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【雑談】頭のふやけたニートが本気出して今後の展望を考えてみた結果【映画『ウインド・リバー』】

 本当は一刻も早く寝るべきなんでしょうけど、思い付いたような思い付いてもないような気がしたので、少々失礼したいと思います。頭はふやけていますが、それが示すところにつきましては適当にご想像いただくことにして、話を進めて参りましょう。

 まあ結論から申し上げれば今後の展望もクソもないわけですが。そうしたことについて述べてみようと思います。
 何らかのかたちで「仕事」をするのであれば(いずれは他の道に進むにせよ)すぐに辞めることにならなさそうなもの、つまり、続けられそうなものが良いのではないかと考えています。でも、それが難しい。
 お稽古事はもっとも長いもので18年間?19年目になるくらいには続いてるけど、アルバイトなんか数ヶ月続いた試しがない。レッスンが、練習すること大好きで辞めたら死ぬだろうくらいには思ってるけど、世の中にそういう「仕事」は多くない。自分を改善していくことだけに集中できる仕事は。バレエダンサーはある意味でそういう仕事かもしれないけれど、どれだけ努力しても自分みたいな人間は相容れない世界だろうと思う。そのために業界を改革してやろう、とか思うほど戦闘力の高いタイプでもない。合う人たちでやっていけばいいんじゃないだろうか。
 自分に続けられそうなことはたくさんあるし、努力できることもたくさんある一方で、じゃあそれが仕事になる算段がつきますか?と言われればまったく。

 これだけは述べておかなければならないと思うのだが、正直、個人的には、好きなこと(だけ)をやりたい、みたいなことはない。続けられて、反社会的じゃなくて(できれば社会に還元できるようなことで)、ご飯が食べられればいい。
 ただ、義務教育を途中までしか受けられず、高校大学と通信制できた人間にとっては、あるいはもっと踏み込んで、様々な(健康上の?)問題を抱える人間にとっては、普通の人間を振りをするだけで精一杯だし、そうしなくていい環境も少ないし、普通の人が普通にできることができないから同じ職務内容じゃあまったく割りに合わない(命と引き換え、くらいだったらできると思う。がんばれば)。だからまあ、お稽古事や大学での聴講含め、目の前にあることには真摯に取り組んでみているけれども。それが、この先にどう繋がっていくのか、あるいは繋がらないのかがわからない。

 あーあ、話しちゃったよ笑。あまり知り合いから個人を特定されかねない話はしたくないので、いろいろ伏せておきたかったんですが。仕方あるまい。見栄とかはないつもりなんすけどね(つもり)。どう思われたっていいけどさ、今生きている世界での面倒ごとには巻き込まれたくない。対応できるだけの余力がないから、気付かれたくもない。匿名の、匿名の、匿名の。

 これまでの経験上、無理をして「普通」に合わせても結局合わせきれないのはわかっていて。合わせきれないだけじゃなくて、1週間がんばったら1週間休養しないと身体が持たない。そりゃ電光掲示板生まれたかったし風呂にも平気で数日間入らないわけです。

 奇しくも今日(厳密には昨日)、人生のロールモデルとなるような人を見付けることができた気がした。自分がなりたいものではなかったし、目指している方向性でもなかったけど、ひとつの生き方として自分には合っているのかもしれないと思いながらお話を聞いていた。でも、それはそれで道筋が見えない。

 本当は、就活なるものも若干はしてみたけれども、条件とかそういうこと以前の人間として扱われるか、という点において(様々な面で「普通」以外の人間の存在は想定されているのか?という意味において)、困難が多くあったというか、こういうところだと自殺を覚悟しないと働けないんだろうな、と思わざるを得ない状況がいくつもあることに辟易して、続かなくなってしまった。就活しても就職先が見付からないなら時間の無駄。ごめんね、言いすぎたかな。
 八方塞がりだ。だから少しべつの視点で考えたい。なんかもう、やりたいことをやってみちゃったらどうなのかなぁ、とか。ときどきあるよね?実際にやってみたら、もう手を離すことができないようなものと出会えているとき。まあ、出会えないことのほうが多いかもしれないけれども。笑
 八方塞がりだけど、夢?を見て。目標を持って進むことを、バカにされるのが嫌なのかもしれない、自分が弱いから。それと、面と向かってというほどでなくても余計なことを言ってくる人には、嫉妬が抑えられてへんちゃうん?と思ったりもする。

 弾けちゃうべき?なんかなぁ。弾けちゃって、適当に、人間として輝けるように、努力はたくさんして、これまで以上にバレエもヴァイオリンもピアノもがんばります。というか、がんばるしかないんでしょう。

 孤立した生き方はしない。それはもう、絶対に。

 人様の前で言うのは憚られるけど、『ウインド・リバー』のテイラー・シェリダン監督の言葉が理想。

「世の中には、語られなければならない物語がある。そうした物語に鏡を当てて、それが映し出すものを我々の社会に反映させ、願わくば何らかの変化を起こすことが出来ればと思っているよ。けれどもそれをやる時に、エンタテインメントという側面を忘れてはいけないとも思っている。それが真っ先に来なければ、誰もわざわざお金を払って説教くさい映画を観たくはないだろう?だから私の仕事は、観客を楽しませること。その過程で知られざる問題に光を当てられれば、よりその体験を力強いものに出来るのではと考えてるんだ。」

 つまり、ひとりでも生きづらい人が減るようにこの国の地殻変動に文化的側面から力添えがしたい。具体的には、ステレオタイプ的価値観や社会規範を問い直すような仕事を、単にエンタテインメントとして楽しめる表現方法でする、ということだし、(これまでもそう思って生きてきたけど)常にエンターテイナーでありたい。人を楽しませることができる人間でありたい。

 そこまではっちゃけられたら、楽しそうだけど。明日の自分、後悔すんなよ。退路を断つほうが進めそう。たぶんこの記憶は曖昧か、なくなっちゃうもんね。

 なんかもう何を言ってるのかわからないね。頭がふやけてるから。おやすみなさい。よい夢を。よい1日を。

【後日談】



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