見出し画像

2 「都道府県」という立場 ~実体のない幽霊のような存在~ ③都道府県の職員

先頭の記事に戻る。

 これは、しつこいようですが、フィクションです。七側県に奉職した地方公務員が心に浮かぶよしなしごとを書いているだけです。

 さて、これまで、①国家公務員とは②市町村の職員とは、を見てきました。いよいよ本命の③都道府県の職員とは、に迫りたいと思います。

 都道府県は、「実態のない幽霊のような存在」と書きました。なぜなのでしょう。 皆さんの実感としては、どうでしょうか?

 「国は、どんな仕事をしていますか?」と聞かれて、大体の人は、首相が海外で交渉してくるとか、北朝鮮の攻撃に備えて自衛隊が準備するとかという答えが、すぐに出てくるのではないでしょうか。つまり、国家は、その存在を維持していかなければならないわけですので、外交、国防といった、国の専管的事項を担っています。

 「市町村はどんな仕事をしていますか?」と聞かれたら、「身近な仕事!」と答えるでしょう。住民票、印鑑登録、保育の申し込み、ごみなど、市町村は、住民の生活に直結した仕事をしています。

 それでは、「都道府県はどのような仕事していますか?」と問われたら、どのような答えが浮かびますか。多分、都道府県の仕事は、何も浮かばないのではないでしょうか。これが、都道府県は、実態のない幽霊のような存在ということです。
 これから、都道府県はなぜ幽霊なのか、その理由をこれから、一緒に考えていきましょう。

(1) 取りまとめが命
 もうこれまで何回も言ってきて、皆さんも耳にタコができていると思いますが、国は制度設計、つまり最上流の仕事で、地方公共団体は実行部隊、つまり下流のお仕事です。
 そして、実行部隊の中ででも、市町村が最前線です。
 それでは、都道府県は何をするのか。一番ピッタリくる言葉は、「取りまとめ」です。この言葉は、業界にいると、全く普通に使っているので、あまり違和感はありませんが、普通の方々は、一体どうなのでしょうか?
 取りまとめとは、いろいろなことをいろいろなところに聞いて、その内容を、一つにまとめることを指します。さしづめ、都道府県は、市町村にいろいろなことを聞いて、一つにまとめるということになります。
 例えば、七側県に、保育所の待機児童は何人いるのかという、質問があったとします。国からの調査だったり、県議会からの質問で、そういった調査は四六時中、行われます。そもそも、七側県は、保育所に入所を希望する児童の割り当て(言葉が適切でないかもしれません。)作業をやっていないので、何人待機児童がいるのかは、わかりません。これは市町村の仕事なのです。そこで、市町村に聞くことになります。インターネットが発達していなかった30年前は、faxでもなく普通に文書を郵送で送って照会するか、電話をかけて聞いていました。今はメールを送って教えてもらっているのでしょう。市町村から、お答えをいただいて足しあげて、七側県全体の待機児童数を出す。ほかにも、ホームレスの方の人数とか、枚挙にいとまがありません。
 また、国の補助金ですが、間接補助金という制度があります。これは、都道府県が市町村に補助をしたら、その金額の3分の2を、国が都道府県に補助しますという制度てす。皆さんなら、これも、取りまとめということが、お分かりになったでしょう。市町村に、こんな補助金がありますが使いますか?と聞く。市町村で使いたいところは申請をしてくる。これを審査して、要件にあっていたら、補助金を払う。市町村が例えば学校を作るとしたら、学校を建てるのは市町村。その経費に国からお金をもらってお金を出すのは都道府県だけど、お金を出す制度を作ったのは、国。上流と下流は、仕事がわかりやすいけど、途中の中流は、見えにくい。なので、幽霊みたいな存在になる。また、市町村ではなく、事業者が県の補助金の対象ということもあります。これも、ほとんどの場合は、制度設計は国。補助金を出すのは県で、何が県に補助する。やはり、都道府県は中間的存在で、住民の方々には、何をやっているのか、全く見えないということは、変わりません。

