とある精神障害者の手記 その2

とある精神障害者の手記 その1|刑部しきみ|note

25歳邊りで一旦筆を置いたのが前回までのお話。

時間を少々さかのぼってもう少し若い頃の話からすることにした。
サイトを作り始めた專門学校の頃~就職したての頃のインターネット事情といふものはやうやっと「日記サービス」でなくブログらしきものが勃興し始め、GIFの特許問題がどうのかうのとか、少し掘り出せばW@REZやら尻有だのが轉がり、愛銅羅だのtripodだのといふ場所があったり、Melt it!で偽装jpgをどうのかうのとか、まあ初心者の私でも手が届く位置にさういう真っ黒いものがあちこちで落ちてゐて、そして私はそれに觸れることなくサルのようにアンディー・メンテ製のゲームをやり續けた、まあ、さういふ時代である。あーあ、危ない1號とか本當にリアルタイムで出会ってれば私の人生は確実に變ってゐたと思ふんだがなー。しかし、出會へなかったんだから仕方ない。運命だ。諦めろ。

話を戻す。當時學校でサイトをアップロードするのにFTPソフトが使へなかった私は(勝手にソフトをインストールしたら怒られる)、ギャルズタウンといふブラウザからアップロードできるサービス(ぐぐったら今でも現存してゐるサービスである事に吃驚した)と、さるさる日記(これはもうサービス終了濟)を組み合はせて拙いながらもサイトを作ってゐた。
そうやって出來た成果物は、卒業して家でインターネットをするやうになっても継続して更新したのである。

ネットで人の日記やブログを見てゐるうちに、ブログランキングサイトといふものを知った。
家でもサイトの中身が触れるやうになって、まだ當時CSSなどをきちんと知らず、ホームページ講座などを見て作ったテーブルレイアウトで折角なんとか形になってきたので、ランキングサイトに早速日記を登録してみた。
すると、數日してから拍手ボタンにメッセージが。最早この記憶も曖昧だが――
「はじめまして。面白い日記なので毎日見てます。サイトですが○○の所、表示には問題はないですが、HTMLの記述が間違ってます。これこれこういう風にすると正しいです」
みたいな、要するにHTML間違ってるよと云ふご指摘メッセージが入ってゐた。
あらー、さうなんだ、と思ひつつその通りに修正。見た目は變らないが、正しくなったらしい。良かった良かった。

或る日、アクセス解析でとある日記からリンクが貼られてゐる事に氣が附いた。
それは、はてなダイアリーからのアクセスだった。

アクセスすると、その日記は全て「歴史的かなづかひ」で記述されてゐた。

一瞬面食らったが、讀めない訣ではない。一應國語關係の成績だけは良かったのが救ひであった。
その日記は「黎明日記」と云ふ名前で、Theoria氏といふなんか頭の良ささうな人が、小難しい事を何やら書いてゐた。文學からCSS+HTMLの正統表記、クラシックや軍歌などの音樂などといった樣々な事について書いてあったが、ただ、プライベートの事については殆ど書かれてゐなかった。その異様なまでにに神経質さうな文章の書き方は、所謂「相当に尖った人」といふ感じであった。

そして、もう一つ「歴史的かなづかひ」で書かれてゐて、相当に尖ってゐる日記が有った。
現在はTwitterで完全にTwitter廢人となってしまってゐる野嵜健秀氏によって今も細細と更新されてゐる「闇黒日記」である。氏は正統なる表記の「正字正かな」と「W3Cに準拠した正しいHTMLとCSSなど」について他のサイトやブログ等に言及してゐる人で、たまにアニメとか虹裏の話が混ざるのだが、そんな事より當時はもう本當にあちこちと論争だの喧嘩だのが毎日でとにかくヤバくて、「この人に言及されたら私は死んでしまふ」とか眞面目に思ってゐたし、正直年取って丸くなった今の野嵜氏とも喧嘩はしたくない。

黎明日記は何囘も閉鎖と出沒を繰返すうちに現代假名遣ひに戻ってしまったのだが(今と違って正字正かな變換は結構手間のかかるものだったし、野嵜氏も「GoogleIME辭書は既存の辭書を流用した」とは述べてゐるとは云へ、辭書の追加などは膨大な時間と相當な手間がかかってゐる筈である)、Theoria氏とは休日の深夜にはてなダイアリーのリアルタイム更新でTwitterの樣な使ひ方で發言を應酬する程度には仲良くなり、行旅死亡人データベースのDB部分を作って貰ったり、境界性人格障害な氏からリタリン飮んでクラブに行ったままのテンションで深夜の三時とかにメールと電話でガンガン携帶鳴らされたりして精神的に疲弊したり、なんかそんな感じで結構精神がすり減った。
インターネットの人と安易に個人情報を交換しちゃいけないぞ。しきみさんと約束だ。

