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4 地方公務員の知的レベル感 ~「行進」以下が大勢を占める~

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 これは、あくまで、フィクションです。その点を十分、ご理解ください。

 この項目は、少し、『学歴厨』になるかもしれませんので、読むと不愉快になる方もいるかもしれません。ですから、もし、飛ばしたいという方がいれば、一旦、先頭の記事に戻って、別の記事に飛んでください。

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 とはいうものの、私もしがない私立大学出身ですので、東大とか、京大とかの方と違って、偉そうなことは言えません。しかし、この私にさえ、ついて行けないなぁと思われることが、日常的に起こっています。

(1) 会話が成立しない
 七側県の職員のボリュームゾーンは、今流行りの大学の学群でいうと、大半は、「行進」やそれより下の大学です。(流石に評論するからには、私はこれを超えるレベルですが)
 別に、彼らをディスりたくていうわけではないのですが、明らかに、それ以上の大学の人達と知的レベルが異なるように思います。つまり、早慶(上智は入れてもいいかも)と、「行進」の間には越えられない壁があるような気がします。
 「行進」以下(未満ではなく以下です。)の彼らにないもの、あるいは著しく低いものの、主なものは以下の通りです。
 ①理解力•読解力
 ②作文能力
 ③論理的思考力・洞察力
 ①理解力・読解力がないので、丁寧に丁寧に10のことを話したつもりでも、彼らが理解するのは3ぐらいだったりします。また、文章で、いわゆる行間を読むとか、相手方との対話の中でその場の雰囲気を察するとか、そういうことも得意ではありません。相手が話していることの真意や、文章の底流にある深い意図などを汲み取る能力がないのです。この辺はある程度経験がものをいう世界でもあるのですが、経験を積んできて、それなりの職階についている人達でさえ、噛み砕いて話してあげても、頓珍漢な相槌ばかり。
 例えば、◯大学を卒業して、いまは、出先で課長をしている、いい年齢の方がいるとしましょう。この方と、仕事のことでいろいろ意見交換をしようと思っても、全く頓珍漢でやり取りができないレベルです。出先とはいえ、課長がですよ。人口減少で世の中全体の知的レベルが下がっているだろうことは想像に難くないですが、その課長は人口減少前の人だから、本当に人材がいない会社なんだなと、ほとほとため息が出てきます。中には例外もありますが、流石に、ソフィア以上の方々とはなんとか会話が成立するので、安心です。
 まともな上司がまともではない部下とのコミュニケーションに多くの時間を割かなければならず、仕事が進んでいかないという、極めて非効率な仕事のスタイルを望むなら、是非、七側県にきてください。
 次に、②作文能力もないので、他人に依頼するメール文でさえ、何をお願いしているのか、全くわからんちんです。もし、「相手がわからなければ電話やメールで聞いてくるでしょう。その時にチキンと説明しますから。」ということらしいです。それなら、最初からきちんと説明してあげた方が、相手の時間も自分の時間も無駄遣いせずに、効率的だと思うのですが、それができない。というか、そもそも、そういう発想がない。自分のいうことがわからない人が悪い、というような感覚です。こうした感覚が出てくるのは、自分を含めて、物事を客観視できないことが原因だと思います。この客観視できないことが、次にいう、本来、地方公務員にとっても極めて重要な能力の欠如という問題を引き起こしています。
 ③論理的思考力や洞察力が、微塵もない。そもそも、論理的思考力は、地方公務員に絶対的に必要な能力の一つです。何故なら、地方公務員は、納税者に対する説明能力があるからです。
 「1 地方公務員は、覚悟がいる ~会費とサービスの関係~」でも書きましたが、地方公務員の本質は、住民の方々から税という会費をもらって、人のしたくない仕事をする雑用係です。ですから、会費を払っている人に、「この仕事が必要なんです。この仕事のやり方が最も効果的なんです。」などと、会費が適正に使われていることを説明しなくてはなりません。
 最近は、グローバル化が進んだことで、日本の経済界も変革がおき、エリオットなどのアクティビストファンドが、企業価値を上げるために、企業に効率的な経営を迫ったりしています。セブン&アイホールディングスや、住友商事、花王などが有名です。さらには、東芝の大量人員整理や、資生堂の没落もアクティビストファンドの要求を聞き入れた結果です。それでも、公務員と異なり、民間には、最も大切な、そして、わかりやすい行動原理があります。「利益をあげること」です。利益という最もわかりやすい数値目標を達成できれば、(なかなか厳しいかもしれませんが)株主に説明責任を果たしていることになります。
 しかし、公務員は、こうした、誰にでもわかりやすい普遍的な数値目標、あるいはベンチマークがありません。
 このため、それぞれの施策や事業について、なぜ実施するのかを問われた時に、結果で、効果を示せるものがないのです。このため、「風が吹けば、桶屋が儲かる」という程度でも、その必要性を語るロジックが必要になります。
 しかしながら、このロジックを構築する能力が、「行進」以下の方々には、圧倒的にないのです。論理を辿って、施策や事業の必要性の説明ができない。
 また、論理的思考力が欠如しているため、こんなことしたら、どうなってしまうのか。あるいは、こんなことをしなかったら、どうなるのか。など、今後起きうる事象を想定する。状況を洞察して、その後の判断材料にしていくと言ったことも得意ではありません。
 勿論、早慶上智以上でも、出来ない方もいます。でも、彼らは、出来ないことに気がついて、できるようになろうとする方がほとんどです。

