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#6-2 世界遺産に現れる器用家〜レオナルド・ダ・ヴィンチ〜

こんにちは,Jo-ATのTomoyaです.
今回のNoteは,前回のUmicaに引き続き,レオナルド・ダ・ヴィンチ(以下,レオナルド)について扱っていきます.どんな人かについては,前回記事で紹介してくれているので,今回は私の生きがいでもあり,趣味でもある「世界遺産」という切り口でレオナルドとの共通点を探っていこうと思います.

#6-1 Umica「#6-1 空前絶後の器用家的偉人〜レオナルド・ダ・ヴィンチ〜」


世界遺産とは

「なんで世界遺産から入るねん.ダヴィンチはよ」と思う方,落ち着いてください.より深く理解するためには,まずは基礎から入ることが重要です.
ちなみに,ご存知かもしれませんが,ダ・ヴィンチというのは,「ヴィンチ(出身)の」という意味なので,ここでは愛を込めてレオナルドと呼称します.

世界遺産は,顕著な普遍的価値(OUV「Outstanding Universal Value」と言われる)を有する地球の文化,自然を代表するもので,毎年開催されている世界遺産委員会にて,世界遺産リストに記載が決まったものを指します.

この顕著な普遍的価値という概念が少々とっつきにくいですが,要はある観点で地球の歴史,文化の代表であり,その点においてはどの角度からも唯一であるよね.と認められたものが世界遺産です.

例えば,日本の有名な世界遺産である「屋久島」は,標高2,000mまでの植物の変化(植生)や,屋久杉を含む生態系の垂直分布が地球上で特異であること,その自然の美しさが際立っていることが「世界遺産的な価値」として評価されています.

そんな世界遺産は現在,1,199件登録されています.多いですね.引っ越すときに内見する部屋数くらい多いです.さて,そんな地球の代表とも言える世界遺産の中には,レオナルドと関連のある数多くの物件が存在します.次項以降,それらの世界遺産に触れつつ,レオナルドの器用さとその性格について見ていきます.

サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院

出典:総合旅行サイトHIS「世界遺産旅」

レオナルドの芸術家,そして画家としての側面を見ることができるのがイタリア「サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院」にある「最後の晩餐」です.「最後の晩餐」は,レオナルドがミラノで活動していたときに描かれたもので,ルネサンス時代を表すような人間らしい描写と,その構図,遠近法の均整さ(バランス)が秀逸とされている作品です.

当時の逸話が残っていますが,いかにも完全主義者らしいレオナルドの様子が表れています.

当時の壁画は,漆喰を塗った壁に水で溶いた顔料で描くフレスコ画が主流で,漆喰が乾く前に一気に仕上げねばならず,作業の中断や描き直しはできませんでした.

移り気な彼は,気が乗らないとすぐに仕事を中断し,熱中すれば何度でも描き直したので,この画法はレオナルドと相性は良くありませんでした.

そこで彼は,中断や描き直しができる画法を選んだのです.乾いた壁に,顔料を卵などの溶剤で練った絵の具で描くテンペラ画法です.

しかし,テンペラは絵の具が壁に染み込まず.やがて湿気で剥落する運命にあったので,完成直後から絵には細かい亀裂が生じてしまいました.
レオナルドは,それを一度は塗り直 したものの,ミラノを去り,以後この 絵に執着することはありませんでした.

出典:「世界遺産オンラインガイド」を一部改変


シャンボール城

出典:PantherMedia/イメージマート

続いて,フランスのロワール地方にある世界遺産「シャンボール城」.イタリア人のレオナルドとフランスの城がなぜ繋がるのか.それは,このシャンボール城の設計にレオナルドが関わっていたとされているからです.

実はレオナルドは,1516年(64歳)のときから,1519年に67歳で亡くなるまで,フランスで暮らしていました.そのときに,城館であったシャンボール城の改築に踏み切ったフランソワ1世が,レオナルドを「王の最初の画家,建築家,技術者」としてフランスに招いたのです.

建築家,そして技術者であったレオナルド.彼の科学から工学にまで応用可能なその展開力は凄まじいものですね.

シャンボール城の二重螺旋構造の階段.2つの階段を両側から昇れば,相手を目で追いながらも,出会うことなく昇ることができる.(出典:PIXTA)


クロ・リュセ城

出典:Explore France

そして,こちらもフランス,アンボワーズにある世界遺産「クロ・リュセ城」.こちらはレオナルドの生涯最後の家としても知られています.

クロ・リュセ城は,元々国王ルイ11世のお抱え料理人エティエンヌ・ル・ルーのために建てられた城で,その後,1490年に国王シャルル8世によって買い取られたのちに,以降200年は王家の所有となりました.そして,1516年に,フランソワ1世の招きに応えて,レオナルドがアンボワーズにやってきます.このときにレオナルドからかけられた言葉が,

「ここで考えるのも、夢想するのも、働くのもあなたの自由だ」

人生で一度は言われたい言葉ですね.私にクリエイティブをさせてくれ…!

そして,現在,レオナルドが3年間暮らしたこのクロ・リュセ城の地下には,土木,水力,航空力学,軍事など,あらゆる分野での発明品の技術がグラフィック映像とともに紹介されているそうです.史上初の自動車や飛行器具,旋回橋など,レオナルドブレインから工学を通して形となった「モノ」が数多く残っています.

出典:メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド

ダヴィンチと世界遺産

こうして見ても,レオナルドの器用性は常軌を逸しています.彼の領域は,科学から工学,そしてあらゆるクリエイティブまで及んでいます.ものすごい探究心と,汎用性のあるものを展開させる能力の掛け算が,彼を「万能の天才」へと押し上げたのでしょう.

そして,世界遺産.1200件もある世界遺産にレオナルドと関連する物件が多数あったのは偶然でしょうか.世界遺産となるのは不動産に限ります.つまり,レオナルドが残し,発明してきた作品は移動できるモノである限り,世界遺産とはならないのです.では,なぜこんなにも名前が出てくるのか.

それは,彼の残してきた歴史がコンテキストとして,世界遺産に含まれているからです.レオナルドの残したものは唯一無二です.そういった文脈とストーリーを含めて一つの価値として,世界遺産というモノの登録が毎年議論されています.

そして,世界遺産自体も数多くの分野の複合領域であり,理学,考古学,歴史学,芸術学,文化学,経済学,都市学,建築学,造園学,法律学等のあらゆる視点からのアプローチが可能です.

レオナルドと世界遺産の共通していることは,「一つの視点からは語れない」ということです.だからこそ,私は多様な興味をもつレオナルドのような器用家のみなさんに,世界遺産を学ぶことを推します.触れたことのない視点を養うことができる上に,幅広く世界をみることができます.

きっとこの記事を見てくれているのは,一つの肩書きに収まりたくない方でしょう.専門的な肩書きを捨て,新しく器用家としての肩書きをスタートさせてみませんか.

そのきっかけとして世界遺産,いかかでしょうか.


参考文献:


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