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「消えた天才シリーズ」やり切ることの大切さ

今回は、久しぶりの「消えた天才」シリーズをお送りしていきます!

安藤美姫が勝てなかったライバル

女子フィギュアスケートで、オリンピックにも出場した安藤美姫選手が、小学生時代に勝てなかった消えた天才が山本あい花さんです。
山本さんも、安藤さんを意識していたそうですが、自然気胸という肺の病気にかかり、命の危険があり、治療によって感知したものの、復帰しても病気の不安があり、練習も存分にできず、成績が振るわなくなり、15歳で引退されました。

その後、憧れでも合ったチアリーダーになり、Jリーグの新潟アルビレックスにに所属し、チームリーダーにもなって活躍され、チアリーダーも引退したのですが、山本さんの夢は、NFLのチアリーダーになることでした。でも、世界一とも言われるその舞台は、自分には程遠いと諦めていた中で、ライバルだった安藤美姫選手が、ソチオリンピック出場に向けて、出産後に挑戦する姿を観たのです。フィギュアスケートは、体型の変化が著しく影響を及ぼすスポーツで、トリプルアクセルや4回転を跳べていても、成長して体が大きくなると共に、跳べなくなることもよくあり、浅田真央ちゃんも、その変化に苦しみ、跳び方を変えたり、コーチを変えたりして挑戦し続けていました。

結局、安藤選手は、7位となり、オリンピック出場はなりませんでしたが、最後になるかもしれない挑戦で、「”ジャンプの安藤”と言われていた、自分らしい滑りができたので、後悔はありません」と、涙を流しながら、満足そうな笑顔で述べてしました。

その姿を観た山本さんも、自分らしくやったらいいんじゃないかと、安藤選手の勇姿に背中を押され、チアリーダーに復帰し、合格者5%と言われるNFLにも挑戦しました。最終選考まで残るも、残念ながら不合格となりました。しかし、安藤選手のように挑戦し、「後悔はない」と言えるまでやり切って、二度目の引退となりました。

その後は、茶道をしていた母の影響で、茶道の講師として活躍されているそうです。

諦めても、新たな夢を持つ

山本さんは、病気によって、安藤選手と一緒にオリンピックに出場するという夢は諦めましたが、憧れていたチアリーダーになり、活躍されました。しかし、その夢への距離に、挑戦することなく諦めましたが、挑戦するライバルだった安藤選手の姿を観て、自分も再び夢へと挑戦しました。結果は叶わなくても、挑戦したことや、諦めても諦めなかったことは、確実に山本さんの中に残るものだと思います。「チアリーダーを辞めることに後悔はない」と言えるまでやりきったからこそ、また新たな道が拓かれるんだと思います。

よく「辞め癖」という言葉がありますが、終身雇用ではない現代では、「辞める」ということは日常的になってきていますが、それでも「辞め方」というのはとても重要なポイントだと思います。やりきって辞めるのか、嫌で逃げるように辞めるのか。私は、最初に就職した会社は、逃げるように辞めてしまいました。その後も、転々としましたが、その後、自らを逃げられrない状況に追い込み、やり通すという経験ができたことで、「辞める」ということへの考え方や、仕事への考え方は変わったように感じています。

逃げるように辞めてしまうと、それが癖として残ってしまうこともあるし、過去に捉われて生きることにもなります。未来への道は、過去に捉われていては拓かれません。その為には、諦めるにも現状を受け入れなければなりません。今を見ずして、未来はないということです。その今がどんなに辛買ったり望まないものでも、今を受け入れて進む先に、望む未来があるんだと思います。

きっと、何かしら今と向き合うきっかけがあるはずなんですが、それを見過ごしてしまうと、今と向き合うことはできないのかもしれません。そのきっかけは、人によって違い、山本さんの場合はライバルの存在がきっかけでしたが、大抵は怪我や病気だったり、不遇な状況だったり、自分にとって都合の悪いことの方が多いのかもしれません。まさに、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」というのが、今と向き合い、受け入れるということなのかもしれません。

挑戦することに、誰も文句を言うべからず

安藤選手が出産後、オリンピックに挑戦しましたが、その挑戦は賛否両論で、様々な批判もありました。結果も7位とオリンピック出場は叶わず、「ほら見たことか」と言われることもありました。ただ、挑戦することに、何を批判することがあるでしょうか?挑戦することに批判するなんて、本当に馬鹿げていると思います。挑戦することこそ「自由」ではないでしょうか?

観る人が何を言うのも自由かもしれませんが、自由を貫くには、代償も必要です。安藤選手は、何を言われても、自分が納得する演技をする為に出場し、その結オリンピックに出場できなくても、それは結果として受け入れる覚悟で臨んだんだと思います。しかし、自由に批判した人に、その覚悟はあったでしょうか?そんな覚悟もない癖に、「自由」を盾に好き勝手批判する奴には、「オラでぇきれぇだぞぉ」と悟空のように言いたいですね。

挑戦するということは、相当の勇気と覚悟がいります。例え無謀な挑戦でも、挑戦する勇気と覚悟を踏みにじる権利は誰にもありません。批判される覚悟がないなら、批判すべからず。まさに、撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ!というルルーシュの言葉のように、「自由」は自分にもブーメランのように帰ってくるいうことを、忘れないでいたいですね。

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