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映画鑑賞とTDLと水戸黄門

ここ数年、映画やドラマを見るのはこれまでもう何度も観たこともある旧作ばかりだったりする。もちろんたまには新作も観るけれど、もう普段から新しい情報にボクの頭のキャパはいっぱいで、楽しむための容量が残ってないのかもしれないのかもな…なんてふと思ってる。

そういえば、ボクが社会人デビューした ぴあ総研で当時「遊びの研究」ってプロジェクトがあって、ボクも携わってたんだけどさ、そこでは「どうして既に知り尽くしてるディズニーランドは何度もリピートするのか?」ってテーマがあって、ふとその理由を思いだしたので書いてみる。

ボクがそのプロジェクトのアシスタントをしていたのはもう30年以上も前なんだけど、当時のテーマパークといえば「最高時速●●km!」とか「最大傾斜角●度!」とか、いわゆる絶叫系の乗物が前世紀の時期だったんだけどやっぱりTDLは強かったわけ。で、「何故なのか?」と。

これは水戸黄門なんかも同じロジックなんだけど、毎回ストーリーのディテールは違っても、大まかな筋書きは決まっていて、最後は印籠だして「水戸光圀様ですかー!ははー!」ってオチは決まってるんだけど、時代劇ファンは毎回見ちゃうのよね、と。時代劇はだいたいこれ。

人は、先が読める展開をそのままなぞられると刺激はないものの《安心する》んだそうだ。で、その「安心感はクセになる」んだそうだ、と。TDLも元はディズニーの物語を具現化した施設でボクらは小さい頃からそのストーリーは知ってるわけ。ピーターパンも白雪姫もさ。で、再現されると。

「そうそう、次はこうなって、こうなって…」って、初めて経験するのになんとなくわかる。これ。 これがクセになるらしい。「うん、これこれ」って安心する。

冒頭に話しは戻るけど、ボクが最近映画の最新作も受け付けなくなってるってのと通じてるのかな、と。


そもそもYouTubeの10分くらいならいいけどさ、最初っから約2時間も自分の時間をとられる映画ってさ、やっぱり途中でも「なんかつまんなかった」ってのはものすごい時間を損した気持ちになっちゃうってのもある。また、普段から頭使って疲れてるところに最初っから登場人物多すぎたり、設定が複雑だと「もう勘弁!」っていう気持ちも正直、ある。

「いやいや、今やVODでいくらでも見放題なんだから次々見ればいいじゃん!」って意見もあるけど、残念ながらそういうことするのも体力いるんだw そんなカンジだから安心する旧作何度も観ちゃうんだろね。


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