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【伝わらず届かない言葉】3−1.言い表すということ【3.さらなる深淵へ】

 黒子のバスケ脅迫事件を巡り反省も謝罪もしないことが明言されているわけであるが、その理由のひとつに、通じる言葉がないので謝罪することは不可能というものがある。つまるところ、被害を受けた企業との間には認識に差がありすぎるため、「自分は被害企業の方々に通じる言葉で謝罪することは不可能です。同時に被害企業の方々も自分に通じる言葉で自分を糾弾することは不可能です[122]」、ということにしかならないと言うのである。そして、以下のように述べる。

これから自分が申し上げることが少しでも分かってしまった人は、自分と同じような生きづらさを抱えている可能性が高いです。ですから、自分はこの最終意見陳述については「で、それが何?」という反応が大多数を占めることを心から望んでいます。[123]

あの最終意見陳述をあれだけ丁寧に説明して理解されないのであれば、筆者としてもお手上げで、もはや沈黙するしかないのだろうと思うのだが、これはおそらく、誤解を恐れずに言うのであれば、「狂気」は「狂気」を持った者にしか理解されない、ということになろう。叫びながらそこらじゅうのものを破壊する者の気持ちを――想像しようと努力することは誰にでもできるが――想像できるのは実際にそのような衝動に駆られたことのある者であって、暴れる者に「どうしちゃったの」と声をかける者ではない。新幹線で殺傷事件が起きたことを「信じられない」と表現する者ではないのだ。
 言葉には、ふたつの側面がある。語義と価値だ。ここでいう、通じる言葉がないというのは、文字通り、語義の次元で情報が共有できないということではなく、同じ価値を持った言葉を共有しないから伝えることができないということである。たとえば英語圏で、宗教的な理由から気軽に「God」と口にすべきでないという考えから、「Oh, my God.」ではなく「Oh, my gosh.」、「Oh, my goodness.」という表現を使うという話があるが、一般的な日本人にとっては、その「God」が「神」を意味する語だということはわかっても、どのような重みを持つ言葉なのかはいまいちピンとこないだろう。より身近な例では、ひとを「亡くす」という表現がそうかもしれない。「亡くす」という言葉が「死なれる」ことだと「知って」いても、その意味するところを「理解」できるかは経験によるところが大きい。すべてが経験によって規定されるわけではないにしろ、アウシュヴィッツから逃げられたはずだと主張する小学生のエピソードを紹介したプリーモ・レーヴィが「『あの場』で事物がどうであったかということと、今日の想像力でそれがどうとらえられるか、ということの間の亀裂[124]」の存在を指摘したように、ある経験から遠くにいれば遠くにいるほど想像力が欠如すること自体は自然なことだろう。
 しかるに、われわれの日常を超えた事象については、理解どころか想像すら難しいのかもしれない。そこで、次のような事例を考えてみる。

ホロコーストと表象の問題、これはこの語に絶えずとり憑いてきた証言のアポリアと深く関連している。ガス室や焼却炉から生還した者は一人もいないのだから、ホロコーストと呼ばれる事態を当事者として証言することのできる者は誰もいない。そして生き延びた者はガス室で行われたことを目撃していない(体験していない)のだから、やはりこれについて証言することはできないのだ。 したがってホロコーストは――そしてその象徴であるアウシュヴィッツは――表象不可能な何かをその内部に刻印されているのである。ここから歴史修正主義という一つの転倒した主張(「ガス室など存在しなかった」)が生まれる(だが、(……)おそらくこの種の転倒は「ホロコースト」に外部から降りかかってきた災厄なのでなく、むしろこの語に内在的でさえあるのだ)。[125]

証言の「アポリア」は上記の引用が指摘するとおりだが、問題はむしろ、ある特殊な状況にいた者がそれを伝える術を持たず、そうとは知らない者がその特殊な状況を理解できないが故にそこにいたはずの存在すら拒絶する、「断絶」なのである。そして、その「断絶」を認めなければ、それを埋める作業もできない。
 もちろん、「これから自分が申し上げることが少しでも分かってしまった人は、自分と同じような生きづらさを抱えている可能性が高いです」という言葉を引用したように、「『生きられない』生」などというものは理解できないほうが「健全」だという発想はできる。それに、「健全」とされる在り方はそれなりに「生きやすい」ものだろう。けれども、説明するという行為には可能性があるとともに、さまざまなものが付きまとう。

もし私が自分自身を説明しようとし、自分自身を認識可能で理解可能なものにしようとするなら、(……)この語りは、私のものでないもの、あるいは私だけのものでないものによって方向を失ってしまうだろう。[126]

なにをどう説明しようとも、言語を持たなかったり、ありとあらゆる規範を無視したりすることはできない。「私のものでないもの」、「私だけのものでないもの」は絶えず、自分が自分自身を説明しようとする行為につきまとう。「自分自身を認識可能で理解可能なものにしよう」としても、その試みが独立して存在することはなく、むしろ以下で述べられているようにある種の不可能性から逃れることはできない。

私が言説を用いて行う私自身の説明は、この生きた自己を決して十全に表現したり、伝えたりすることができない。私の言葉は、私が言葉を提示すると連れ去られ、私の生の時間と同一でない言説の時間によって中断される。[127]

だからこそ、「『私』が自分に説明を、自分自身の出現の条件を含んでいるはずの説明を与えようとするとき、『私』は必然的に社会理論家にならざるをえないのである[128]」。バトラーの言う「自分自身を認識可能で理解可能なもの」として描写する際、借りてきた言語と規範のみでは到底語り得ず、社会理論家の如く前提から問わねばならなくなるのだ。
 また、語りそのものの構造のみならず、誰かの代わりに語ることの問題もある。インド出身の女性知識人として自らの西洋との「共犯性」を認識しながら被抑圧者を記述したガヤトリ・スピヴァクが述べたように[129]、その構造や定義からして「サバルタンは語ることができない[130]」のである。また、アウシュヴィッツで化学者という特権的な存在として働いていたレーヴィは「地獄の底まで降りたものはそこから戻って来なかった。あるいは苦痛と周囲の無理解のために、その観察力はまったく麻痺していた[131]」と述べ、「その地獄の底まで降りなかった[131]」自分は本当の証人ではないという見解を示している。
 このようなことをふまえて、「『生きられない』生」にも同じことが言えるのではないだろうか。つまるところ、本当に「生きられない」状況にいる者は、おそらくそれを語ることはできないし、記述する力を持たない。これこそが事態をさらに複雑にしているのであるが、「生きられない」ことを記述できるのは「特権的」な立場にいる者なのだろう。「『生きられない』生」という概念は、それが理解できない者のみならず、「生きられない」人々自身からも疎外され、言語や言説、規範によって行方を晦ませているのである。

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[122]前掲書、『生ける屍の結末』、二八〇頁。
[123]同上、二四一頁。
[124]前掲書、『溺れるものと救われるもの』、一七二頁。
[125]長田陽一「燔祭/ホロコーストと応答可能性」『京都光華女子大学研究紀要 第48号』(二〇一〇年一二月、五七~八八頁)、京都光華女子大学、五九頁。
[126]ジュディス・バトラー『自分自身を説明すること』、月曜社、六六頁。
[127]同上、六五頁。
[128]同上、一六頁。
[129]日本平和学会編、萩原能久「オリエンタリズム」『平和を考えるための100冊+α』、法律文化社、一〇一頁。
[130]ガヤトリ・スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』、みすず書房、一一六頁。
[131]前掲書、『溺れるものと救われるもの』、一〇頁。

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