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磐船神社 <饒速日が降臨した地>

引き続き、神武東征より先に大和を治めていたとされる「饒速日」(ニギハヤヒ)について、関連する史跡を紹介します。

大阪府交野市にある「磐船神社」(いわふねじんじゃ)について。


場所: 奈良県生駒市から、大阪府交野市・枚方市 に抜ける道にあります。


 自動車で行く場合は、神社より少し手前にある「道路沿いの駐車場」がオススメです。


 饒速日命降臨の聖地とされる場所で、御神体「天の磐船」(巨石)は饒速日が高天原より降臨に際し乗ってこられた「天の磐船」とされます。

本殿の裏にくっついている巨石が、御神体「天の磐船」


御祭神名
天照国照彦 天火明 櫛玉 饒速日 命(饒速日命)
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)


この神社では、岩窟めぐりで修験道体験ができる。


※磐船神社のHPには次のような内容が書かれています。

古代における当社の祭祀は饒速日命の子孫である物部氏(もののべし)によって行なわれていました。その中でも特に交野地方に居住した肩野(かたの)物部氏という物部の一族が深く関係していたと思われます。


この一族は現在の交野市及び枚方市一帯を開発経営しており、交野市森で発見された「森古墳群」の3世紀末~4世紀の前方後円墳群はこの一族の墳墓と考えられており、相当有力な部族であったようです。また饒速日命の六世の孫で崇神朝における重臣であった伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の住居が現在の枚方市伊加賀町あたりにあったと伝承され、森古墳群中最大最古の古墳の被葬者はこの方ではないかとする説が有力です。


 饒速日命には、天上において生まれ、尾張氏の祖神となられる天香語山命と、物部氏の祖神となられる宇摩志麻治命のお二人の御子神がおられます。

 神武天皇の御東遷に際し長髓彦は反旗を翻しますが宇摩志麻治命(古事記、日本書紀では饒速日命となっています)は、長髓彦を誅し天皇に帰順し、以後長く朝廷に仕え、物部氏という強大な氏族を形成してゆきます。

 また、天香語山命の子孫の尾張氏は尾張地方(愛知県)を開拓した氏族としてその地名に名を残しています。


【まとめ】
石切劔箭神社(大阪府東大阪市)新屋坐天照御魂神社(大阪府茨木市)の記事でも登場しました伊香色雄命(いかがしこおのみこと)がまた登場しました。今度は、肩野(かたの)物部氏の祖となっています。大阪エリアで「饒速日」の神社を祀ったキーパーソンのようです。

ここまでの情報を関係図で見える化

 それにしても「天照国照彦 天火明 櫛玉 饒速日 命」は長い名前です。
  (あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)


「饒速日」は【「物部氏」の遠祖である】というだけでなく【「尾張氏」の遠祖でもある】ということで、饒速日の繋がりが少しずつ見えてきました。  初期のヤマト王権の発展に、その子孫が関わっていることが伺えます。

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