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ep34 榎谷の悲劇③ (不運の連鎖)

 十津川村境、山天辻から山天集落に至る尾根より東にある榎谷。昭和5年4月、当時の郡山中学校(旧制中学)山岳部所属の教員1名、生徒6名が巻き込まれた遭難事故について書き記しました。前回までの投稿ご参照下さい↓

ep23 榎谷の悲劇① (村民の話)
ep26 榎谷の悲劇② (探報)

 石碑があると地元の方より聞き及んでいた為、一度訪れてみようと現地入りするものの、台風などによる風化の影響で道は消えていました。仕方なく河原を上流に歩きましたが、川を渡れず途中で断念しました。暖かくなった折に再び訪れる予定です。

活訓悲話『奥山の犠牲』

 そもそも榎谷という場所に興味を持ったのは、数年前に石碑がある話を伺った事。榎谷にアマゴ釣りに行く人が居て、患者さんの家で飼っている紀州犬が道案内をすると聞いてからです。賢い犬で、榎谷奥からウサギや子鹿を捕まえて持って帰って来たそうです。またある時には三浦峠を歩く人の道案内をして、峠を越えた矢倉まで一緒に歩いたと言う話も残っています。そんな事で榎谷は行ってみたいと思っていました。

 遭難事故については昭和4年と言う相当古い話なので、インターネット上にもほとんど記録が残っていません。しかし、検索している内に、古書『奥山の犠牲』を見つけました。ネット販売で2冊あり、状態が悪い方は3500円、良い方は8000円。安い方を手に入れました。

 生き残った生徒達の証言を元に、その日起こった事が克明に書かれています。また遭難者個々、家族、学校医の残した文等が記録されています。およそ100年前の物ですが、使われている漢字や距離の表現等が現在と少々異なりますが、少し調べて読み返してみると容易に読み解く事が出来ます。

 内容をそのまま記載する訳にはいきませんので、どの様なルートを辿ったのか?どうなって遭難したのか?そして、助かった状況などをなるべく簡潔に書き残そうと思います。

行程1日目
 郡山中学(旧制中学)の生徒と教員を含む7名は当時国鉄和歌山線王子駅発の汽車に乗り、橋本駅で下車。南海電鉄高野線に乗り換え、高野下駅で下車します。

 高野下からは極楽橋を経て、高野参詣道を登り、高野山の女人堂へ出ます。金剛峯寺はこの時改修工事を行なっていたそうです。

 この日の目的地は高野山を経て野迫川村の荒神岳。ここには立里荒神社が鎮座しており、そこにある宿で宿泊する予定でした。現在の中学3年生から高校2年生に相当する若者達は、その殆どが伯母子岳は初めてで、元気に期待大きく歩いたそうです。

行程2日目
 4月と言えども前夜は雪が降り、宿周辺は一面白くなっていました。荒神岳付近は大峰も望め、教師は生徒達に見えている峰々を教えたそうです。きっとこの頃も今と変わらぬ景色だった事でしょう。ただ、1人の生徒は雪の状況から“伯母子岳越えは中止した方が良いのではないか?“という提案もあったそうです。しかし、7人の男達。意気揚々と荒神神社を後に伯母子岳を目指すのでした。

 この日は伯母子岳を征し、次の宿泊地である大塔村の辻堂を目指す予定でした。全行程は記されていませんでしたが、大塔村辻堂の宿で一泊して西熊野街道を経て五條市まで戻る2泊3日の行程だったと想像します。
 しかし、伯母子峠で昼食後、天候が急変した様です。雪ではなく冷たい雨でした。

ここが運命の分かれ道。。。

1、ゆったり下る小辺路を経て五百瀬から川津経由に上野地、辻堂に至る経路。

2、距離が短く尾根沿いに進み、谷瀬に下って上野地、辻堂に行く経路。村境の道です。

この時、教員は後者の村境を進む選択をしました。

 前に進めど視界も悪く、中々前に進めない中、稜線の下から谷の轟音が響いて来ました。丁度下れそうな道があったので、そこで一旦谷へ下る選択をしたそうです。これがきっと山天辻周辺だったと思われます。

 ここら辺りが良く分からないのですが、下りる途中で山小屋があったのですが、急ぐ故に立ち寄らず。1時間程で谷へ着くものの、対岸の山を登ろうとした様です。なんとか辻堂を目指したのでしょう。その頃には日が傾き、雨も止まない中一行は完全に道を見失った様です。

 時間の経過と共に、山中は徐々に暗くなりました。懐中電灯は1人しか持ち合わせておらず、これ以上道は探せません。通り過ぎた山小屋へも戻れず、教員は夜営を決断し天幕を張りました。

 雨はやがて雪に変わり、濡れた状態でその場で夜を明かす事になりました。雨に濡れ火を起こす術も無く、暖を取れないので生徒たちは「寒い寒い」と言い、教員は生徒の名前を呼び励ましたそうです。

 この日の出発時、生徒1人の中止の意見を受け入れておれば遭難する事は無かったと思われます。そして不運の天候急変から伯母子岳より引き返せば野迫川村に辿り着いたでしょう。また、谷に降り着く手前に通った山小屋へ避難すれば助かったかも知れません。

 色々と不運が重なり、選択ミスがその後の結果に大きく影響したといえます。

次に続く。

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