一本の黄金の糸をつかめ

1987年3/7 牛込公会堂での説法が 
幸福の科学の十大原理 上巻に収録されています。

大川隆法総裁は1956年7月生まれてですから
弱冠30歳の時に説かれた法です。

30歳の時にとかれた教えであることを
思ってみると

30年後の今
改めて 仏の偉大さがわかる気がします。

幸福の原理

というこの説法では、民間の商社勤務で将来を嘱望されていた青年が霊的世界との交流が始まった前後の心境についても語られています。

今から約6年前の1981年3月23日、私は、突然、天上界から啓示を受けました。最初の啓示は日蓮宗の霊団からの啓示でした。日興上人、それから日蓮聖人といった方々から突如、霊示を受けたのです。

19か20歳の頃…
そのころ、将来、自分がどの道に入っていくのかということは知らずに、友人たちに、「私は、将来、二千年、三千年後にまで遺るような思想を遺したい」ということを語っていました。しかし、私は「」なぜ、そのようなことを自分が言っているのか」ということには気がつきませんでした。そのころ、すでに、ある種の準備が、始まっていたのです。

しかし、運命というのは非情なもので、田舎育ちの私に゛商社マン゛という世界が訪れました。…そうした私の生活の空間というのは、仏法真理を求めていた仏教者、あるいはキリスト教者から見れば、まさしく正反対の世界でした。そこには、およそ仏法真理の世界とは正反対の、生き馬の目を抜くような世界だったのです。

しかし、そうした私でしたが、、強烈な運命の転換期がやって来ました。それは、まさしく。私にとってはショッキングなものでした。今、みなさんに分かるように語るとするならば、「強烈な一条の光が私の胸を貫いた」ということです。「おまえの道は間違っている」ということを天から知らされたのです。

しかし、私には生活というものがありました。そうした「天からの啓示」を受けて、おそらくは、私は、普通の人間として一生を生きていくことはできないはずだと思いました。とはいえ、現代の世の中においては、布施を求めて生きる過去世のお坊さんのような生活はできないのです。ですから、私は、どうにかして「商社マンの世界」と「仏法真理の世界」を調和させて生きていきたいと願っていました。働きながらも、まだ 私の心のなかに欲があったのです。

何ヵ月か一回、善川三朗顧問とあったときに、霊的な現象をいろいろと記録したり、話をしたりしていたわけですが、そのような現象が身の回りに起きていたにもかかわらず すべて善川顧問のほうにお任せしてしまって、いつの間にか、私自身は逃げていました。

霊言や、霊示を受けて すぐに 活動を始めたのではなく
常識的な判断をされていたのが伺えます。

…私はまだ、みなさんの前に立つには弱冠、弱冠どころではなく、未熟も未熟です。まだ30歳と数ヶ月です。(説法当時)そのようななか、私は思いました。「この霊現象はおそらく本物であろう。本物であろうけれども、これを『本物だ』と周りに言って回ったところで、私は大成できないはずだ。おそらく、一年以内に、『あの人は、変わったおかしい人だ』と言われて途中で逸れていくがオチであろう」と。

「自分がみなさんに間違いのない知識として仏法真理を説きうるようになるまでは、私は忍耐に忍耐を重ねて時を待たなければならない。やがて、時は満ちるであろう。時が満ちるまでは動いてはならない」と思っていたわけです。


イエス・キリストからの霊示も始まるが 当初父上である善川顧問も信じなかったといわれます。

……
しかし、私は事の重大さを感じました。日蓮聖人一人ではないのです彼はまだ、ほんの議長にしか過ぎなくて、あるいは交通整理役にしか過ぎなくて、背後には500人以上の大霊団が控えているのです。そして、私が霊道を開いて、わずか3,4ヶ月間の間に、イエス・キリストからも通信を受けました。最初、善川顧問は「そんなことは、ありえるはずかない」と信じませんでした。そこで 私は現象をしてみせました。そして、いろいろな対話が始まったのです。私自身もイエス・キリストはともかくとして、日蓮聖人の指導であるということを実感し、確認するまで、少なくとも三年以上は、認めなかったのです。

