ゼロから

【道楽】あれから26年。道楽家へ続く道

あれから26年

26年前の昨日。まだ「ハロウィン」なんてものが海の向こうのものでしかなかった頃、私にとっては忘れられないことがありました。あれとは何か?それは誰にでもあるであろう淡い思い出です。

そう。その時からもう26年が経ってしまいましたが、このnoteを呼んでくれている方の中で、26年前に生まれていなかった方はどれだけいるでしょうか?
当時私は中学1年生。気付けばアラフォーのおっさんです。今もアニメが好きだったり少年ジャンプを読んでいたり、変わったことも沢山ありますが、変わっていないこともあるなぁと実感しています。

男なんて、幾つになっても子供だし私は厨二病の一人ですが、26年前の私は、リアル厨二病でした。中一ですが。私にもそんな時代があったんですね。いと懐かしや・・・。

26年という年月。あっという間であり、少年から大人になっていく過程で、色んなことがありました。いや、色んなことがない方がおかしいんですけどね(笑)

あの頃の未来予想図

中学1年生の頃の私は、今の「道楽家」になった自分を想像することはできませんでした。ほとんどの人が、26年後の自分を想像することはできないでしょう。ドリカムの「未来予想図Ⅱ」という曲を始め、未来を想像する言葉は多く語られていますよね。しかし、具体的な未来を予想することは不可能だし、道楽家としては、形としての未来予想をするのは意に反します

未来予想なんてものではなく、「未来確定」をしてしまうのです。それは具体的な未来ではなく、未来の状態を確定して、具体的な結果はお楽しみにとっておくのです。私は今「保育カメラマン」の仕事をメインにしていますが、わずか6年前でさえ今の自分を予想していませんでした。6年前は別の仕事をしていたし、その前は飲食店の店長をしていたりして、自分のお店を持とうと思っていました。その為に、「事業計画」を作ったりはしていましたが、「未来なんて不確定なことを事業計画にするなんて、嘘くせぇ」と思って、得意ではありませんでした。なので、私は起業家や経営者には向かないのかもしれません。

具体的な未来ほど、確定していても面白くもなんともないし、むしろわかってしまうことほど面白いことはありません。今行われているラグビーW杯の優勝国がわかっていたらどうですか?激しい試合を観るのは面白いかもしれませんが、特にスポーツは結果がわかってしまうと、観る楽しみの大半が無くなります。でも、「今回のラグビーW杯は、史上最高に面白くなる」という状態としての未来を知ったとしたら、めちゃめちゃ楽しみに観られるし、何ならもっと観たくなりますよね?こういう感覚が道楽家なんですよ。

人生を変える鍵は「覚悟」

6年前に今の自分の仕事を全く予想できなかったように、3年前の自分でも、今の自分を予想することはできませんでした。現在「道楽舎」を立ち上げましたが、3年前、もっと言えば半年前でさえ、存在すらしていませんでした。何度も言いますが、具体的な未来を予想することは、無駄でしかありません。もちろん、妄想するのは自由ですが。

もっと言えば、過去に描いた未来である今は、全く予想していないものなのです。
というのも、私自身、3年前に人生をゼロにしてリスタートしました。それは『Re:ゼロから始める異世界生活』というアニメと出合ったことが一つのきっかけだったんです。私のnoteのトップ画像にしようしているシーンがまさにそこです。

ゼロから

「ゼロから!」

ここに至るまでの数年、そうなるようなことが目まぐるしく起きていました。そして、どこかで感情が溢れる瞬間があります。何か大きな変化があるときは、いきなり起きたりするのではなく、溜まりに溜まって、リミットをオーバーした時に起こるものです。

しかし、得てしてずっと嫌だ嫌だ言っていても、リミットをオーバーするまで、その嫌の状況は付きまといます。では、どうしたらその「嫌な状況」を抜けられるのか。それは、敢えてリミットをオーバーさせる為に、不快の海に飛び込むことです。

それには苦しみを伴います。しかし、心の奥底から「嫌だ!」と思い知らなければ、大きな変化にはなり得ません。何か大きな変化をもたらすためには、壁というか、境界線を越えなければなりません。私は「自分と向き合う」ということをとても重要視していますが、その大きな変化をもたらす為に、「自分と向き合う」という「覚悟」が必要だからです。

向き合うのも逃げるのも自分次第

自分自身がそれを体験し、その重要性や必要性を実感しました。嫌なこと、苦しいことがなぜ続くのか。台風のような災害の被害に遭って、外的要因によって、苦しみが続くことはあります。しかし、心の在り方や捉え方によって、苦しみ続けることもできれば、現実を受け入れて立ち上がって進んでいくこともできます。どう感じ、どう思うかは、自分自身なのです。

人は、それを強さだとか弱さだというかもしれませんが、強い弱いではなく、どう在りたいかと思うかだと思います。思いの強さは、味わった経験に比例します。現実や自分と向き合った人ほど、より強い感情を抱き、変化も大きくなるでしょう。

それ以来、私は「道楽家」としての道を歩み始め、それまで手にしていた多くのものを失いました。失ったというより、本当に求めるものを手にする為に、手放した、という方が正しいです。そこに何の後悔も未練もありません。なぜなら、本当に求めるものが手に入り始めたからです。

現在、「道楽舎」を始動させ、道楽家になって、道中を楽しむ為に面白いことをしていきたい、予想がつかないようなことをして衝撃を与えていきたいと思っています。
目の前の境界線を飛び越えたいけど飛び越えられない。そういった方を応援したいと思っています。それがもしこちらだとしたら、思いっきり受け止めたいと思います!


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