Twitter垢復活しました
前回の記事を書いた次の日に友人との電話で号泣するという痴態を晒すこととなりました。お疲れ様です。
原因としては同ジャンルの嫌いな人をTwitterにてブロックできない(これにはまあいろいろな理由があって、共通のフォロワーが多いとかイベントで顔を合わせた時に気まずくなるかもとか)ことがめちゃくちゃ精神に悪影響を及ぼしまして。そもそも今いる沼がだいたいその人が築き上げたようなもので、いわゆる大手さんで、いろんな人から好かれてて、まあ確かにすごい人で、私もその人の作品大好きだったんですけど。
相互フォローになって間もない頃に空リプで喧嘩売られまして。
でも空リプだから確信持てないわけだ。直リプで来てくれたらこちらも殴ることはできたのに、私は、空リプという盾を挟まれた上で一方的に殴られたわけです。
それが約一年前。
そうして私はこの一年間、私に意味の分からない喧嘩をふっかけてきたくせにさも私の方が正しいですみたいな面で創作活動を謳歌している大手サークルがちやほやされているのを間近で見続けてきたわけです。
殺すぞ。
これが泣いた直接的な理由。溜まり溜まった何かが爆発したんだと思う。
そんでもって間接的な理由が、私が本当に尊敬する、4年前に知った物書き様、便宜上私はこの方を神様と呼ぶ、のブログをひたすらに読んでいたからです。
神様はすごい。私に神様と呼ばれるだけあってすごい。文体が凄い、思想がすごい、この神様は唯一無二の武器を持って、その武器で、例えば生きてる証を作り、例えば気に入らない敵を殴って、確かな存在を刻んでいる(ただ本人曰く多分そうではないだろうな、神様の考えは凄すぎて凡人の私にはおよそ言葉で表せられないんだ)。
この神様のブログが、病んでた。
元々この神様が書く話も、いわゆる頭ゆるゆるのハッピーなんたらな話ではなく、生きるとか、死ぬとか、極端に言ってしまえばまあそんな感じの、とにかく私はこの方の考え、あるいは文によって人生動かされているようなものなんだけど。だって神様なんだし人生の道示してくれるじゃん。
気にあてられた。多分。
神様の崖っぷち貧乏生活の話を読んだ。神様の群衆恐怖症の話を読んだ。神様の親しい人が死ぬ話を読んだ。
神様は笑いたくないのに笑ってた。人が怖くて、自分の周り、SNSのみんなは敵だと言った。死んでしまいたいと言った。
気にあてられたんだ。絶対。
私は神様が好きです。大好きです。ストーカーしちゃったくらい好きです。支部の垢を消すと言われた時に、公開されてた作品全部コピーして自分のPCのWordに貼り付けて保管するほど愛してました。
私は神様のような話が書きたかったのです。
でも神様になりたかったわけじゃないのです。
吐きたくないです。泣きたくないです。死にたくはないです。
普通に生きたいです。誰とも喧嘩せず、波風立てず、ただ好きなものを好きなだけ、好きなように、創作したいです。そこに価値を分け合える友人がいたら最高です。
私は神様になれないのではない、神様になりたくなかったのです。
こうして精神を知らない間に少しずつ擦り減らしていた私は、Twitterでずっと存在を消していたはずの例の人のツイートをひょんなことから見てしまい、8月のイベント参加が怖くなり、友人との電話中に泣いたのでした。
まるで他人事なんだけど、現実味が無いのだからしょうがない。
私は泣いたのでした。それが一昨日、日付変わったので一昨々日のことでした。
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だいぶすっきりして、今書いてます。
誰かと自分を比べるのをやめました。やめようと思ってやめられるものではないけど、とにかくやめました。
無理して創作するのをやめました。
周りを敵だと思いたくないので、まずは自分を味方だと、そう信じてあげようと思いました。
爪を切りました。前髪を切りました。喉を通らなかった食事が、おやつ含めて食べられるようになりました。他人の漫画を純粋な気持ちで読めるようになりました。
それはとても、素晴らしいことなのです。そうでしょう?
素晴らしいことなのです。
でも不思議なんですが、そうやって人間になるにつれて、自分がまるで自分じゃなくなるように感じるんです。
地に足つかないんです。
地に足つかないなんてそれ、本当に人間なのか?
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また考えてみるよ、人間は考えることができるから。
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