(2) 何回も同じ指摘を受けても改善しない
 不思議なことに、「行進」以下の方々は、何度、同じ指摘を受けても、次に同じ間違えを起こすか、はたまた一見改善されているようで、かえって改悪されているということが起こります。
 昨今、少しきつめに指摘をすると、パワハラだとかなんとか騒がれますが、上司の立場からすれば、何度も丁寧に教えてやってるのに、言われていることが理解できずに、同じ間違えを繰り返すなど、全く改善されない状況は、上司に対するパワハラた!と叫びたくなります。
 何度も言うようですが、早慶上智以上でも、最初からできる方は多くはありません。しかし、彼らの大半は、何がいけなかったか反省をし、次に同じ失敗をしないように考えるとか、上司が本当は何を言いたいんだろうと、物事の本質を理解しようとし、その教訓を次に生かそうとします。
 「行進」以下の方々は、物事の本質を捉えようとしない。表面上の現象ばかりに固執して、対応が全てケースバイケースになってしまう。こうした現象(つまり、自分がおかしたミスなど)に、共通して隠れている本当の原因を特定できないし、これを指摘しても、理解できない。だから、同じ指摘を何度も受けることになるが、全く改善されず、その結果、上司がうるさいとなって、挙句の果てはパワハラだと騒ぎ出す。絶対的な思考の深度が浅いのです。
 こうした仕事に対する姿勢の違いを見るにつけ、同じ私学文系でも、単純に覚えたものを吐き出すだけの入試しか合格できなかった方々(「行進」以下の方々)と、少しだけ難易度が高く、問題がひねってあってもついていけた方々(「早慶上智」以上の方々)の間に横たわる溝の大きさを感じざるをえないのです。こうした観点からは、「行進」以下の方々は、自分の特性から、上司にパワハラを繰り返しているかもしれないと自覚した方がいい場面があるかもしれません。

