平々凡々

こんにちは、柳です。

平々凡々な人生を歩んできました。

でも、いっぱい悩んで生きてきました。

誰かの力になれたら嬉しいです。

・サーファーの歩く街、辻堂

神奈川県の湘南海岸の街の一つで海から徒歩5分くらいのところで育ちました。今ではモールなどができて駅の近くは少し開発が進みましたが、家の周りでは相変わらず、朝や休日はサーフボードをもった人たちが闊歩しています。サーフィンはほとんどやったことがありませんが、地引網や学校の課外授業での砂工作、スイカわりなどをやったことは覚えています。夜になると波の音が降ってきます。時々、暴走族の音も合わさってきます。塩害で自転車のメッキのない部分はすぐに錆びます。そんな故郷でした。

・自然観察、昆虫採集

小学校高学年まではひたすら外で遊びまわっていました。そこまで自然が多いわけではありませんでしたが、週末には自然観察のグループで近くの谷戸などに行き、植物や虫、鳥などの観察をおこなっていました。こどもですから、とにかく触る、捕まえる、舐める。気が付けば昆虫標本ができていました。特にトカゲの仲間のカナヘビを捕まえるのは得意でした。今思えば、残酷な感じもしますが、生き物のことはとても好きでした。

・部活、スポーツに明け暮れる

小学校の高学年になるとスポーツを始めました。少年野球や学校でのクラブ活動でバスケ部に入り、兄についてテニスのスクールに通ったりしました。そのあとは中高はバスケ部、大学はボート部に入り、学生時代の多くの時間を部活に費やしてきました。バスケ部の時は身長も大きくないですし、頭が切れるわけでもなかったですが、とりあえず真面目に練習はするので技術はある程度つきましたが、大して勝つこともできませんでした。昔のことなので顧問の先生にはめちゃくちゃ怒られたりして、親が心配していましたが、仲間と楽しく過ごしていました。

・大学でのボート部

大学では運動部はやらずに、小学校前から高校までピアノを習っていたので、オーケストラ部に入ろうと思ったりもしましたが、運動部の熱が冷めておらず、ボート部に入りました。医学部のボート部の中では強豪校であり、これまでの経験から体格や才能にそれほど恵まれてなくても戦えるスポーツにしようと思い、ボートを選択しました。そこでは勝利の味というものを知ることができました。部長も経験し、組織づくりやモチベーション、人間関係の力を学びました。

・医師として社会に出る

医学部を卒業し、世間知らずが医師として社会に出ました。働くことは特に辛くはありませんでしたが、医療を通して他人の人生に影響することが、最初は怖くて怖くて仕方ありませんでした。医学部で習ったことはその土台でしかなく、必死に勉強しました。勉強自体は楽しかったですが、患者さんの前に立つ恐怖が少なくなるのに3年はかかりました。今でも少し怖さはありますが、それ以上に楽しさを持てています。

・恋愛下手の奇跡の結婚

とにかく恋愛というものが下手でした。というか下手です。人生最初の告白も友達に送ったと思った相談メールを告白すべき当の本人に送ってしまうという残念なもので。。そのあともどうにも恋愛というもののやり方がわからず、失敗続きでした。近しい友達は恋愛が上手な人が多く、気が付けば周りはどんどん結婚していました。20代後半で一生独身になる覚悟を半分決めつつも最後のあがきで登録したマッチングアプリで今の奥さんと出会い、結婚することができました。

実に平々凡々ですね。「何を悩むんだ」って感じですが、すごく悩んでうつっぽくなった時期もありましたし、毎日死にたいと思っていた時期もあります。人生の幸せには「何が起きたか」ではなく「何を感じたか」が大事なんですね。令和は『真の幸せ』とは何かを考えそれを実現していく時代になると思っています。そのヒントになればいいなと思います。

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柳 宝生

辻堂で生まれ育ち親の敷いたレールに乗って波風のない人生を29歳まで歩いてきました。人と違うことは塩顔男子とは対局のドロソース顔。
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