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『インハンド』第2話から感じる、物事の表と裏

さすが「ドラマはTBS」

「ドラマのTBS」と言われていますが、今期のドラマはTBSが強いですね。まぁ、個人的にそう思うだけなのですが(笑)『わたし、定時で帰ります。』や、日曜劇場『集団左遷‼︎』も面白そうですし。
『インハンド』も、期待通り面白く、今回は第2話から感じた表と裏について述べていきます。ネタバレもあるので、これから観る方は、ドラマを見てからコラムを読んでくださいね!

簡単なあらすじ

日本では見ることがない、「ハートランドウイルス」に感染した患者が見つかった。「シカダニ」というダニに噛まれると感染し、死に至るという危険なウイルスだ。感染した女性にはダニに噛まれた痕はなく、さらに7人の感染者が見つかった。誰もダニに噛まれた痕が無い為、接触感染したものと思われる。このことから、紐倉(山P)は、「チフスのメアリー」を思い出し、感染しながらも発症しない「スーパースプレッダー」の存在を指摘した。

最初に感染した女性には9歳の息子・渉がおり、父は離婚していなかった。感染経路を調べていくと、渉の父親に行き着いた。感染者は皆犬を飼っており、ドッグイベントに参加していて、そこで感染したと思われる。
渉の父は貿易会社社長で、海外でダニに噛まれ、感染したと思われる。そして、最初に感染した渉の母は亡くなってしまう。
紐倉(山P)たちは、渉の父の家に潜入すると、父は既に亡くなっていた。ドッグイベントにも参加しておらず、参加していたのは渉だった。渉が「スーパースプレッダー」だったのだ。厚生労働省により、渉は隔離され、メディアでは感染元となったスーパースプレッダーのことを「生物兵器」呼ばわりする。

自分のせいで親が死んでしまった事実を突きつけられた渉は、紐倉の元に逃げ込む。助手の高家(濱田岳)と牧野(菜々緒)が駆けつけるが、渉は「僕は兵器なんだ!いなくなった方がいい!」と自暴自棄になる。紐倉はそんな渉に、自分の右腕がなぜ義手になったかを説明する。飼っている犬に傷口を舐められ、そこから菌が入り、壊死してしまったんだと。しかしその犬を恨んでもおらず、一緒に住んでいる。「悪いのはウイルスだ」と。

「渉は兵器でもなんでもなく、進化した人間であり救世主だ。抗体を作ることができる唯一の存在なんだ。」
「人類を代表してお願いする。生きてくれ。」

そう伝え、渉は生きる決意をする。

「チフスのメアリー」とは

「腸チフス」という感染病があり、1900年初頭のアメリカで、富裕層を中心に47人もの感染者が出た。原因を調べていくと、メアリー・マローンという住み込みの料理人から感染したことがわかり、本人は無自覚のまま仕事をしていく中で感染を広げていってしまった。彼女がスーパースプレッダーとわかった後も、彼女は日常生活をする為に、また料理人をしたことは、かなりの批判を浴びたそうです。

「スーパースプレッダー」という無症候性キャリアという存在は、決して多くはありませんが、倫理的にも、その後の対応は気をつけないといけませんね。100年以上前のことだから、配慮が足りなかったこともあるかもしれませんが、100年後の未来から今を見たら、足りていないことは沢山あるんでしょうね。そういう視点で今を見るということも、大切なことだなと実感します。

表面的なことしか報道しないメディア

ドラマの中の話とはいえ、ある一人の少年から感染し、その背景は本人の心情にフォーカスされることはなく、安易に「兵器」呼ばわりすることは、観ているだけでも腹が立ってきます。それは、私たちがメタ的な視点で観ているからです。感染源となった渉の心情も、渉の周りで起こったことも、自分が原因で親が死んでしまった苦しみも、わかる訳です。端から見れば、「スーパースプレッダー」という誰かから感染して死者も出たという事実しかみえません。言うなれば、「スーパースプレッダー」の危険性と、誰かを死なせた事実しかみえない訳です。

例えば、何かの犯罪があったとして、その事件はメディアで特集されます。そこで報道されることは、なぜ事件が起きたのか、事件の経緯や何が犯行に使われたかなど、表面的なものしか報道されません。
その犯罪者の心情や犯罪を犯すに至った背景は注目されない訳です。裁判においては「情状酌量」があるかもしれませんが、どんな事情であれ、確かに犯罪を犯した事実は変わりません。しかし、もっと本質的なことを見ていかなければ、犯人を捕まえるということではない、本当の解決には至りません。

「チフスのメアリー」ではないですが、事実を明らかにすることや捕まえることで解決したのではなく、本質的に、なぜこのようなことが起きたのか。こういった事件を繰り返さないようにするには、犯人の背景を知り、感情を抱くことだと思います。報道だけではわからないことを、「物語」として観ることで味わうことができます。こういうところが、ドラマやアニメなど、本当の意味で「物語」が必要なこと理由ではないでしょうか。

人間兵器と救世主は紙一重

紐倉は、「人間兵器」と呼ばれ苦しんでいた渉に対し、その逆である「救世主」だと伝えました。

アインシュタインが、人類を進化させる為に提唱した「相対性理論」によって、「原子力」が生まれたのですが、アインシュタインは、何百何千万人を殺した悪魔と言われているでしょうか?日本に核が落とされた時、日本愛好家でもあったアインシュタインは、ひどく悲しんだそうです。しかし、核そのものに罪はありません。核を落とそうとした人間の思惑や時代背景、はたまた陰謀論まであります。

渉も、自分が望んで感染したわけでも「スーパースプレッダー」になったわけでもありません。紐倉も「悪いのは君ではなくウイルスだ」と言いました。むしろ、渉がいるおかげで「ハートランドウイルス感染者」を救うことができるわけです。「原子力」だって、人を殺す「原爆」にすることもできるし、人を救う「エネルギー」にもなり得るわけです。それだけ危険だから生まれる恩恵も大きいわけです。

つまり、どんな物事にも表と裏、陰と陽があり、そこで大事なのはその両面をわかった上で、どう使うかということです。「原子力」というものも、昭和・平成の時代においては大きな恩恵がありましたが、原爆として使われたり、東日本大震災の津波によって、「放射能汚染」というものがあり、「原子力」の危険性も、特に日本は身を以て体験しました。その恩恵と危険性の両面を知った上で、扱いきれないのであれば、扱うべきではないかもしれません。

ちょっとナイーブなことなのでこれ以上は言いませんが、物事の表と裏、どちらを見るかによって、捉え方は180度変わります。つまり、「悪魔」と思われているような人は、「救世主」にもなり得て、「救世主」と思われている人は「悪魔」にもなり得るわけです。

使い方によって、神にも悪魔にもなれるものが、誰の中にもあるのかもしれません。自分は良いと思ったものでも、誰かにとっては悪いものにもなり得ます。じゃあどうせいっちゅうねんって感じですが、結局は、自分の信念を貫くしなないのかもしれませんね。そして、それができるのは、命懸けで自分と向き合い、自己信頼を高めることに他なりません。

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