とある精神障害者の手記 その1

これは、何の特技もなく、職も持たず、精神障害者年金を受給して暮らしてゐる、ただのをばさんの人生だ。
先に私がなんの病氣なのかを述べねばなるまい。
私は幼少時から統合失調症があり、仕事の所爲でうつ病を併發し、不眠と廣場恐怖症と醜形恐怖症にも惱まされて居る。
リストカットや他人にしつこくコミュニケーションを強請る樣な趣味を持たないが、自分について書いたり寫眞を撮ったりする事で、別に救はれもしないが、誰も傷つかないで自虐を行ふ事が出來る。
コレをみて他人はどう思ふだらうか? そんなものは關係ないのだ。他人など何の救ひにもアテにもならない。
私は結局のところ、自分にしか興味が無いのだ。

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人には見えない/聞こえない筈のものがどう見えるか聞こえるかについて語るのは難しい。
幸運な事に、私は視覺に限っては幼少時から現實と非現實の見分けがついた。

ぼんやり見てゐて、やけに周圍が光ってゐたり、全体的に色がなく、トーンが暗く灰色がかってゐたりするものは、概ね私の腦が作り出した僞の現實だった。目が惡くなってからは、間違った現實である可能性のあるものを全て無視する事で解決した。まれに現實をスルーしても、「ぼんやりしてゐた」と云へば問題はなかったのだ。

ただ、幻聽の聞き分けはかなり難しい事であった。注意を向けてゐないと、囁き声などは常にこそこそと腦の中で響く幻聽に紛れて消えてしまふ。小さい頃に傳言ゲームをレクリエーションでやらされたのは地獄だった。私は泣きながら「何も聞こえない」と云ふしかなかった。大人が困惑した顏で私を見てゐたのを覺えてゐる。

聽覺に問題があるのかもしれないと云ふ事で、耳鼻科の檢査を受けた事もある。確かに聞こえづらい部分もあったが、耳が惡い事に區分されるまでもなかったさうだ。大人になってからも一度ストレスで難聽になりかけて檢査を受けたが、ヘッドホンがとにかく痛くて辛かった記憶しかない。そして、やはり檢査結果は少し耳が良くないといふ結果が出ただけであった。

それらよりも常に悩まされてゐたのは、私を常に監視する左斜め後ろの男の視線であった。
氣が附くとそこにある視線を振り拂ふのは、なかなか難しい。なぜなら、後ろに目はないからだ。私は常にきょろきょろと落ち着きなく邊りを見囘し、通知表には常に「落ち着きが無い」と書かれる羽目に陷ってゐた。

一番かういったものに惱まされなかった時期は、今考へれば高校生の頃だと思ふ。
いくつもの部活を掛け持ちし、可愛い彼女にも恵まれ、高校にあるインターネットに接續されたかはいらしい初代iMacに出会ってからはインターネット空間で生きる事を覺えた。パソコンで物語や臺本を書く作業を始めたのも、精神的には良かったのかもしれない。

絶望的な頭の惡さから大學への進學を諦め、プログラミングの授業のある專門学校へと、品行方正であった私は特待生で進學した。
インターネットには更にのめり込む事となるが、實は自宅にはインターネット囘線を引いてゐなかった。單純に、親の理解が得られなかったのである。仕方がないので専門學校が閉まるまでインターネット活動をし、自宅のパソコンでひたすらHTMLとテキストを書いてゐた。
二十歳の秋ごろには地元の零細企業への就職も決まり、インターンと卒業制作を行ひながら無事卒業し、事務員として地味に働きながらようやく自分の金でインターネット囘線も引くことが出來て、地元の數少ない友人とたまに遊びながら、安月給を地道に溜めて働いてゐた。

――その會社の業績が惡化するまでは。


キリがいいので一旦此處で話を切ります。
この話の終わった時點でだいたい私は25歳程度だと思ってください。
無料ですがお金をわざわざ拂ふ事も出來ます。
拂った人には雑談が讀めるようになってゐます。
この話すると大体皆さん氣にするのが「彼女」の存在です。皆さんが解ってるかどうかわかりませんが私は女性です。
まあ、ちょろっと書いておきます。

では、また次の機会に。

續き:とある精神障害者の手記 その2|刑部しきみ|note(ノート)

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