見出し画像

転生輪廻の思想3 ( 人間の尊さの根源)

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
しかし、地上のいかなる権威が否定しようとも、
地上のいかなる身分ある人が否定しようとも、
地上のいかなる知恵ある人が否定しようとも、
されど、我が教えの真理に誤りはない。
人間は、永遠の魂を得、転生輪廻の過程にあるのだ。
この真実は、何人も否定することができない。
この真実を否定するということは、
仏の心を否定するということだ。
仏の存在を否定するということだ。
仏の創られた世界を否定するということだ。
そして、仏の創られた人間を否定するということだ。
すなわち、人間が人間を否定するということだ。


しかし、考えてもみよ、恥ずかしいことではないか。
仏が創られ、永遠の魂を与えられた人間である、ということを信ずることを、
なぜ恐れるか。
なぜ、それが奇妙なことに思われるのか。
なぜ、それがばかばかしい話に思われるのか。
なぜ、人間がアメーバーから進化してきたということを信ずることが、
それほど尊いのか。
なぜ、人間が物質の固まりで出来上がったことを信ずることが、
それほど尊いのか。
ばかなことを言ってはいけない。
そんなことで、なにゆえ人間の尊さというものがあるのだろうか。
人間の尊さとは、人間の尊さ内に宿れるものの尊さであるのだ。
人間の内に宿れるもの、それは、すべてのものが、
仏より岐(わか)れてきた生命であるということなのだ。
それが人間尊さなのだ。
この尊さがわからないものには、
一切の善はわからない。
一切の美がわからない。
一切の真理がわからない。
一切の善も、一切の美も、一切の真理もわからない人間は、
もはや、人間であって人間ではない。
それはない人間の外形をとどめているだけだ。
人間として、地上に生まれ、生きていく途上で最も大切なことは、
尊さということを知ることである。
この地上的な体験のなかから、尊さというものを感じ取ることである。
自らが生かされていることの尊さを、
他の生命が生かされていることの尊さを、
仏の創られたる世界の尊さを、
それを強く感じ取ることである。


霊言集を読んできた私が 衝撃を受けたのは
この仏陀再誕でした。

大川隆法総裁先生の3500回を越える説法で次つぎと新しい教えも出てまいりましたが、私の原点にあったのはこの教えだったと思います。
果たして 人が神なのかと すぐに信じることが出来なかった私でしたが 薄紙剥がしていくように私の疑念が、解けていったように思います。
人間の尊さに根源にあるものは 人間が仏により創られた存在であること。
仏から岐かれてきた存在であることに尽きると思います。



人間 神の子の思想と同じです。

キリスト教では 人間罪の子の思想がありますが、その事に関してもイエスキリストの霊言で語られている言葉があります。またの機会には、そちらもご紹介したいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?