シェアハウス・ロック0503

『哲学字彙』

『哲学字彙』は、明治14年(1881年)初版の学術用語集である。編者は、井上哲次郎を中心に、和田垣謙三、国府寺新作、有賀長雄の四人。匿名の協力者も多数いたようだ。
 いままで、「近代日本語をつくった人々」シリーズで紹介してきたように、乱立、混乱していた「発明語」「和製漢語」「新造語」「漢訳語」の統一を画するために編纂されたものである。
『シェアハウス・ロック0418』(「渡辺崋山」の項)で、高野長英のセリフとして「青地林宗が、同士会を起して、オランダ書の翻訳が出たら、正確であるかどうか、各種の術語が訳者ごとにちがっているのを適正なことばに統一しようと提唱した」ことが出てきたが、「発明語」がある閾値を超えると、どうしてもこういう欲求が自然と生まれるのだろう。
 書名に「哲学」とあるが、哲学に限らず人文科学、社会科学、自然科学全般の用語に及び、語彙総数は、初版で1952語である。
 初版は、東京大学から刊行された。
『哲学字彙』の編纂作業の土台になったのは、19世紀イギリスの哲学者ウィリアム・フレミングの『哲学字典(Vocabulary of philosophy, mental, moral, and metaphysical)』(初版1857年)。これの見出し語をベースに、同書に載っていない見出し語も加えられた。
「近代日本語をつくった人々」に思い当ってすぐに『哲学字彙』に行き当たれば、もっと楽に全容がつかめたのかもしれないが、おかげさまで無知だったため、右往左往することになり、右往も左往もなかなか楽しいことになった。私はね。付き合わされた皆さんは、いい迷惑だったかもしれない。ごめんね。
 明治17年(1884年)に『改訂増補 哲学字彙』が東洋館から刊行された。これは、初版が売り切れたからである。評判がよかったんだろうね。
 明治45年(1912年)1月には、井上哲次郎、中島力造、元良勇次郎の三人により、『改訂増補 哲学字彙』のさらに「改訂増補」たる『英独仏和 哲学字彙』が丸善から刊行された。この『英独仏和 哲学字彙』は、大正10年(1921年)に重版されている。『英独仏和 哲学字彙』で語彙数は2723語。
『哲学字彙』は以上のような変遷を経ているが、同書は、近代日本語成立史、漢訳語史全般の重要史料である。
 また、本書が要因となり「哲学」「科学」「形而上学」などの分野が定立し、それぞれの分野の「サブ用語」も充実し、一方、普遍、意志、絶対、契約などの一般的な語彙としても普及していった。
 その影響は、日本語だけでなく中国語、朝鮮語などにも及んでいる。このことは、「近代日本語をつくった人々」の初めのほうでもお話しした。

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