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単身スペインに渡ってきた当時は本当に辛い日々だった

こうしてスペインで暮らし始めて現在2年目。振り返ってみると、スペイン生活のスタート当初は本当に辛いものだった。

スペイン語ゼロ、英語もゼロ、頼れる知り合いもいない。全てにおいて1人ぼっちで、誰かとのコミュニケーションをとることさえもままならなかった。

最初の3ヶ月はホームステイをすることにしていたので、唯一の救いは自分の部屋があることと、夕食が用意されること、それくらいだったんじゃないか。(最終的に2ヶ月でホームステイ先を出ることになったが)

心の支えとなっていたのは、ただただ「なんとかやってやる」「負けたくない」という野心。自分自身を奮い立たせて、次々とやってくる壁を打ち破っていくしかなかった。

すべてが辛かったスペイン生活の初日

到着した次の日から始まる語学学校。学校に到着できるかどうかさえ不安だった。前日の夜に場所を確認し、家からのルートを確認。公共交通機関の使い方に自信がないため、少し遠かったけど歩いていくことにした。途中で道に迷っても外ではインターネットが使えない状態なので、ルートを細かくすべてスクショしておいた。

少し余裕を持って、朝7時に家を出た。そのときはまだまだ外が暗く、人気のない道を写真だけ頼りにひたすら歩いた。夜明けがこんなにもじぶんを安心させてくれるなんて、今まで思いもしなかった。

スペイン語はおろか、英語さえも話せないわたしは語学学校でみんなと話す術がない。少しでも早く上達するために、一生懸命スペイン語を使おうと努力した。それでも休憩時間に共通の英語で楽しく話す学生たちを見ていると、羨ましくて仕方なかった。わたしが会話に入ろうものなら、みんなにつたないスペイン語を強いることになってしまうから、申し訳なくて仕方なかった。

そのときたまたま日本人と出逢ったのだけど、スペイン語レベルはA1という最低レベルの状況にもかかわらず、日本語を使わずなんとかスペイン語で話しかけた。せっかくスペインに来ているんだから日本語は使いたくないという思いもあったし、日本語に甘えたくないという思いもあった。あのときの自分のガッツには、褒めてあげたいきぶんだ。

それに相手の日本人も、わたしと同じようにスペイン語の上達のために来ているはずだから、できることなら日本人と出逢いたくなかっただろうと思った。そう考えると外国人のように振る舞うことが、相手のためかなと思ったのだ。


英語ができるに越したことはなかった

やはり英語が使える人たちのスペイン語の伸びは速い。吸収力の早い彼らを見て、羨ましさと悔しさが募るばかりだった。

「英語を話せない方がスペイン語に集中できていいと思う」なんてことも言われたけど、全くそうは思えなかった。英語を話せることで助けられることは山ほどあると思う。いくつかの単語は英語と似通っているから、単語がわからなかったら英語をヒントにスペイン語っぽく言ってしまえば正解していることもある。

先生にわからない単語の意味を質問して、「英語と同じだよ」「英語だと〇〇だ」なんて言われるたびに悲しかった。先生なりに理解しやすくする優しさだったんだろうけど、わたしにとってできないものを毎回突きつけられているようで苦しかった。

でもこればっかりはしょうがない。英語の学習を飛び越えてスペイン語にチャレンジするという自分が選んだ道。この悔しさをバネにして「少しでも早くスペイン語上達してやる!」と躍起になるしかなかった。


苦しい生活から抜け出すには勉強するしかなかった

学校から家に帰ってからはひたすら授業の復習をした。今の苦しい生活から解放されるためにはスペイン語の勉強をひたすら重ねるしかなかった。

外に出かけて友だちを作って、遊びに行くなんてことをしたらよかったのかもしれない。でもこのときのわたしにとっては、つたないスペイン語を使って相手の困った顔を見るのが辛かった。申し訳なくて胸が張り裂けそうな思いだった。それよりも先にもっと基本の単語を、日常会話で必要な単語をひたすら覚えこむことが必要だと思ったのだ。

