滅私奉公の悲劇

『滅私奉公』とは我が家の家訓。それを胸に生きてきたが、ある人、今の妻であるが、彼女との出会いで気づかされ、心のデフレスパイラルから抜け出したという体験について書きたいと思う。

■滅私奉公

この文字を目の前にすると背筋が伸び、いつもは「ですます調」であった語り口も変わってしまう。小生の両親は医師である。そして小生もまた医師である。この『滅私奉公』という言葉を胸に二十数年間生きてきた。これは生い立ちにも関わることであり、どんな少年であったかをみていきたい。

■柳少年:末っ子の宿命

小さな診療所の2代目で不自由ない生活をしてもらった。3人兄弟の末っ子で兄妹や両親などの顔色を伺いながら育った。小さくて力や知恵のない少年に二三歩下がってついていくことは身を守る術であったのだろう。特段に兄妹や両親が厳しかった印象はない。楽天家で気の弱い人間であった。友人も同様なタイプが多かったが、活発なクラスメートと壁をつくることはなく、共に遊ぶこともあった。
気の弱い人間であったが、目立つことは嫌いではなかった。授業では積極的に手を挙げ、成功であろうと失敗であろうと特に気にはしていなかった。
柳少年は楽天的な気質ではあったが、末っ子であり、周りを気にしながらリスク回避に長けた子供であったのだ。

■大学での自我の目覚め

大学生で生活をしていくにあたり、医師としてどう生きるかということを考えていた。ここまで育ててくれた親に感謝していたし、それだけでなくこれまで出会ってきた人や社会を支えてくれた人たちへの感謝があった。自分は恵まれた人間であり、少しでもこの恵みを多くの人たちにつないでいきたいと思っていた。そして人類の平和にノミほどの大きさでもいいので貢献したいと思うようになった。『滅私奉公』この言葉が心の中で大きくなるのを感じた。小生は医師でなければ、教師として教育に関わることもいいと考えていた。高校の時に配られた職業適性の本には医師になっても生物の教師として働く道も残されていることを知り、医師になった。医師として『教育』になにがしか関わり、世界の平和への貢献をしたいと模索するようになった。

■悲劇のデフレスパイラル

医師になった小生は『滅私奉公』という言葉を掲げて働いた。『医師は聖人君子ではない、人間だ』という言葉もあるかもしれないが、小生の考えは「医師は聖人君子にならずとも目標とし患者は医師が聖人君子でないことを知っていることが必要である」であった。己の心を滅し、今、必要とされる『柳』を演じることに一生懸命になった。仕事は順調であった。患者や同僚、上司からの評価は高くなっていったが、小生は常に焦りと恐怖に駆り立てられていた。時折押し寄せる自分の中の闇と闘いながら必死に前に進んだ。働き始めてから3年ほど経った頃から扁桃炎を繰り返すようになった。数か月に一度風邪をひくようになり、しゃべると咳が出るという症状が3か月続いたこともあった。それでも止まることが怖くて、進み続けた。

■妻との出会い

仕事を初めて4年目に今の妻と出会った。彼女は自分とは正反対の人間であった。波乱万丈、容姿端麗、恋愛は百選錬磨の未婚シングルマザーであった。平々凡々で悩みのないはずの小生より前向きで生きていた。心理学が好きでよく勉強していた。最初にあった1時間で「この人に人生を捧げよう」と思い、2回目の時に告白とプロポーズをした。もちろん、男気があるように書いてはあるが、言葉はグダグダで迂遠的であるが、妻は承諾してくれた。

■デフレからの脱却

共に過ごす中で彼女は小生の中にある闇を吐き出させ、それを慈しんでくれた。その『闇』とは本来の『自我』であった。4年間”滅し”続けていた自分を檻から出してくれた。気が弱くて、泣き虫で、わがままで、短気で、嫉妬深くて、おっちょこちょいで、器の小さい『自分』を愛してくれた。
焦りや恐怖、体調不良は徐々に消えていった。

もちろん今でも教育を通して平和に貢献したいという気持ちは変わらない。『奉公』してもいいが、『滅私』はしてはいけない。特に日本人は自分の抑制が美徳とされてきているが、”制御”は上手にすることが大事だが、抑制や無視することはできないようになっている。あなたの隣にいる人の『ダメな自分』を愛してあげてほしい。聖人君子でなくても平和はつくれると信じている。


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柳 宝生

辻堂で生まれ育ち親の敷いたレールに乗って波風のない人生を29歳まで歩いてきました。人と違うことは塩顔男子とは対局のドロソース顔。
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