それと同時期頃に、事務職の仕事から精密部品の簡易檢査も兼務させられたにも關はらず仕事は減る一方で、インターン時から可愛がって貰ってゐた社長が会長職へ就任し、そして新しく社長となった人間は、なにかにつけ文句と不平ばかり述べて何もしないクソバカで、おまけに私とは相性が何故か非常に悪く、良くわからない怒られ方や文句の付けられ方をしてますます磨り減る一方であった。私はとりあへず齒を喰ひしばって金を溜めた。

要するに、インターネットと仕事の兩方で私はうまく振る舞へなかったのだ。

「地元に友達が居ないのでjonathansさん(註:はてなID)が卒業した専門学校で國家資格取らう」みたいな調子で山口までやって來たTheoria氏は、何もない田舎に來たのが恐らく轉地療法になったのと、通ふやうになった精神科での主治醫との相性も良く、精神が安定し、基本情報技術者試験に半年で合格し、プログラミングのスキルを伸ばしていった。人生何が轉機になるか分らないものである。

人のメンタルがどうのこうの云ってゐる場合ではなく、この頃から、私は再び幻覺がはっきりと見え、幻聽も聲高になり出すやうになる。
工場の駐車場を歩く膝から下の男、車の前に飛び出してくる灰色のジャージの巨大な飛び出し坊や、大聲で叫ぶ意味不明の男の声、囁き續ける子供の聲――日常は異界と化した。
次第に夜は眠れなくなり、鍵をかけたTwitterの中でネガティブ發言を吐きまくり、昼は眠たさで珈琲とカフェイン錠劑が手放せなくなり、あまりの眠さで私はデザインナイフの先で手首をガンガン突いた。
仕事はどんどん無くなって行く。私は在庫管理のためにひたすら油に塗れたネジやナットの數を數へた。圖面をナンバー順に整理し、だがその仕事もどんどん無くなって行く――

「なにか仕事はありませんか」
「ないです。取引先からの発注がないので」
「せめて他の會社の納品の手傳ひでも」
「駄目です」
「工場の方でもいいので」
「事務員は用のない時は工場への立入は禁止です」

私は、役立たずだった。

業務中にトイレで珈琲のゲロを吐き、他の人が一生懸命仕事をしてゐるのに、一人だけ定時に追い出される毎日。

私はもう、この會社に要らない人間だったのだ。

會社側は明らかに私を辞めさせようとしてゐた。
両親にはもういい、辞めても良いんだ、と云はれた。
やめるものか――夜中に天井を見つめたまま、ずっと頭のなかで鳴り響くのは「死んでしまえ」「消えろ」と云ふ大音量の絶叫。
部屋に人の気配を常に感じ、私はますます眠れなくなった。

2009年3月末。母が外出先で轉んで右手首を骨折した。
私は會社を休んで、母の病院への送迎、家事、両親の保険証の切替や父の仕事の事務作業に追はれて、二日休んだ。

3月31日に、午前中休む旨を電話で告げると、仕事はしなくていい、午後からで良いから話がある、と會社に呼び出された。
母を病院に連れて行った後で會社に行くと、應接室へと呼ばれた。

促されて、應接室のソファに座る。
いくつかの書類が、机の上に置かれてゐる。
私は、自分がどうなるか、それだけで理解した。
社長は私と目も合はせずにかう云った。
「――刑部さん、今日付けで解雇と云ふ事で良いですか」

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さて、キリが良い感じになりましたね。
今囘はここまでです。
後書きは特に重要ではない事がちょっとだけなので課金無用です。一應投錢用に100圓支拂へるやうにはしておきますが、今囘は讀み物はありません。
先に後書きから書いてみたら完全に次回用になってしまったので……。

因みに、時間が數年分ざっくり卷き戻ってしまった關係で、この次點で私は26歳です。
インターネットのことを書きすぎて時間が進みませんでしたが次は一気に飛ばします。
では、また次回御會ひしませう。

とある精神障害者の手記 その3|刑部しきみ|note


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