見出し画像

娘の入院

いつものように、娘を施設に迎えに行き、帰ってすぐウオーキングに。
家まで20mの所でてんかん発作を起こした。2剤のてんかん薬が1剤にになった嬉しい日の出来事であった。
娘を抱えて歩道に座り込み、てんかんが収まり、筋力が回復するのを待っていたら2度目の発作が起こった。
どうしたものか途方にくれていると、車で通りがかった若い男性が異変に気付き、声をかけてくれた。
彼に隣の家から車椅子を借りてきてもらい、車椅子から布団に寝せるのを手伝ってもらった。私一人ではどうにもならないところを、まさに救いの神であった。尋ねると高田高校の社会科の先生とのことであった。
なおも、発作が収まらず繰り返すので、近くの病院に問い合わせると、脳外がないので受け入れられないとのことであった。
てんかんで受診している別府の病院に問い合わせると、危険と判断したら攣れてくるようにと言われた。
救急車で別府へ。車中でも発作は頻発したが、酸素マスクが安心感を与えてくれた。
病院到着後は薬で発作はじきに収まったと担当医から聞いたが、てんかん重積と治療に使われた抗てんかん薬の影響で、低意識レベル状態が続いた。
やっと二日目の夕食から半分程食べられ、薬を飲むことができた。
担当医から、「付き添いはできますか」とまず聞かれた。知的障害児(者)は付き添いがないと入院が難しい現実を知らされた。私にはありがたいことであった。
かくて18号の付添い者カードを首にかける身になった。一般エレベーターが止まっても、カードを示せば、スタッフ専用エレベーターまで案内し開けてくれた。水戸黄門の印籠を首に下げている気分であった。
日を追うごとに意識レベルも筋力も回復し、5日目にはしっかり支えればトイレにも歩いて行けるくらいになり、食事も完食していた。
抗てんかん薬は2剤に戻されたが、発作も起こらず安定したので、6日目の昼食後には、車椅子を使っての退院となった。
リハ転院を検討、2院に当たってもらったが叶わなかった。SWの助言で社協から車椅子を借りることができた。
今回の出来事は悪いことばかりではなかった。
①     顔が上がり姿勢がよくなった(?)
②     食事作りに多くの示唆と意欲をもらった(粥食・少量多菜)
③     車椅子を利用しての「走ろう会」参加、行楽に意欲が湧いた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?