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白紙が新たな扉かもしれない

私は文章を書くのが苦手だと思っている。

周りからみると実際そうじゃないのかもしれないけど、自分自身では思い込み過ぎて苦手意識が今でも中々とれない。


そんな私は、5月から通っている講座「#言葉の企画」で、

あなたの「素敵」な人について、のエッセイを書く (noteにアップする)

という課題があった。その課題を聞いたときから少し憂鬱な気持ちになっていた。

「まずエッセイってなんだろうか?」

「文章どんな風に書けばいいのかな」

「どうやって自分の中で整理して書きあげていこうか」

色んなことを考え、書きたくないなと思ってしまうときもあるほど憂鬱だったが、とりあえずnoteを開いて書いてみることにした。そして何に対して書くのか、大枠を決めた。でもそれから数日間全然書けなくて、進まなくて、noteを開いては閉じての繰り返しをしていた。そんなこんなで、どう書こうか悩んでいるうちに課題の〆切が近づいてきた。

「こんなに追われ過ぎて書いても適当に文字埋めて終わりそうやな...」

と思ってしまい、〆切まで時間はたっぷりあったのに、その時間管理が出来ていないのは自分のせいだなと思いつつ、阿部さんに期限を延ばしてほしいとお願いをした。

そして、気持ちを新たに書き始め、仕上げて課題を提出した。

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8月10日、みなとみらいで4回目の「言葉の企画」があった。

その中で一番印象に残った言葉。

白紙は無。
無限大。
新しい扉、出会いをもたらしてくれるかもしれない。

この言葉を聞いて腑に落ちた部分があった。

白紙と言われて真っ先に思い浮かんだのはノートだった。

私は感情がごちゃごちゃになっているとき、物事を整理したいとき、仕事でいうと全体図を見て進めたいときは手書きで書く派なのですが、白紙という無限大の何も縛りの無い、正解のないところに自分が好きなように書きたいように書くことで私は自分の気持ちの整理ができたり、仕事でいえば方向性を見える化できて進みやすくイメージしやすくなっていたことに気付いた。

これは自分に対する内側の話。

もうひとつは、外側に向けての話。

白紙を私はノートと捉えていたけど、今私が書いているこのnoteやTwitter、instagram、Facebookも白紙といえる。表現は自分次第であって、何を誰にどう伝えたいのかを自分で決めて発信することができる。

私の経験上で、その白紙を埋めて発信することで思ってもみない人から連絡がきたり、友達と会うきっかけができたり、話のネタのひとつになることもあったなと思い返した。

これって、新しい扉や出会いをもたらしてくれるのかもしれない。
こんな風にいうことは表現としては少し大げさだけどそう思った。

今思い返すと、私は言葉の企画に通い始めるまではTwitterとinstagramに鍵をかけていた。

なぜ鍵をかけていたのかというと、知り合いだけ見ればいいしそんな外に向けて発信しているものでもないし、誰も興味もないだろうしと思っていたところからだった。これは自分自身で勝手に制限をかけて守りにはいっていたのかもしれないなと思う。

言葉の企画に通い始めてから鍵は外した。

これは私が新しい扉や出会いを期待しているのかもしれない。
いや、確実に期待してる。
白紙の無限大の力、信じてみよーっと。


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