思い出。保育園、小学校。

皆さんお元気ですか?まかなです。

今回は保育園とか小学校の話をしようと思います。

保育園

3歳のときに入園しました。年中、年長の人が怖かった記憶があります。その頃から人と関わるのが苦手だった気がする。自分から声をかけられなくて先生に遊びたいという気持ちを察してもらってた。たまに近くの公園に行ってその時にもらう飴が美味しかったです。みんなで料理したことがありました。そのときはかぼちゃに砂糖と生クリームを混ぜてクラッカーにのせて食べました。(これを書いてこの料理を思い出したのでまた作りたい)私が年長のときにお出かけすることがあったんですけど、年少の子と手を繋いで歩かなきゃ行けなくて、その時に無理に袖を引っ張ってました。とても申し訳ない。保育園の頃が毎日が非日常みたいで楽しかった気がします。卒園が近づいて水色のランドセル買ってもらったときに嬉しくて休みの日もかついでました。

小学校 

待ちに待った入学式。
緊張して体育館の横のトイレで本番前にえずいてました。(笑)
学校が私にとって嫌なところだと気づいていたのかもしれない。
この頃から人の目を気にして人と喋れなくなっていました。私の小学校は全学年同じ場所で食べていました。入学当初から、みんなと集まって食べるの嫌だな、と感じていました。大人数は昔から苦手みたいです。給食自体は美味しかったので良かったです。

一年生の夏ぐらいにメガネを作ったんですけど、メガネかけて学校言ったら「メガネかけてる!」って言われると思い、人の目気にしてそれが嫌だったので、視力がだんだん落ちていくにもかかわらず、六年生までかけられませんでした。(中学に上がるときに学校でかけ始めた。

二年生のときに野菜を一人一つの鉢に育てることをしました。私は枝豆を育ててたんですけど、何故か途中で枯れてきて先生に相談したら、「あ、肥料ってやりすぎたらだめだよ」と言われ「先に言ってくれよぉぉぉ」と初めて先生に殺意が湧きました。先生、私が肥料あげてたの見てたはずなので。あえて失敗して学ばせようとしてたのかな?その苗のお金払ってるの先生じゃなくて保護者なんだけど。

小学校のときはよく遊んでた友達が二三人いました。友達の遊びたいものに合わせてた感じです。でもその友達自体は好きでした。4年生から手芸クラブに入って手芸は楽しかったです。
あと「大根抜き」という寝転がって隣の人と腕を組み足を引っ張られて腕を組んでる人から抜けないようにするゲーム(説明難しい)があって腕とか足が痛くてやりたくなかったです。今考えると足とか腕の骨怪我しかねない危険な遊びです。

六年生になると人前に出ることを強要されていました。学校行事とかのリーダーを今までやったことない人がやらなければいけなくて、誰かが「やります」と手を挙げるまで、決まりませんでした。なかなか決まらないと先生が「今までやらなかった人いつやるの?」と怒られ怖かったです。(やりたい人がやればいいのでは?)人前に立つ経験も大事だと思いますが。

掃除は縦割りで(各班に2人ずつ同じ学年の人がいる)六年生になると「掃除のリーダー」をしなければいけませんでした。いつもはもう一人の六年生が指示出しをしていたのですが、その人が休みのときは、私が指示出しをしなければいけませんでした。私は自分から声をかけるということが全くできなかったので、次に何をするのか自分が先に行動で示すしかなく、他の班より掃除が長引いていました。掃除自体は大好きです。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

昔を振り返るのは楽しいのでまた中学生編でも書こうかなと思います。(^o^)

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