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「泣いた赤鬼」から見え隠れするもの

みなさん、「泣いた赤鬼」と言う絵本はご存知ですか?

ご存知ないと言う方に、簡単なあらすじを。

ある所に、心の優しい赤鬼がいました。赤鬼は、人間と仲良くなりたいと思っているが、その見た目から、人間からは怖がられている。「心の優しい鬼の家です。お菓子やお茶を用意してますので、どうぞお越しください」と書いた看板を出すも、不審がられて誰もきません。そこに、友達の青鬼がやってきて、人間の村で悪さをするから、懲らしめてくれたら、きっと人間の友達ができるよ、と村に行って暴れます。赤鬼は仕方なく青鬼を叩いて懲らしめると、人間たちは、赤鬼は私たちを助けてくれたいい鬼だと思い、赤鬼の家に遊びに行くようになった。ところが、青鬼は姿を見せないようになり、気になって青鬼の家を尋ねると、そこには赤鬼への張り紙があった。「僕と一緒にいたら、人間達に疑われてしまう。だからしばらく会わないように、旅に出ます。」その貼り紙を見て、赤鬼は泣き続けました。いつまでも泣き続けました。

と言うお話。皆さんはどう思いますか?

「Re:ゼロから始める異世界生活」と言う神アニメがあり、その中でもこのお話が出てくるのですが、その中では、「どちらも報われない、寂しいお話」という感想や、「どちらも馬鹿なんじゃないの?」という感想がありました。

最近、実は初めてちゃんとお話を聞く機会がありました。そこで私が感じたこと。

「これ、ジョーカーゲームやん」

青鬼も赤鬼も、心が優しい鬼で、「人間と仲良くなりたい」という目的だったからこそ良かったものの、もしも、人間を騙して食べてしまう、という思惑があったとしたら、人間達はコロッと騙されて、まんまと青鬼と赤鬼に食べられて、はいおしまい、ちゃんちゃん♪というお話になってしまいます。

もちろん、俯瞰で見ているから、私たちは鬼の目的がわかるので大丈夫ですが、物語の中に人間の立場であれば、とても危険だなと思いました。個人的な感想は、人間って馬鹿だな、ということです。

このお話は、健全なジョーカーゲームだったから良かったものの、極めて詐欺の手法に近いものがあるんですよね。最近よく話題に出している「下町ロケット」でもありますが、困ったからこそ手を出した先に、罠が待っています。

赤鬼と人間の友情は、言わば本物ではありません。その後、本物になるかはわかりませんが、それがわかっていたからこそ、青鬼は姿を消したわけです。手法としては、とても詐欺に近いですよね。

私たちも気をつけないと、何か問題が起きて困っているときに、手を差し伸べられた時、それが本当に助けられたものなのか、気をつけなければなりません。人は、追い詰められた時に、正常な判断は中々できないものです。ジョーカーゲームを仕掛ける者は、それを分かった上で仕掛けてきます。追い詰められた先の選択肢は限られたものです。「悪魔は天使のように近づいてくる」とも言います。差し伸べられた手は信用できるのか、「安易な善意」には十分に気をつけましょう。

このお話は、色んな教訓があり、とても考えさせられるお話ですが、今回は、「ジョーカーゲーム」という視点で捉えてみました。
相手の心というのは、わかりません。結局信じられるのは自分だけです。安易に人を信じるのではなく、「信じると決めた自分を信じる」というスタンスが、大事なんじゃないかなと思います。自分を信じていられる人なら、きっとむやみやたらに人を信じて騙されることは少ないかもしれませんね。


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