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本人から役への橋渡し

みなさま初めまして。ジョナサンズ記録係の辻本と申します。
「厄病神とジレンマ」の公演に関連して、内側から創作過程を追っていく記事を不定期更新でお届けしていきます。文字中心でつづる密着ドキュメンタリー番組のようなものとして、これから公演本番の6月までよろしくお願いいたします。

さて、チケット予約も先日始まったばかりですが、話はいきなり2ヶ月前にさかのぼります。本格的な稽古に入る前段階として、クリエイトワークショップというものが行われました。
ちなみに脚本は、この時点ではまだありません。役者の人となりを知ったうえで脚本に活かしていくのが主な目的のようです。

というわけで、2月15日と23日の2回。ほぼ初対面……というか、全くの初対面どうしである今回のキャストたちが集められたのでした。

さいとう篤史「今日はみなさん、ワークショップを通じて仲良くなっていってください。俳優どうしの仲が良ければ作品も良くなるなんてことはありませんし、たとえ仲が悪くても作品は良くしていかなきゃいけないんですが……、今回の作品でぼくが描きたいのは地獄のような修羅場だったり、辛辣な言葉をぶつけ合うシーンだったりします。俳優同士が良い関係を築けていないまま激しい感情を放出すると、作品には不必要な形で消耗をしてしまうと思うんですね。だから、稽古が終わったらすぐ元の状態に戻れるようにして、演劇の中の感情を日常に持ち帰らないようにしてほしいんです。仲が良いからこそ舞台上で本気の喧嘩ができる、そういう関係を早い段階から作っていきたいと思っています。」

演技そのものを見る前にまず、演技ができるための最適なコンディションを把握する……ジョナサンズは今回が旗揚げで、さいとう自身も脚本・演出の経験は初めてですが、これまでの俳優経験に基づいた実直な作り方という印象を受けました。

「事実は小説より奇なり」から創作のヒントを得る

基本的にはなんでもない日常の話を交換し合うだけですが、ここで出されたテーマは「大変だった話」。やはり「人に話したいエピソード」には力が宿るもので、ここでは書けないヘビーな話が続々と飛び出しました。み、みなさん大変な苦労をされている……しかも、本人達がどの程度意識しているのか、順番が後になればなるほどエスカレートしていくエピソードたち……。
そして、内容が重いものであればあるほど話す本人の口調は明るく、あっけらかんとしていました。もしかしたらそれは、まだ笑えるようになっていないうちは話せない(話せるエピソードはある程度自分の中で整理がついている)ということの裏返しなのかもしれません。

聞いていて感じたのは、生きているとそれだけで理不尽なことが次々に起こるよなあ、ということです。「厄病神とジレンマ」は、幸せになりたい人が理不尽な出来事と向き合う話なので、この雑談はとても有意義なものになったんじゃないでしょうか。もちろん、俳優の実体験がそのまま舞台に乗るわけではありません。けれど、さいとうは持論としてこんなことも言っていました、「自分たちが不幸な目に遭っていないのは、ただ単に運がよかっただけ」と。舞台上でフィクションとして登場人物を襲う不幸は、いつか演じている俳優本人の身にも降りかかるかもしれない。それを想像した俳優がどんな反応をするのか、どんなふうにイライラして、どんなふうに絶望して、そしてどんなふうに這い上がろうとするのか……さいとうが演劇のフィルターを通して見せようとしているのは、役と本人が重なり合うその瞬間なのかもしれません。あくまで屈託なく笑いながら話す本人たちと裏腹に、真剣な表情でメモを取るさいとうを見ていると、そう感じます。

結局、この2日間は「お互いに話をする」時間がほとんどでした。みんなで稽古後飲みに行ったり食事に行ったりの「ついで」で話をすることはあっても、同じ座組で純粋にお互いの話「だけ」をする機会って意外と少ないのです。こうして稽古が始まる前から交流を深めることは、今後の創作過程にどんなふうに影響するのでしょう。引き続き追いかけていきたいと思います。

現場からは以上です。


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ジョナサンズ
「厄病神とジレンマ」

作・演出|さいとう篤史

2016年6月1日[水] - 5日[日]
SPACE 梟門 にて

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