日本旅行が本格的に始まっていくこととなる…(この続きは次の回で…)

(2022年8月11日 第1版公開)

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