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立ち向かう七人

稽古風景を眺めていて、ふと考えることがあります。当たり前のように「演劇をつくる」と言っていますが、それって具体的にはどういう行為を指すのでしょう。

これはあくまで「ジョナサンズの場合」ですが、フィクションの中で誰かを演じることは「そんな人が現実にも存在しうる」ことの証明にもなると思うのです。上手な演技とは見た人が信じられる演技、(台本に書いてあるのは知ってるけど)その場にいる人間が考えて行動した結果そうなったのだ、と思える演技のことではないでしょうか。

だから、セリフや気持ちの流れに納得がいかないまま稽古を先へ進めても有意義な結果は得られないことに、さいとうを含めた全員が役者としての直感で気づいているのです。台本を読む中で、演技をする中で、生まれた小さな違和感をそのまま放置しないこと。焦りに流されず、いちいち立ち止まって確認を忘れないこと。ジョナサンズの稽古では、それが結果として近道になることも多いのです。

いよいよ台本も完成し、パズルのピースはすべて出揃った状態となりました。この話がどこから始まり、どのように決着を迎えるのか、口頭で説明することは簡単です。とはいえ、説明してしまっては演劇にする必要がなくなるわけで。いかに演劇という形で伝えるか、そのためにピースの配置をあれこれ入れ替えながら、幾度となく試行錯誤を繰り返します。

多くの場合、試行錯誤の口火を切るのはこの二人のどちらかです。ワンシーンの中で瞬間ごとに流れる感情や感覚を拾いあげる「顕微鏡タイプ」のむらさきしゅうと、全体の流れを俯瞰で追いかけながら不自然な箇所にメスを入れていく「望遠鏡タイプ」の冬月ちき。それぞれ異なる視点から作品の奥行きを探ります。

鐵祐貴柚木成美は、ディスカッション中の発言こそ少なめですが、さいとうが言葉で表しきれなかった細かなニュアンスを汲み取って役のリアリティに肉付けし、実際の演技でそれに応えていきます。
この二人がそれぞれ劇中で取る「ある行動」は、とても唐突で理不尽なものです。もちろん、理不尽を描くことは作品の目的でもあるわけですが、そこへ至る道筋が自然に思えないと唐突さだけが際立つ危険性もあります。絶妙なバランス取りが必要となる役に挑む二人、この日も稽古が始まる1時間近く前から集まって読み合わせなどの自主稽古を行なっていました。

何度かの改稿を経て、当初の設定から人物像が大きく変化した山本佳奈。主役ではないけれど物語上のキーパーソンとして、おそらく本作で最も難しい役割を託されている気がします。
演出の言葉をまっすぐに受け止め、その意図するものの体現に向けて挑戦を繰り返す姿が印象的な女優さんです。普段は穏和な雰囲気をまとっていますが、稽古が始まれば表情は一変し、空気がぐっと引き締まります。

初共演の役者どうしが多い座組の中では例外的に、中三川雄介やないさきは過去に別の作品で3回も共演しています。しかし、これまではお互いの役が言葉を交わす機会は少なく、舞台上で濃密な会話をするのは今回が初めてとのこと。二人に与えられた役は現実の環境とは違うものの、その佇まいには「この人ならきっとこうするだろう」という説得力があります。さいとうの思惑でもある「お客さんが今まであまり見たことのない側面から役者を見せたい」を要求される組み合わせだと思います。

厄病神とジレンマ」は以上7人のキャストでお送りします。

ディスカッションに集合した役者陣をカメラでとらえたところ、円卓の騎士みたいな写真が撮れました。頼もしいったらありゃしない。

現場からは以上です。

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ジョナサンズ

「厄病神とジレンマ」

作・演出|さいとう篤史

2016年6月1日[水] - 5日[日]

SPACE 梟門 にて

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