(2) 専門性という格好のいい言葉
 都道府県と市町村て、似たような仕事をしていることがあります。例えば、子供に対する政策で、赤ちゃんの検診があります。昔は、全部、都道府県がやっていたのですが、(本質的な理屈はあまり分からないので、間違っていたら、ご勘弁をいただきたいのですが)、住民に身近なことは一番身近な市町村でやったほうがいいという原則のもと、大半が市町村の仕事になりました。
 しかし、専門的な仕事は、事例も少ないのでより大きなところでやったほうがいいとの考え(?)から、小児特定疾患と言われるいわゆる難病をお持ちの方のケアは、都道府県の仕事として、残されました。ここでのキーワードは、専門性です。一見、この専門性というのは理屈にあっているように見えます。市町村ではそれほど数がない事例に対応できる人材を育成し抱えておくのは非効率だし、人的、財政的余裕もない。そこで、一定程度需要が見込めるし、団体の体力的にも耐えられそうな都道府県の仕事のままにしておこう。これは、経済的な原則から言えば正しく見えます。
 しかし、ここで問題が発生します。都道府県では、ご病気をお持ちの方のケアをさせていただくのですが、都道府県の保健師さんは、元気で健康な赤ちゃんを仕事で全く見ないということです。つまり、健康で元気な赤ちゃんがどういう状態かを知らないのに、専門性という名の下に、ハンディキャップを持った赤ちゃんのケアをする。ここからの話は、差別的な表現と受け止められると恐縮で、大変難しいのですが、もし良い表現があれば、ご教示いただきたいと思います。要は、大方の人の状態を知らないのに、その人たちとの違いがわかるのかということです。物差しを形成する機会を奪われているのに、物差しをあてて仕事をしろと言われているいうことです。要は、理屈はきれいでも、全く実態に合わない制度になっています。さすが国ですね。
 都道府県は、専門性という、カッコ良さそうな看板をかけられて、実は大した専門性もなく、専門性を養う機会も奪われた状態で、”専門的な仕事”をさせられていることが多いのです。
 広域性も同じことです。私は、前々から、不可思議に思っていたのですが、この広域性というのはどういった概念なのか、今ひとつ理解できません。一般的に、業界でいわれている広域性とは、複数の市町にまたがっているということを指します。でも、これは、基礎的な公共団体である市町村がきちっとその中の仕事をするから、それ以外の複数市町村を対象範囲とした仕事をしましょうということです。でも、それって、本当に”広域的な仕事”でしょうか。市町村が責任をもつなら、都道府県の出番はないのではと思います。つまり、複数の市町村にまたがったときは、都道府県の出番ということで、あたかも都道府県の仕事のように自らの正当化しているのです。
 ただし、行政対象を30万人ぐらいを対象にしないと非効率という事務もあります。 例えば、保健所や児童相談所です。これは、広域的な仕事というより、行政対象の人数が多いほうが効率的という仕事なので、広域的な仕事とは言えないと思います。まぁ、小さい市町村が多い七側県では、30万人で、地域をくくると、当然いくつもの市町村にまたがる地域を一つの保健所が管轄することになるので、結果として、業界でいう広域的な仕事になります。

(3) まとめ
 都道府県は、国の制度設計と市町村の実行との間で、取りまとめがメインの仕事で、住民から見ると、「実態のない幽霊のような存在」。その幽霊のような存在である都道府県の職員は、「制度は考えない」、「実行上の工夫も考えない」という、全く頭を使わない、とんでもない環境のなかで、看板だけの専門性や広域性という十字架を背負わされて、ひたすら国や、市町村の足を引っ張らないように仕事をするだけって、感じです。
 つまり、自らは何も考えないので、全く「やりがい」のない、面白みのない仕事をする。
 だから、国や、市町村の職員になるより、よっぽど覚悟が必要なのです。
 ただし、唯一の例外は東京都です。東京都は、23区については、一般の市町村が行う仕事も、都が行っているものがあります。そういった意味では、23区は厳密な意味での完璧な市町村ではありません。つまり、東京都は市町村と都道府県が合体したようなヘンテコな組織です。また、東京都は、日本中の会社のほとんどの本社が所在しています。このため、税収が莫大で、これが、都の自主財源になります。この額があまりにも膨大ですので、東京都は国の制度などあてにせず、施策の最先端を目指しています。制度設計で国に唯一張り合えるのは、東京都だけです。このため、東京都の職員は、他の都道府県と違い、制度設計にも、実施上の工夫にも、いっぱい頭を使うので、とってもやりがいがあると思います。(外から見ているだけなので、実態はわかりません。)

 次は、七側県に特有の、さらに「覚悟」が必要な要素について、お話します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?