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たとえば、幸せについて

ジョナサンズ「厄病神とジレンマ」の稽古が終わり、いよいよ本日SPACE梟門(キョウモンと読みます)へ劇場入りしました。あとは実際の舞台で最終調整をして、お客様に見届けていただくための準備は完了となります。ここで、ざっと情報のおさらいをしてみましょう。

1.「厄病神とジレンマ」は、役者・さいとう篤史が初めて脚本と演出に挑戦する作品である。

2.出演する俳優はすべて、さいとうが役者として魅力的だと感じたメンバーで構成されている。さいとうは各役者について、これまでの出演作品でなんとなく固定されつつあるイメージを覆し、その役者の新しい一面を見せたいと考えている。

3.俳優どうしが良好な関係を築くことで、舞台上では互いに遠慮なく強い感情のやりとりをし合える状態になっている。また、演技の隙間から役者本人の感情に限りなく近いものが飛び出す瞬間を、さいとうは魅力的と感じている。

4.テーマは「厄病神」と「理不尽」。そして、「人生のターニングポイントは当人だけではなく、目撃した第三者の人生にも影響を与えうる」という考え方のもと、今回の作品はつくられている。

フライヤーに隠されたテーマ

ところで、今公演のフライヤーは皆様のお手元にあるでしょうか?

このフライヤー、直接的なものから比喩的なものまで色々と、今回のお話を構成するモチーフが随所に散りばめられています。もしかしたら、作品を見る前と見た後で印象が変わるものもあるかもしれません。それぞれについて詳しく解説するのは野暮なのでやめておきますが、ひとつだけ、どうしても触れておきたいものがあります。

フライヤーのオモテ面をご覧ください。その背景に描かれているものは「下りのエスカレーター」です。さいとうは、このエスカレーターを不幸の象徴ととらえています。

下りのエスカレーターは、一度乗ってしまうと自分の意志に関わらず下へ下へと運ばれていき、途中で降りることはできません。乗った状態で自分が歩けば、下るスピードはさらに加速します。元の場所へ戻るためには進行方向に逆らい、しかもエスカレーターの倍以上の速さで走らなくてはならない。考えようによっては、とても理不尽な乗り物です。

不幸自慢という言葉があるように、人は自分の不幸を語る具体的な言葉を多く持っています。でも、幸せについてはどうでしょう。稽古の序盤、今回の出演者間で「幸せとは何か?」というテーマでディスカッションした時も、「好きなときに好きな場所へ行ける」などの漠然としたイメージか、あるいは「大金持ちになる」といった非現実的な願望しか出てきませんでした。あくまで想像にすぎませんが、「幸せとは何か?」に対して胸を張って答えが出せる人は少ないような気がします。

なのに、みんな不幸でいるよりは幸せになりたいのです。それが何なのか、よくわかってもいないのに。

幸せは瞬間で、不幸は期間

これは、さいとうが稽古中に何気なくぽろっと口にした言葉です。先ほどの例えと合わせて考えると、この言葉の持つ意味深さに気づかされます。なぜなら不幸はエスカレーターを下りきった底にあるのではなく、今まさにエスカレーターで下っている状態そのものを指すわけですから。物凄いスピードでエスカレーターを逆走して、幸せだった場所まで戻れたとしても、そこで気を抜くとまた少しずつ沈んでいってしまう……「厄病神とジレンマ」は、様々な不幸が呪いのようにつきまとう話であると同時に、その呪いを解くための話でもあります。

いろいろな演劇がある中で「厄病神とジレンマ」は、現実のままならなさや理不尽さを忘れさせてくれるものではありません。でも、現実と同等の理不尽さを突きつけながら、劇場を出たあとも続く現実を受け入れていける作品にしたいと、さいとうは口にしていました。

人生のターニングポイントなどと言ってみても、それはいきなり人生観を180度変えてしまう大きな変化ではなく、今まで手が届かなかった(届かないと思い込んでいた)場所まで、ほんの1センチか2センチ遠くまで手を伸ばせるようになる、そんな小さな変化でしかないのかもしれません。ましてや当人ではなく「それを目撃した」だけの第三者に訪れる変化は、もっと小さいものでしょう。けれども、確かにそれは変化なのです。

現場からは以上です。あとは劇場でお確かめくださいませ。つくりものでしかない演劇を見ていただいたお客様の現実に、なんらかの変化が訪れますように。

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ジョナサンズ

「厄病神とジレンマ」

作・演出|さいとう篤史

2016年6月1日[水] - 5日[日]

SPACE 梟門 にて

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