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青い等級帯の「色」について-1(整理)

皆さん、こんにちは。こんばんは。

今回から数回(5回程度を考えています...)に渡って、戦後の青帯の色について整理を行っていきたいと思います。(今回と次回は問題提議だけで終わってしまいそうです...)                     

タイトルの方に(整理)とつけたのは、客観的な事実のみが書かれているのではなく私自身の考察等が含まれている場合があることと、研究途中の内容である故に不確定な内容を扱うことがあることを踏まえて、ここだけを切り取って誤解されることがないように 事実のみのものとは切り分けておきたいという意図があるためです。次回以降も同様の基準でタイトルの後ろに  ラベルを付けることがあるかと思います。受け取り方についてはくれぐれも誤解のないようにお願いいたします。

今回 最初の記事のテーマとしてこの内容を扱うことにしたのは、多くの人が疑問をもってもおかしくない内容であるのに、明確な問題提議がされず放置され続けていた事実があり、問題を解くことで模型等での再現の部分に貢献できるのではないかと考えたためです。

ここでテーマとなる”問題”は、昭和24年頃に2等車の帯色がそれまでの濃い青から淡い青(後に青1号と命名される色)に変更されたことが一般に知られている中で、「濃い青が青1号に変更された正確な時期はいつ頃であったか、そして変更された理由はなぜであったか。」という2点についてです。  

これについては、「何か記録が残っていたりするのではないか?」と考えられる方も多くいらっしゃるかと思うのですが、不思議なことにこの話が資料に出てくることは全くないのです。

皆さんは「写真で見る客車の90年 日本の客車」という本をご存じでしょうか。恐らく、ここをご覧の方の多くはご存じかと思うのですが...     念のため説明をいたしますと、この書籍は昭和37年(1962年)に刊行された客車の写真集で官設鉄道の時代の客車から20系客車までの写真と略史が収められたものであり、当時臨時車両設計事務所で設計・開発業務に携わっていた星晃さんと卯之木十三さんが編さん委員会の一員として関わられていたものになります。写真・略史とも幅広く・丁寧に拾われている書籍である故に客車研究を行う人にとっては、バイブルといえる本であるかと思います。

この書籍の略史の一番最初に『1 等級及び称号の変遷』という章があり、その最初の項が『1・1 等級及び標記の変遷』という内容があるのですが、昭和15年以降の話については『昭和15(1940)年2月3等の赤色帯は 塗装修繕作業の工程簡略化と経費節約のため廃止され,また第2次世界大戦後,進駐軍がその専用列車に白帯を用いることが決定したので,国内用1等車はクリーム色の帯に変更された.そして昭和35(1960)年2等級制の実施とともに切符の色が1等は淡緑,2等は青になったので,これに合わせて昭和36(1961)年7月,1等車の帯色を淡緑に変更して現在に至っている(2等車には帯を設けない).』とだけ書かれており、昭和24年頃に色合いが変更されたことについては一切触れられていないのです。

これについては同じように権威のある本と考えられる、交友社の100年の 国鉄車両にも記載がないようであり、昭和24年度の鉄道広報にもこの話が 出てくることはないと伺っています。

まず 最初にこの話のこととして整理しておきたいのは、実務資料や実務者が  関わった資料の中で、最初に示した”問題”について明示的に示しているものは「今のところ」確認できていないということです。(今のところに「」を付けたのは可能性が0であるという確証がないためです。)

3等帯の廃止(昭和15年2月)の記録が残っている(https://twitter.com/nandaumanosuke2/status/1093953817610117120) ので、一定両数が在籍していた2等車の帯色変更についても、何らかの形で通知がされたのではないかと考えているのですが... 不思議とそんな話を 聞いたことがないのですよね。 【次回へつづく】

(2021.10/25 第1版公開)

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