(3) まとめ
 
最近、なぜ、七側県では、こんな人たちしか入って来ないのだろうと思っています。世の中全体として、そういう現象が起こっているのか、と思って民間の就職関係のサイトやyoutubeを見ています。共通していえるのは、早慶上智以上と、「行進」以下では、概観として、圧倒的に就職先が異なるということです。つまり、少し難易度の高いひねった問題が解ける方々と、覚えたことを単純に吐き出すだけの方々では、社会一般の評価も、当然ながら異なるということです。これは、単にら学歴フィルターという問題ではないと思います。なぜなら、企業は何十年、いや百年以上も採用活動を繰り返してきて、学歴が最もハズレの出る確率が少ない、ベンチマークだと気がついているからです。そして、一時は学歴にとらわれずに、優秀な人材を集めるんだと言っていた企業も、採用した人員が社内で年数を経ていくごとに、その失敗が明らかになり、軒並み学歴主義に戻って来ています。
 たまに、「行進」からも、五大商社やメガバンクなどの大手企業に採用される方もいます。彼らは、「行進」の中でも、上位0.2〜0.3%という、超トップ集団だと思いますが、彼らでさえ、就職した途端に、地方への片道切符を渡され、本店など入社式以来一生縁がないという企業人人生を送るということらしいです。一方、早慶上智以上の人達は首都圏近郊の比較的成績を出しやすいところに配属され、何年か経つと本店に異動していく。最初からルートが異なるのです。企業は能力差を的確に見抜いていて、適正な配置を行う。なぜか、それは、的確な人員配置ができないと、つぶれてしまう、倒産してしますからです。
 七側県では、公務員採用は公平性が最も重要であるため、公務員試験を実施して、単純に成績順に採用をしています。
 公務員試験という、入ってからはクソの役にも立たない知識を問うて、その成績で決めていく。これって、まさに、「行進」以下の大学の入試と一緒ですよね。時間をかけて暗記すれば誰でもできる問題です。要は頭の良さを測っているわけではない。時間をかけたかどうかです。時間をかけたかどうかなので時間をかけた人が受かるのであれば、知的レベルが低い順に採用していくということになる
 ○大学卒の課長は、新卒で公務員試験に受からずに一年間勉強につぎ込み、そして、下位の採用区分になんとか滑り込んだ。まさに時間の勝利です。
 一方、私自身を振り返ると、市販の薄っぺらな公務員試験の問題集3冊を一回回しただけ。時間にして1週間もないぐらい。だって、民間の就職活動の準備の合間に片手間に受けないと行けないから時間がない。そして、上位の採用区分で合格しました。私も決して勉強できる方ではありませんでしたが、早慶上智以上の方々は、大体、こんなもんではないでしょうか。
 さっき、時間の勝利と書きましたが、これは、仕事をする上で、あまり褒められたものではありません。つまり、時間をかけないと成果が出ないということだからです。単純に仕事に置き換えると、◯大学の方が2年くらい費やして達成したこと以上の成果を、たった3週間で早慶上智以上の人は成し遂げるということなのかもしれません。
 しかし、七側県では、こうして、時間をかけて、合格してきた方々が、圧倒的なボリュームゾーンを占めます。どんなコミュニティか想像がつきますか?
 そして、このことが、七側県の次なる悲劇を呼んで行くのです。この悲劇については、次の項目で詳しくお話しします。
 ですから、早慶上智以上の人は、新卒で、七側県に就職しないほうがいいかもしれません。。ある意味、(会話が通じないという意味で)動物園にいるようなもんです。仕事の中身、そして、周りの人材のレベル、筆舌に尽くし難いほど、成長できない環境ですよ。民間で挑戦して、敗れてからでも、難なく合格できます。早慶上智に受かった能力があれば、七側県の試験なんて、へのようなものです。
 地方公務員を受けるなら、その集団の知的なレベルを見極めて、就職してくださいね。知的なレベルのミスマッチほど、悲しいことはありません

(4)補足:七側県以外は大丈夫‼️
 このような状況は、大都市近郊の限られた都道府県だけだと思います。大都市近郊のと書いたのは、まさに大都市である東京都は、少し状況が異なると思われるからです。東京都は圧倒的なネームバリューがあるので、優秀な人材の吸引力が異なります
 また、他方、地方では一般的に言われていることとして、地方銀行と県庁以外、まともな就職先がないということです。このため、地方から東京大学を出た方も、地元で就職する際には、県庁に戻ってくる。また、地方は大学も圧倒的に国公立志向です。早慶に行くぐらいなら、地元の国立という方も多いでしょう。こうして、江戸時代から連綿と続く由緒ある優秀なお家柄の方々が、引き続き、地方の行政を支える。したがって、地方の都道府県の職員の方々は圧倒的に優秀なのです。こうした構図になります。
 この「行進」以下がボリュームゾーンを占めることによって引き起こされる問題は、七側県やその類似県に特有の問題なのかもしれません。

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