フランクリーな大川隆法先生 2015年の2500冊発刊記念パーティーでの一場面

信者さんが上げていたXで 拝見した幸福の科学総裁大川先生と出版社との方との一場面。

こちらの 出版社の方は 講談社のようです。

東京ドームや、幕張メッセ等の大会場で何万人規模の聴衆を前に話されるときと違って、とても親しみやすく、柔軟に若い人たちの意見にも耳を傾けられる方です。

幸福の科学の初期には 対立にあった講談社の社員の方とも和やかに歓談されています。


間違っているものには
間違っていると 厳しく指摘はするけれども、
その時の 行為の 善悪ですべてを判断するのではなく
表層的な 善悪を越えた奥にある、
本来の性質=仏性を
見ておられているのだと思います。


立憲民主党の原口議員が ある対談動画で

原口議員の大学の先輩の方に 学生時代の大川隆法総裁を知る方が居て チャーミングな方もだったそうですねぇ と 話されていた動画を最近見ました。

1981年 3月23日に霊的世界の交流が始まる前の大川隆法総裁の お姿を知ると なんだかほほえましく思えます。

大悟の前の学生時代の
大川隆法総裁のエピソードは 映画 
「夜明けを信じて」や

自伝的小説「鏡川竜二」シリーズにも書かれています。


召命  コーリング


努力で自分の道を切り開いていく人であった方が 自分の内面のなかに深く入っていかれたときに 神仏からの 通信を受ける。

こういうことは 過去の歴史にも数多くあったのでとはいえ、 現代の日本のような国で神様から選ばれ 神の言葉を受け 自分の果たすべき役割を告げられるということは 、

東大法学部という 世間から見てエリートと見られる最高学府を出られて 世の常識を十分 理解している者にとって その使命が どれ程困難なものであるかは 最初から 分かっておられたでしょう。

神様から呼ばれて伝道の使命を告げられることを 召命と言うそうですが、大川隆法先生に告げられたのは ひとつの宗派を起こすというものではなく もっと大きな使命でした。

総裁先生の 若き日の詩集「愛のあとさき」には

普通の人間として生きたいという思いと
天命として与えられた使命との間にあって

より大いなるものの為に 人生の時間を捧げていこうと決意されていくまでの心情が描かれています。

普通の人としての幸福と
神に召命された人の幸福

普通の人としての愛と
神に召命された人の愛

愛の性質が 変わっていくことを この詩集では知ることができます。

小説 鏡川竜二シリーズを発刊されるときに
大川隆法総裁先生は 浪人時代の話を書かれた「永遠の京都」を出されるのを 嫌がる思いが来たということを、あとがきの中で触れられています。

今 主エル・カンターレとして 信仰を集められる存在が 普通の人として失敗もされたということを 秘しておいて欲しいという思いが 弟子や、信者の中にもあったのではないかと思いました。

けれども、エル・カンターレという御存在は
人間の魂の向上の為に 人間が神仏には近づいていくためには 何が必要であるかを身を持って教えられたかったのではないかと思うのです。

失敗もせず、困難も無く ただ人々から仰ぎ見られる存在として君臨している存在ではなく

 このような生き方や努力、反省をしていくことで 偉大な人格は築けることを 「人」として「生きる」その姿を ありのまま伝えることで教えられたかったのではないかと思うのですね。

これは、もちろん 私が個人的に こうだろうなぁと思っていることに過ぎませんけれども、

人であった方をどうして神様だと信じることが 出来るようになったのかについて 自分の考えを折々に振り返ってみたいと思うのです。



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