学校の授業も相変わらず先生の言っていることが聞き取れない日々が続いた。最低でも最初の3ヶ月はよくわからなかった。グループレッスンで会話に入れないことなんて当たり前。「わからないことがあったら気にせず質問していいんだよ」なんて言ってもらったりしたけど、わたしにとってはほとんど全てがわからなかったので、言われた通りその都度質問していたらキリがない。まして質問してもちゃんと理解できるかさえわからない。

みんなで会話していて、みんなが笑っていて、それについていけず「今の会話どういうこと?」と聞いて説明してもらっても理解できなくて。諦めてわかったふりをすることなんてたくさんあった。みんなに合わせて愛想笑いをすることもたくさんあった。

たまに日本の友だちと電話で話す時間が至福のひとときだった。気心知れた相手と好きなように話せる。ときに泣いてしまうこともあって、ホストマザーから心配されることもあったくらいだ。時差の関係で日本時間が深夜になり、話し相手がいなくなる17時以降の時間は悲しかった。もし何かあっても頼れる人はいない、この時間が不安で仕方なかった。


本当にスペイン語が身につくんだろうかという葛藤

当時はじぶんが周りと同じようにスペイン語を話せるようになるのか、いまいちイメージが湧かなかった。スペイン語のニュースや映画を見て、理解できるようになるなんて考えられなかった。「本当にできるようになるんだろうか?」と思いながら、ゴールの見えない道をひたすら走り続けるしかなかった。

上達していく周りの人たちを横目に、じぶんのスペイン語習得の遅さに焦るばかり。「1人ひとり語学力のスピードは個人差があるから、周りは気にするな」「過去の自分と比べて少しでも良くなっていたら、それで十分だ」なんていう言葉を何度も言い聞かせてた。

東進ハイスクールのCMで耳にした、「英語なんて言葉なんだ、こんなものやれば誰にだってできるようになる」という言葉に何度勇気づけられたかわからない。そうだ、言葉だ。小さい子だってできるようになるんだ。わたしにできないはずがない。そうやってじぶんを励ます日々だった。

つたないスペイン語でも「良くしゃべれてるよ!」なんて言ってくれるスペイン人の言葉は心の栄養だった。認めてくれて褒めてくれる彼らの存在がなかったら、途中で諦めてしまっていたかもしれない。


スペイン語を勉強してきて今思うこと

今もまだスペイン語との戦いは終わっていない。正直語学なんて、いくら勉強しても終わりはないと思っている。わからない単語はいくらでも出てくるし、表現に困ることだっていくらでもある。少しでもネイティブの人たちに近づけるよう、毎日が勉強だ。

でもあの苦しかったときに比べて、こうして何とかやってこれた自分を褒めてあげたいと思う。外に出ても苦労することはほとんどなくなった。気軽に友だちと遊べるようになった。仕事相手に自分の意見をぶつけられるようになった。スペイン語の映画を字幕なしでも理解できるようになった。

あのときつまずいた語学という部分の一歩先に進んで、また違うステージに上がり、日本を離れた地で違う何かと戦えるようになった。これだけでも十分な成長だ。

あの苦しかったときの経験はわたしにチカラをくれる。勇気や自信も与えてくれる。だからこそ、あの経験は忘れないようにしよう。

今もきっとどこかで、わたしと同じように苦しい思いをしている人がいるはずだ。そんな人たちの想いに寄り添えるよう、わたしも当時のじぶんは忘れないようにしたい。どこかで救えることができたら、自分が頑張ってきた意味みたいなものを実感できるかもしれない。

次に取り組むのは英語。みんなからはもう3周ほど遅れをとっていると思う。それでも何かを始めるのに遅いことはない。未来からすると一番早いのは今なんだ。またあのときの苦労を味わうであろうことは覚悟している、があのときの苦労を乗り越えて得られたスペイン語が何かの助けになってくれるかもしれない。また新しいじぶんと出逢えるのが楽しみだ。

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ちなみにこちらの記事にスペイン語の勉強法をまとめています。

わたしがスペイン生活で辛い経験を経たうえで、日本にいる間にどのように勉強していたら役立っていたか、という視点で。


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