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世界は素晴らしすぎるほどに素晴らしい

嘆いてばかりになってしまったから、ここでもう少し前向きに世界を捉えたい。


Celia: O wonderful, wonderful, and most wonderful wonderful, and yet again wonderful, and after that, out of all whooping!(3.2 As You Like It Shakespeare)
シーリア:ああ、素晴らしい、素晴らしい、なんと素晴らしいことか、なおいっそう素晴らしい、そして、言葉にできぬほどに!(『お気に召すまま』 シェイクスピア 拙訳)

世界は素晴らしすぎるほどに素晴らしい

先の記事で世界は汚いとか、絶対的な価値なんてないとかなんとか言い続けていたけど、私はそれでもこの世界のことが大好きだ。

日々、辛いこともあるけれど、嫌いにはなれない。

この世は素晴らしいし、美しいから。

突然どうした。となると思う。

このnote自体も現代社会に反抗するためだと言ってたではないか、と。

それは当然その通りで、この世の若者たちの感性の衰えを嘆いていることは事実だ。

ただ、本当にどうでもよければ、退化した若者(もう30代は若者ではないだろうが、長い歴史を見たら生まれたての赤子のようなものだ)を全く無視して自分の生活だけに注力して一生を終えれば良いだけの話になる。

でも、それを見過ごせないくらいこの世界や生きている人たちが愛おしくてたまらない。

まさにその感覚が、今日の引用である。

正直翻訳なんて付け加える必要もないくらい単純明快で、むしろ翻訳しない方がダイレクトに感情を読み取れるはずだ。私の下手くそな文章より私の感情を説明できているとさえ思う。

シェイクスピアは戯曲なので、全て言葉で説明しなければならない。だからとんでもなく長いセリフになりがちな訳だけれど、西洋は聖書の影響か、言葉ベースの文化があるようだ。我々日本人の感覚として、もしかしたらやりすぎだろう、と思うかもしれない。(むしろ、古き良き日本人を思い起こすためにはそれくらいの違和感を持って向き合うべきなのかもしれない。)

妙(素晴らしい、素晴らしい)

ともかく、今日の引用は単なる向こう岸の話ではない。

金沢出身の仏教学者の鈴木大拙氏という方が居る。

氏は禅がなんたるかというものを世界に知らしめた偉人で、もしかしたら日本人よりも海外の人によく知られているかもしれない。私はこの人を尊敬している。また禅について記事を書くと思う。

氏は上に挙げた『お気に召すまま』の引用を自身の筆で記している。

日本語で言う「妙(みょう)」をいかに英訳しようかと考えている時にこれだ!と見つけたものらしい。

これを読んでいる日本人には、この妙の感覚を思い出してほしい。

年を経て厚みが増す?余白がなくなる?

前回のnoteに書いたように、私にとって、夏の日のそうめんがこの上なく素晴らしいものだった。本当に琴線に触れた思いをした。

このこころを忘れていないだろうか。

人は年をとると時間が早くすぎるように感じるらしい。

まだ四半世紀も生きていない私でさえ時間の経過に驚かされる日々を過ごしている。そのカラクリはこうらしい。

人間は新しいものに触れると驚く。その経験の繰り返しが人生の厚みを増していくことにつながる。

ただそれの厚みに比例して、自分にとって新しいものが減ってきてしまう。

そうすると驚くことも減り、日々を無為に過ごしてしまう。新しい発見を書き込むノートの余白がなくなってきてしまう(ように感じられる)。

小さい頃は1時間に100個のことに驚いていたとしても、今となっては1時間のうちに1つや2つ驚くことがあれば良いだろう、と言う程度になっている。

目を閉じてみる

そりゃ時間も早く感じるわけだ。じゃあそれは仕方がない?

そうではないと思う。生活には沢山の素晴らしいものにあふれている。ふと目をつぶって30秒でも周りの音に耳を傾けてみてほしい。

どんな音が聞こえるだろうか。

電車の音、ヘリコプターの音、隣人の笑い声、タイピングの音、エアコンの音(前回言ったようにエアコンに頼りっきりの生活をしている)

自然が多いところであればセミの声、木の葉が風に揺れるさらさらとした音、鳥の鳴き声、

実に沢山の音が自分を取り巻いていることがほんの一瞬耳を傾けただけでわかるのだ。

そんなの当たり前だ、と思わずに、これだけ沢山のことを自分は取りこぼしているのだ、と思ってほしい。

海の近くに住んでいると目新しさもなく海に行かない、とか

降雪地域だけど逆にスキーに行く気しない、とか

こう言う人は少なくないと思う。近いからこそ、「なんか、わかっちゃってるんだよね」感を出して関わろうとしない人。

小さい頃の自分を思い出してほしい。小さい頃見た風景を思い出してほしい。

おそらく今以上に素晴らしい光景を見ていたと思う。

過去は綺麗に映ったりするし、物理的に目も衰えて鮮やかさが失われたり視力も弱くなっていると言うこともあるだろうが、そんな些細な違いを無視できるほど昔は色々なことに一喜一憂していたはずだ。

過去は辛い思いをした記憶しかない、そんな人もいると思う。生まれたての時はどうだっただろうか。初めて目を開けて、外の世界を見た時はどうだろうか。

1度目を閉じて、そんな気持ちでもう一度目を開けば、「妙」な世界が待っているはずだ。

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