スクリーンショット_2019-08-09_15

【宮古島旅行記】宮古島でまさかの終活

宮古島モードでお送りする第2弾。今回は、宮古島で触れ合った終活についてお送りします。

宮古島でまさかの終活

初めての宮古島旅行で、まさか終活をすることになるとは思っていませんでした(笑)

終活とは、自分の死と向き合い、死ぬまでにどのように生きるか。人生の最期をどう迎えるか。ということを考えたり、死に際して準備する活動のことを言います。

今回の旅行で考えることになった終活は、「お墓問題」です。

人は死んだらお墓に入ると思いますが、宗教や宗派によって、そのしきたりやあり方は変わります。今年の2月、熊本の天草に行き、熊本には当家のお墓がありますが、私にとっては天草は縁が無く、お墓詣りに行くにも大変です。その墓に私が入るのも、何かちょっと違う気がします。

おばあちゃんも父も、同じお墓にありますが、お墓詣りに行くのも、正直大変だったりします。父とは生前、そういう話もして、お墓まいりしやすいように、分骨しています。

お墓参りの意義

そもそも、お墓参りって必要でしょうか?

「私のぉ〜 お墓のぉ〜 前でぇ〜 泣かないでくださいぃ〜
 そこにぃ〜 私はぁ〜 いません〜 眠ってなんかぁ〜いません〜」

という歌にあるように、お墓には骨があるだけで、千の風があるだけで、魂がそこにあるとは思えません。

一つ断っておきたいのは、お墓参りを否定するつもりは一切ありません。ただ、お墓詣りの時だけ感謝したり、思いを馳せるのが違うんじゃないかと言いたいんです。

私は、毎日父やおばあちゃんのことを思ったり考えたりします。家族といるときは、思い出話もするし、真似をして笑いあったりします。自分が同じ立場だったら、一年に一度だけお墓に参るよりも、毎日では無くても、時折思い返してくれて、思いを馳せてもらった方が、嬉しく思います。だって、「そこに私はいない」んですから。

そもそも、お墓云々というのは、宗教的な問題であって、維持するのにお金もかかったりします。そして現代では、無縁仏が増えていたり、家族も複雑になっていて、従来のお墓のシステムでは対応しきらなかったりするようにも思います。

海洋墓標という命の巡り

宗教や死生観も人それぞれですが、私は、死んだら散骨でいいかなぁと思ってたんです。
そこで、本題ですが(笑)、今回宿泊した「イリオス」に併設されたカフェ「タソス」の女性スタッフの方と、朝食の時に色々話していたら、「エルカ」という海洋墓標という埋葬があること教えてもらいました。

「私は、死んだらこれにするって決めてるんです!」

差し出されたのはこちらパンフレットだったんですが、「消石灰」という素材で、海洋墓標を作り、その中に自分の骨を粉骨して入れ、沖縄の海に沈めるんです。この「消石灰」は、8ヶ月もすれば海水に溶けるそうなんですが、サンゴの栄養になるんだそうです。つまり、自分の骨がサンゴたちを育む栄養になるんです。海の音は命の音というコラムで述べましたが、宮古島の海ではパキパキという、サンゴの命の音が聴こえます。美しい海や綺麗な熱帯魚を見られるのは、サンゴのおかげでもあります。

今回初めてシュノーケリングをして、サンゴの命の音を聴きましたが、海洋墓標として海中に沈み、自分が死後、沖縄の美しい海や綺麗な熱帯魚たちを育むサンゴの一部になれたら、それは幸せなことだなと、私は思いました。
まさに、これこそ自然な命の輪廻だと思ったんです。

同じ散骨でも、海洋墓標にすることで、サンゴの一部になる。死んでもなお、檀家となって宗教に縛られることなく、感動した美しい海やサンゴの一部になれる方が、よっぽど幸せなことだなと思います。残された家族には、普段何かの表紙に思い返して笑ってもらえたら嬉しいし、お墓詣りに行くくらいなら、宮古島に旅行に来て、美しい海や満天の星空を味わってもらいたいと思います。

まだ終活には早いかもしれませんが、人はいつ死ぬかわかりません。終活に遅いことはあっても、早いことはありません。もしかしたら、また別の方法を望むこともあるかもしれませんが、今の私は、「エルカ」の海洋墓標を利用して、サンゴの一部になりたいと思います。

興味がある方は、HPを貼っておきますので、ぜひチェックしてみてくださいね!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?