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やり切って思ったこと

こんばんは。よりみちです。
今日は布団を干しました。
今晩寝るのが楽しみです(雑な導入)。

さて、実は今日とある企業様の面接を受けました。
結果はまだなのですが、そこで感じたことをつづりたいと思います。


数か月ぶりの面接

今日、とある企業様の面接を受けました。
そこは僕と同じように何らかの理由で退職をしてしまい、精神的にトラウマを抱えた方や就職についてリハビリをするようなサービスを提供している企業様です。
僕は以前から、「働く」をとりまく課題や問題に対し向き合えるような仕事をしたいと思っていました。
コーチングも働くということに特化し、誰かを一人一人変えることで社会に貢献。
キャリアアドバイザーも就職に携わってその人が心地よい転職となるように支援する。
必ず「働く」という概念が軸にあります。
僕は今回、自身の経験からもそういった就労支援を行っている企業様を受けました。

相反する感覚:手ごたえのなさと達成感

面接は今日の午前に行われましたが、久しぶりに受けるとどっと疲れが押し寄せてきました。
こんな緊張感はここ最近ではなく、社会活動から離れてたんだなと痛感しました。
さて、手ごたえですが、ありません。
自身の気持ちが先走ってしまい、あまり想いを正確に伝えられなかった気がします。
ただ面接の方も、マニュアルのような質問のみをされており、あまりこちらのことを深堀されませんでした。
故に僕の想いを出す機会があまりなく、ごく平凡に見えたかもしれません。
少しショックでしたが、結果はまだですので、ひとまず忘れたいと思います。

・・・そして、実はというと、ショックもありますが、わりと達成感もあります。
なんだか自分の想いを社会にぶつけられたような気がしたのです。
(会社の人には伝わってないかもしれませんが、個人的には吐き出したような感覚があります!)
僕が会社を辞めて、考え続けて、今出せる最高の仮説。
それを試せたような気がして、もしこれがダメでも悔いが無いなと思ったんです。

やり切ったという感覚

なぜ希望していた事が叶いそうになっても達成感を味わっているのか。
少し、理解に苦しみましたが、一つの答えが浮かびます。
それは、「何かしら自分で行動してみたかっただけ」。
たぶん、この経験から何かしらの哲学を得て、それを社会にぶつけてみたかったんだと思います。
そしてそれが受け入れられないのであれば、そこまでということ。
また社会には足りていなかったということ。
でも、人生で初めて自分でゼロから価値観や信念を創造して、社会にぶつけたんです。
成功しようが失敗しようが、「よりみち哲学」をやり切って、達成感を味わっているんだと思います。
ーーこれまでの生き方に囚われない行動をしたんですから。

今後の歩み

結果は1週間以内とのことです。
恐らく、だめだと思います。
ですが、謎の清々しさがあります。
僕も働くことを考えなければなりません。
いい加減夢から覚めるときなのかもしれません。
モラトリアムは十分味わったと思います。
僕が僕らしく、これまでを取り戻して生きた3か月間でした。
悔いはありません。
僕が社会に求められているのはこれまで得たスキルです。
なのでもう一度1社目の職種に戻ることも検討しています。
でもきっと、見える風景は半年前とは違っているはずです。
新たな気持ちで前職に取り組めそうだと、少しワクワクもしています。
諦めだと言うかもしれませんが、諦めとはある意味呪いから解放する魔法の言葉だと思います。それ以上固執することがないのですから・・・

・・・ということでまぁ、なんだかバッドエンドみたいな書き方ですね。
でもこれは本当で、もういいかなって感じなんです。
結局のところ、僕が幸せに生きられればどちらでもいいんですから。
ただまぁ、結果は出てませんし元来の進みたかった方向に進めればそれはそれでハッピーエンドなんですけどね。
また、動きましたら更新したいです。
それでは。

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