自切

新しい紙卷煙草の封を切るのが好きだ。
ひとつ取り出して、すんと煙草の香りを嗅ぐ。煙草の葉の香りの中に、控へめなラムの香りが廣がる。
尤も、未だお酒を飮んだ事が無いので、ラムが美味しいかどうかについてはわからないけれども。

二十一世紀、最初の春。
小學生でも煙草を嗜む事が許されたのが、十五年以上前になると云ふ。バブル崩潰後の經濟循環を良くする爲に煙草が解禁されたと、近代史の授業で習つた。
小學生・中學生向け雜誌には當り前の樣に可愛らしい煙草の廣告が何ページもあるし、人氣の有名人が吸ふ銘柄はコンビニでも「○○さんもお氣に入り」と云ふポップが附いてゐる。小學校の贖買でも、其れ程珍しい銘柄でなければ大體揃ふ。
私は、煙草の葉以外にはあまり色々と香料が加はつて居ないモノが好きで、クラスメイトからは「煙草の銘柄トワイライトなの? 渋いね。お父さんの煙草みたい」とは云はれるんだけれども。

放課後、普段は友達とお喋りをしながらラウンジで吸ふのだけれども、いい天氣なので外で吸ふ事にした。

春先とは云へ、風は少し冷たい。
廣場の生徒はまばらで、運動目的の人しか居ない。煙草を吸ひに出るにはまだ早い時期かもしれない。
ターボライターをポケットから取り出し、少し上品さに缺けるけれども、背を少し丸めるやうにして煙草に火をつける。
煙をそつと吸ひ込んで、女子が鼻から煙を出すのは下品だしモテない、と云ふ「喫煙モテのお作法」通り、口だけで煙を吐き出した。誰も見てなくても、それがもう癖になつてゐるので、さうやつてしまふ。

芝生に坐り込んで、ランドセルを側に放り出した。
太陽の陽射しを背中で受け止める。風が止んだ。
「ぬくい」
煙草の煙は、細く眞つ直ぐ空へと昇つていく。携帶灰皿を探してポケットをまさぐつてゐたら、目の前にぬう、と小さくて可愛らしい、シンデレラと馬車のモチーフの付いた缶の灰皿が差し出された。
「守宮さん」
灰皿を掴んだスラリとした指先、極端に短く切られた髮。人懷つこさうな大きな瞳。
クラスメイトの守宮さんが、携帶灰皿の箱をこちらに差し出してゐる。
「うちの灰皿使ひーや、戸陰ちやん。横で吸うてええ?」
「いいよ――でもこれ、バイナリィティアラの新作の携帶灰皿ぢやん、買つたの? ていふか、使つちやつて良いの? こんなに良い物、勿体無くて小物入れにしちやふよ、私」
「これなー、お客さんからの貰ひもんなんやわ。是非灰皿としてちやんと使つてくれつて云はれてん」
「お客さん? 商賣してるの?」
「うちな、自作のアクセをネットとイベントで賣つて稼いでんねん。イベントやつたら綺麗な恰好して行つたりとかしたりしてな。うち、オカンをらんくてさ。オトンがこつちに稼ぎに來て出來た収入でも、そりや足りん事もないねんけど、やつぱ妹をつたら塾とか行かせたいやん? 貯金だつて欲しいし。うちは勉強できひんから、かういふので稼いでんねん」
「さうなんだ……大變だね」
「別に、大變ちやふよ。こつちでイベント會場探すのがちよつと大變さうやけどね」
彼女は西の方言を話すけれども、本當は何處の人かは知らない。この學校には、色んな所から出稼ぎでやつて來た人の子供が寄り集まつてゐるので、色んな方言が飛び交つてゐる。
私も彼女も、この地元の人間ではない。所謂、餘所者だ。

