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準急色の帯の色(前編-準備編・整理)

読者の皆さん、こんにちは。
先日、X(Twitter)にて、準急色関係の話題で反応をいただいたことがあったため、内容整理を兼ねて記事を書いてみようと思います。(今回は”準備編”なので、読み応えのある内容にならない気がしますが… どうぞお付き合いください)


1)そもそも準急色とは?

1956年10月から1962年9月(+塗り替えまで)の期間に、主に準急行運用に就く気動車向けに制定されていた塗装です。

1959年6月29日制定の「車両塗色及び標記方式規程」(以降塗色規程と略す)の第13条(気動車の車体外部塗色を制定する部分)1号では、「車体外部の塗色は、雨ドイ部は赤2号とし、その他はクリーム色2号とする」と説明されています。(1929年3月から1959年6月にかけて用いられていた「車輛塗色及標記方式」(以降旧塗色規程と略す)には、この塗装を定義する条文は存在しません)

 1956年10月、上野ー日光間に初の気動車準急として”日光”が設定されます。
このとき、同列車に新型車両であるキハ44800形(後のキハ55。1~5 いずれも量産先行車)が投入されたことに合わせて、上記の準急色が設定されることとなりました。従来と異なる塗装が採用されたのは、高速運転列車であることを大々的にPRするためであったようです[1](国鉄本社の気合の入れようは結構なものであったようで、準急列車であるにも関わらず、専用のヘッドマーク図面が工作局内にて書き起こされています[2]。準急や急行のヘッドマークは運用を設定する各支社・鉄道管理局が用意することになっていたため、極めて異例の対応がとられていたということになります)。
 準急”日光”の成功を受けて、同様に”ひだ”(1958年3月)・”かすが”(1958年11月)などが設定され、以降キハ55形の投入拡大と共に”準急色”は拡大していきます。しかし、キハ55系列は 後継のキハ58系列や157系電車が登場したことにより、活躍の場が次第に縮小し、車両の転用が進んでいきました。これに前後して、準急色を使用しない車両が登場し始め、1962年9月塗装規程改正をもって準急色は規程から消滅し、順次急行色への塗り替えが実施されていきました。

2)準急色を使用していた形式

準急色を使用していた形式には、次の9形式が存在しました。

  1. キハ55:準急色を使用していた形式の中でもっとも基本的な形式で、片運転台・全室3等車の車両。量産先行車は1956年9月末に、量産車は1957年4月以降にそれぞれ新製されています。

  2. キハ26:キハ55系列の1エンジン仕様車で、キハ55同様の片運転台・全室3等車の車両。いずれも1958年4月以降に新製されています。

  3. キロハ25:キハ55による優等列車運用の拡大に伴い用意された、片運転台の合造車。客室配置は前位側半分が2等室(後の1等室・以下同様)、後位側半分が3等室(後の2等室・以下同様)となっています。上記の経緯もあり、新製時期はキハ55・キハ26より遅く、1958年6月以降となっています。

  4. キロハ18:キハ17系列に属する2・3等合造車。キロハ25と異なり、運転台は取り付けられていません。客室配置はキロハ18同様、前位側半分が2等室、後位側半分が3等室というつくりになっています。車両不足などの理由からキハ55をサポートする位置づけで編成に入れられていたものと考えられます。標準塗装(青3号に黄かっ色2号)に等級帯というスタイルの車両が大半でしたが、上記位置づけ用の車両には、準急色+等級帯というスタイルの車両が少数存在していました。

  5. キハ51:キハ17系列に属する全室3等車。キロハ18と同様の理由で使用されていたと考えられます。※「4.」「5.」については星晃氏が1959年9月に撮影された写真が残っています[3]。

  6. キハ25:キハ20系列に属する全室3等車。キロハ18・キハ51と同様に車両不足を補うために準急運用に使用されており、少数の車両が塗装変更を施されていたとのこと[4]。

  7. キロ25:キハ55系列の1エンジン・片運転台の全室2等車。1959年1月中頃以降に新製されており、キハ55系列の中では最も製造開始が遅い形式です。時期により、客室部分側面窓下の”帯”に変化が見られる唯一の形式です。

  8. キハ60:1960年1月に2両が新製された試作気動車。キハ55に似た外観に外吊り式の扉が取り付けられていました。塗装の塗り分けはキハ55のものを踏襲していました。

  9. キロ60:キハ60と同時に新製された、片運転台の全室2等車。キハ55に対するキロ25と同じ位置付けですが、こちらは当初から客室部分の側面窓下に青1号の等級帯をつけていました[5]。

3)準急色関係の時系列

時系列が把握しづらい部分があると思いますので、時系列表を掲載します。

図1 準急色関係の時系列表

※キハ51・キロハ18・キハ20準急色の塗装変更時期については、規程等に記録が残っていないため不明となっています。上記の図には確認できたもので、最も古い時期の撮影記録をそれぞれ掲載しています。

次回の”解説編”では、塗色規程での扱いについて、1959年11月塗色規程改正時の内容について、廃止までのうごきについて書いていきたいと思います。
(2024年2月8日 第1版公開)

参考文献

[1]:鉄道工場1956年12月号 『準急用大形デイーゼル動車「日光号」』レールウエー・システム・リサーチ(2024年1月29日参照)
[2]:岡田誠一(2019)『抄録 鉄道図面集』 ネコ・パブリッシング
[3]:電気車研究会鉄道図書刊行会(2020)『キハ55系気動車 : 国鉄形車両の記録』
[4]:日本の内燃車両編さん委員会(1969)『日本の内燃車両』鉄道図書刊行会
[5]:交通技術1960年3月号『試作ディーゼル動車キハ60・キロ60』交通協力会(2024年1月30日参照)


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