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8月9日長崎の日。戦争における人間の本質をウラヨミ

8月9日長崎の日

昨日は、長崎に原爆が落とされた日です。「ファットマン」という、プルトニウムを使った原爆で、広島に投下された「リトルボーイ」という濃縮ウランを使った原爆よりも1.5倍の威力だったそうです。

長崎に原爆が投下されてから74年。実は私も無関係ではないんです。

以前のコラムで触れたかもしれませんが、私の祖母は、長崎で生き残った一人だったんです。当時は小学生で、投下された時は学校に痛そうです。ピカドンの後、瓦礫に埋もれ、何とか這い出してクラスを見ると、生き残ったのは3人程だったそうです。

実はこの話は、二十歳の頃に知ったんですが、私の母は養子で、実の祖母は行方不明だったんです。二十歳の時に、実の祖母が生きていたことを知り、大阪にいるという連絡が入ったことで、家族で会いに行きました。その時に、祖母がどんな人生だったかを知り、自分も被爆三世だと知りました。

自分が生まれた奇跡

だからどうってことは何もないのですが、私も戦争と無関係ではないんだなぁと思うことはありました。祖母は、長崎で被爆して生き残り、10代で若くして会社に勤め、たった一度の不倫関係で出来た子供を育てることができず、里子に出されたのが母でした。

その母も、結婚して姉と私を生み、三人目が出来たのですが、私の下の子は降ろしたそうで、順番が違えば、私は生まれてこなかったかもしれません。

私が生まれてきた背景には、長崎の原爆を生き延びた祖母の存在があり、生まれてこない可能性もあったわけですが、そんな中で生まれてこれたのは、奇跡だなと思っています。

人間の本質の表と裏

長崎の原爆では7万4千人もの方が亡くなられたのですが、間接的な被害で言えば、その倍はくだらないでしょう。放射能に被害に遭った方もいるでしょうし、被爆二世の方は障害を持って生まれてきた方もいたでしょうし、遺族の方の苦しみは計り知れません。

私は、人間が嫌いではありません。でも、特別好きでもありません。なぜなら、人間には、愛すべき美しいものを持っていながら、『サピエンス全史』でも述べられていますが、我々「ホモ・サピエンス」が生き延びて、他のネアンデルタール人などが絶滅したのは、ホモ・サピエンスの持つ残虐性というか、弱いが故に、恐怖を消し去るために敵を滅するという一面があるのもまた事実です。

だから「原爆」のような大量殺人兵器を作り、使用することができるんだと思います。その裏では、「原子力」として発電したり、人を殺すとは反対の、育むエネルギーを持ってもいます。ここ74年間、原爆が落とされたことはなく、原子力の恩恵の方が大きかったのですが、東日本大震災時の原子力発電所の放射能漏洩によって、原子力の危険性と直面することになりました。

すでに、「原爆」よりも危険なものだって存在します。例えば、スイスにある「CERN」では、宇宙が一瞬で消滅するかもしれない実験を行なっているとも言われています。また、ロシアの「ツァーリ・ボンバ」という水素爆弾は、「ファットマン」の3300倍もの威力があり、もし投下されれば、文明が滅ぶほどの威力でしょう。

よく、核は「抑止力」と言われていますが、そもそもなぜ「抑止力」になるのでしょうか?

それは、人間の持つ愛ではないダークサイドによるものが原因でしょう。敵や恐怖の対象を排除しようとする面を持っているから、攻撃されないように抑止力が必要になります。しかし、敵だからといって、一方的に滅ぼさないのは「愛」という面を持っているからではないでしょうか。
この「愛」がなくなれば、地球にとって人類は間違いなく害を為す存在となるでしょう。宗教臭いことを言いたくはないですが、人間が存在を許されているのは、「愛」という面を持っているからだと思います。

愛だけあってもダメ

人間には「愛」という面もあり、「残虐さ」の面も持っている。良くないからといって、人間のダークサイドを無くしたり、逆に「愛」だけにしたら、「人間」とは言えないのかもしれません。なぜならそれは、「表」と「裏」であり、その両面を持って初めて人間だからです。愛を無くせば、敵を滅ぼすことになり、いずれ自らも滅びるでしょう。「闇」の部分を無くして「愛」だけになったとしたら、文明の発展もなくなり、自然の猛威や人間以外の生物に滅ぼされることになるでしょう。

つまり、どちらを無くしても、人類は滅ぶかもしれないということです。

別に、人間のダークサイドを推奨したいのではなく、そういう面を持っていることを認識すること。そして、そのエネルギーの使い方によって、原子力にも原爆にもなるということです。どのように使うかは、あくまで人間の心だからです。認識して意識を変えれば、世界は変わると思います。原爆が落とされたり、放射能汚染があったのは、そういった認識を変えるために起こったのかもしれません。そうでないにしても、そういった経験から認識を変えて、人間の闇の部分も受け入れて、「愛」が勝るようになっていければ、もっと良い世の中になるんじゃないかと思います。

日本で唯一被爆した国にして、毎年この時期になれば戦争に関する報道やドラマなどが放送されたり、アジア関係の国は毎度ヤンヤ言ってきますが、人間の本質を分かった上で、向き合っていきたいですね。

宮古島モードが抜けない私ですが(笑)、こういった機会に、久々に真面目なコラムをお送りしました。

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