「異常論文」のかんそうぶん

難しいことを言えない。
作家さんのお名前はすべて敬称略でお届けします。
感想文なのでちょっとずつ中身の話もしている。ようするにバレ有ということであるので自衛してください。ちょっと中身かいつまんで買うかどうかしたい人とか読んだ人が読むといい(役に立つかは別として)

:決定論的自由意志~
 じつは私円城塔の文章あんまり得意じゃなかったんですけど(バナナ剥き等。読んではいる。テンポ的な意味で、受け止め方とか向き合い方がたぶん素直な状態の私と異なるから読むのがちょっとたいへん)、「異常論文」っていう形になるだけでこんなに読みやすくてワクワクする。
 たとえば「5分後の景色」を観測したAさんとBさん、各々が別の5分間を経てその景色にたどり着く道程を組み、それが他方の観測結果と矛盾することになった場合、みたく言葉だけでやろうとすると無限の苦労が発生しそうな(小並感)内容がスッ!!!て入ってくる。じっさい、私は本文中の数式をフィーリングでしか捉えられておらず、数式本来の意味をくみ取っているかとか、数式的な言語表現の妙みたいなものは吸えていないのだと思うが、それでもめちゃくちゃ面白い。
 予測vs想像。「攻撃手段として」どちらが優れているか、の話もちらっと出てくるのでィッヒッヒってなりました。たのしい。一発目にこれを浴びせてくれる樋口恭介へのLOVE(編って書いてあるから順番考えたのもそうと勝手に思っている。最後の方まで読んだらちがうかもしれん。まだ途中や)


:~次元拡張レウム語~
 青島もうじき、て割と残りそうな名前なのに知らんなと思ったら商業デビューらしく。異常論文公募にこの作品をお出しされて掲載に至ったらしく。
 これは私の主観と性癖なんですけど、この方たぶん「始発待ち」の概念を拾って書くのめちゃくちゃうまいと思うんですよ。あと偏見なんですけど百合SF好きそう(というか、ジャンルとしての百合SFに作品を出してる人の作品が好きそう?)。SFの中に「エモ」をお出しするのが上手な方というか。
 本作に関しても私センサーは理屈:エモが4:6くらいの感覚。塩梅がすーごい。この前に円城塔だから余計にエモが際立つのかもしれない。これは樋口恭介からの受け取れというメッセージなのか、何周か読むと理屈割合が上がってくるようなスルメ罠なのか。


:インディアン・ロープ・トリックと~
 陸秋槎。翻訳とある。頭が悪い割に翻訳の原文を読みたくなってしまう病気がここにきて一瞬の大暴れを見せる。
 「短い」。前二つ、後一つと比較して(まだそこまでしか読んでないので)すごくさっくりと話が始まり終わるが、参考文献として引っ張り出されるものの量が圧倒的に多い。実在するであろうもの、なかろうもの。
 私は寡聞ヒューマンなので、これをさっくり一周読んで真っ先に「この文量なら気になったとこ全部調べれるな」と思い、そういう楽しみ方をする意味ではこれより文量が多ければ「調べたいけど途中で折れるやろな」と思っただろうし、少なければ初見で調べて終わってしまった可能性があるので、もしかするとその辺のウエイトコントロールがめちゃくちゃうまいのかもしれない & すごく咀嚼しやすい文章。


:掃除と掃除用具の人類史
 松崎有理。寡聞ヒューマンなので存じ上げないんですがもしかしてこのひとめちゃくちゃ有名だったり人気があったりしませんか。理屈で遊び慣れてる人の感じがすごい。
 「蛍の光、窓の雪、ホーキング反射」なんて誰が思いつくよぉ~~~~~~~~~~みたいな すごい気持ち悪いオタクのニヤケ面を晒してしまい、その場が公共機関で、今がコロナとか関係ないマスクレス生活だったら私は人権を失っていた。こんなにご愉快な論文があろうか。私は医療関連の論文しか読んだことがない。大学にも行ったことがない。もしかしたら世の中にはあるのかもしれないが、私の世界には無かった。初対面である。
 過去未来、事実の隙間に掃除がねじ込まれている。しかし無理はない。ミチミチに見える本棚の隙間には明らかに入りきらないはずのふわふわのクイックルワイパーが吸い込まれていくのである。伝わってくれ。あれもこれも掃除のせい。ダイソンとは実は。そんな感じで最終的に判明するのは「本棚とクイックルワイパー、思てたんと違う」タイプの事実であった。私の語彙がダイソンに吸われた。伝わる気がしない。
 正直今までので一番理屈慣れしてない人が楽しめるタイプの、間口が広い作品だったと思う。


:「異常論文」に感じるよろこび
 これはもう感想と言っていいのかわからない。
 異常論文を読んでいるとうれしくなる。
 読み終わるのがもったいない。
 たぶん、「論文」という形式だからだと思う。

 今まで私の中で、
 「小説」には感想文がつきものだった。
 「論文」は正しさを証明するためのものだった。
 「異常論文」は証明する正しさこそ架空のものだ。たぶんそれがうれしいのだと思う。

 異常論文は論文だが、小説から受け取るような何か情緒的な部分を感じたってかまわない。その論文が「異常論文」としてではなく発表された場所がもしどこかにあるなら、その場所の言語体系や文法が情緒的に発達していたのかもしれない。
 異常論文は論文だが、何を言っているのかさっぱり分からなくとも構わない。異世界で発表されたものを翻訳したが、あまりに訳しがたい表現が多かったのかもしれない。片割れのオレンジがあちこちに転がっているのかもしれない。
 異常論文は論文なので、そこに正しい理屈があっていい。そこに書かれた理屈がとうてい正しいと思えなくとも、それが「正しくていい」。

 たぶん、このあたりがすごくうれしいのだと思う。
 異常論文は優しい。読者のみんなたちも読んでみてほしい。


あまぞんのりんく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?