「ええ天氣やね」
さう云ひながら、守宮さんは私の横に坐つて灰皿を傍に置き、バラバラの煙草の銘柄が竝んでゐるブック型のシガーケースから、一本煙草を取り出した。あちこちで貰ひ煙草をしてゐるのかもしれない。
「うん」
私は彼女が煙草を咥えるタイミングを見計らつて、さつとライターの火を點けた。
「あー、ありがとー」
有難う、のイントネーションも何處か關西風で、妙にやはらかい。
「戸陰ちやん、此處ええね。暖かーい」
「うん、今日はそんなに人居ないけど、もう一寸暖かくなつたら、結構日向ぼつこしてる人多いよ」
「さうなんだ、うちこつちに來たの去年の秋だつたから、この邊とか授業でしか來た事ないんよ。戸陰ちやんはここ來て何年だつけ」
「四年。これでもこの邊ぢやあ長い方つて云ふのが、なんか變な話なんだけど」
「先輩だ」
ふふ、と笑ひながら、守宮さんがもわんと煙を吐き出した。

「守宮さんつて――もう終つたんだつけ、手術」
「こつち來る前に終はらした」
「そつか……私、どうしやうかな」
手術といふのは、性別適合手術の事である。
この學校――いや、最早未成年の大半の人間が、性別適合手術を行ふ豫定、あるいは既に手術を終了してゐる。ホルモン療法の光景も、保健室へ行けば普通に見る事が出來る。
男である事を選ぶ、女である事を選ぶ、或いは――どちらでもない事、どちらでもある事を選ぶ。何も珍しい話ではない。

守宮さんは、體が男で、心が女だつた。そして、適合するために、その手術をした。
私は、體が女だけれども、心は、男。だけれども、その手術はしてゐない。精神面の不安定さもあつて、手術の目處が立たないと云ふのもあるけれども、迷つてゐると云ふのが本音だつた。

「迷つてる間は醫者も流石に手術をおススメ出來ひんもんなあ、一生の事やし」
「なんかかう、生きてるのがそもそも、違和感過ぎて……」
「はは、さう云ィなや」
私の樣に、生きる事そのものに懷疑的な人は――いろんな場所に傷をつけて生きる事になる。私は、瀉血の注射針の痕と、切り傷だらけの肱の内側を、煙草を持つた手でそつと押へた。今は見たくない。

「戸陰ちやん――ま、ゆつくり決めたらええんよ、さういふのは」
「うん」
「ね」
守宮さんがさう云ひながら灰皿の蓋を開けて差し出してくれた。いつの間にか、煙草がフィルタの手前まで短くなつてきたゐたのだ。ありがたく受け取つて、そつと煙草の火を消す。半透明のグロスの付いたその吸ひ殼が、なんだか酷く汚れてゐる樣に見えた。

ゆつくり決める前に、私は死んでしまふかもしれないけれども、と云ふ言葉は、口にしない事にした。

自分が何處に行きたいのか、どう生きたいのか、判らない。
日本の平均壽命、男性四十歳、女性五十二歳。
既に私の壽命の五分の一は終つてしまつた。ゆつくりなんて、出來ない。

「守宮さん、煙草二本あげるから、もうちよつとだけ喫煙タイム付き會つて」
「ええよ。うちも今暇やし、煙草貰へるんならそれだけで嬉しいわァ」

二本目の煙草に火を點ける。行き急ぐ私の樣に、燃える煙草の尖端。
無性に腕を切りつけたくなるのを堪へて、深く紫煙を吸ひ込む。

「子供なんて好きなもん同士でカップリングしてしまへば誰でも作れるやうになった以上、性別なんかただのファッションや。うちはかはいいものを賣る商賣人やから、女になつて良かつたと思ふけど、戸陰ちやんが自然に生きられるのが一番ええんちやふんかな」

自然ってなんだらう。
別に女である事が生きづらい訣ぢやない。男になれば生きやすくなるのかどうかは全然分からない。
私は何を斷ち切って、何を得たいんだらうか。
ただ、この世から早く逃げたいだけかもしれない。

切つて逃げる爲の己の尻尾すら上手く見つけられない氣がして、私は、そつと目を伏せた。


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