宗教指導者の責任

今 新興宗団は数多くありますが 彼らの大部分は、霊的な現象が起きれば、すぐにありがたがって、「神様仏様だ」と言って動いています。
しかし、宗教的な指導者というものには責任があるのです。一歩間違えば、何十万、何百万人の現代の人々を狂わせるだけでなく、後代の人々をも狂わせることがはっきりしているからです。その害たるや、とてもあとでは清算がつかないのです。

新しい宗教には霊的な現象も伴うことが多いのですが
霊的な現象を無闇に有りがたがるのはとても危険であることを教えれています。
霊的世界も神仏や、天使 菩薩だけでなく 悪霊や 悪魔も存在して メッセージを送ってくることがあるからです。

普通の悪霊というのは救えます。…
しかし、゛教祖゛だけは絶対に上がらないのです。なぜ上がらないのかというと、何十万、何百万人の人たちが、間違った教えを奉じているからです。この収拾をつけないかぎり、彼らは上がれないのです。したがって、間違った宗教をやるぐらいなら、もう田舎へ帰って大根を引っ張り抜いているほうがよいのです。そのほうが間違いありません。近所の人の悪口を言って、それで 地獄へ堕ちたぐらいなら、しばらくすれば上がってくることはできます。

慎重に 内容を吟味し 出された霊言

ところが、演台に上がって「これが日蓮の言葉だ。イエス・キリストの言葉だ」と言って、もし、それが偽物であった場合は、おそらく、大川隆法が地上でみなさんの前に姿を見せることは二度とないでしょう。もう上がってこられないはずです。幸福の科学が大きくなって、海外などに広まったらますます困るわけです。私は霊体験を通して、さまざまな教祖たちの姿を見て「これはいけない」と思いました。そのため「日蓮という人が間違いないかどうか」を確認するまでに三年、四年と、我慢したのですを彼の性格は、四年たってもいっこうに変わりませんでした。まったく同じ個性です。そして、言っていることは一貫しています。また、言っている内容は、常識人と比べても、おそらく、生きている人で、あれだけのことを言える人はいないでしょう。まずいないです。

悪魔に騙されないためには さまざまな思想を謙虚に学ぶ必要がある。

……普通の地獄霊は、「苦しい、苦しい」と正直に言うので簡単に分かるのです。
ただし、教祖に憑鋳ている「サタン(悪魔)」や「魔王」などと呼ばれる者は、そうとうの、実績を積んでいるので 巧妙です。宗教りろんをずいぶん知っていて、振りかざすのです。「業」のことを言ったり、「転生輪廻」を話してみたり、「人を救え」と言ったりもします。…
例えば、過去に仏教の真言密教の僧侶をしていて地獄に堕ちた人は、真言密教のことはよく知っています。日本の「真言密教の中興の祖」といわれた方も…ある教団のなかに入って、惑わせています。この人は密教理論を非常によく知っているので、普通の知性では見抜けないのです。
 ただ、増上慢にならすに、「仏教」だけでなく、「キリスト教」「神道」「孔孟老荘の思想」、あるいは「道徳」「科学」「哲学」といったものをじっくりと究め、そうした思想のなかに流れる ゛一本の黄金の糸゛というものを確かにつかんだ人から見れば、サタン等が言うことには、とこかで矛盾が出るのです。…………
ところが、密教なら密教 御利益信仰なら御利益信仰、キリスト教ならキリスト教、…
それだけが真実だと思っている人というのは、それ以外にはまったく目が行きません。そのため、まさしく、園信仰に関してよく知識を持っているサタンのような者から指導を受けると コロッと参ってしまうのです。

一本の黄金の糸

が出てくるまで長々と引用してしまいました😅

過去からの多くの思想や、宗教 、科学 道徳、哲学のなかに流れる 真実なるものを探求する

そして、自らの心のうち深くに入っていくうちに 開かれてきた霊的世界の真実を悟られたことから 幸福の科学は始まっていたのです。

イタコ芸等と馬鹿にされるような 浅いものではありません。

真実の光が 初期の頃から多くの人の心をつかんでいきました。

最後までお読みいただきありがとうございました


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