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「らしさ」っていうのは幻想。多様じゃないってこと。

今日銀座をぶらぶら。そんな時入ったMUJI銀座。コンフォートレスな服がほしくて、何着も試着していたそんなとき。心の友からLINEがきた。

「なんか最近、男性目線とか、女性目線とか、ちょっとした性別発言についてすごく敏感な自分がいて。」

っていう内容で。私が先日のイベントで感じた感想を、率直にグループ内の公の場で(女性の視点から)発言したことについて気にしていたようだった。

私の立場としては、女性が一人しかいない空間で、どう見られるかを少なくとも気にしていて、まぁフラットとはいえどきちんとしないとなという意識もなくはない。会社でも同じような環境に身をおいていて、つまり女性であることで有利だということも少なからずわかっているのである。

どうあがいても男女の差はあるし、私もその差はわかっているしみにしみている。たとえば。

・女性のほうが結婚、出産、仕事のリスクテイクの慎重さが必要。それがリスクになっている社会もどうかと思うが。

・男性は離婚してもハクがついている感。子供だって女性が親権持つ場合が多い。

なーんていろんなことを頭で理解して動いているのが女性なんだと思っている。役割を女性としての立場でこなしているだろうか?っていうことが前提となっていて、もちろん人間として、も大事だけど、振る舞いは性差の「らしさ」が大きいのではないかとも思う。男性だったら、積極性とか発言力や、行動力。女性だったら優しさとかおしとやかさや気遣いなど。

積極性や発言力がある女性になりたい、そしてさらに優しさと気遣いもできる人間でありたい。なーんてオガワと話していたらいろいろ落とし込めた。感謝。

そう、彼のいうとおり「らしさ」は決め付けなんではないかなと。あなたらしくない、って私の何を知ってるの?と思うひねくれたやつです。私。

多様な世界に生きていく私たち。コミュニティの上位概念にはやはり、コミュニケーションがあると彼は言った。私も多様な世界に身をおこう。それこそ積極的に入っていこうと決めた。多様な世界に身をおくからこそ、多様を受け入れられるようになる。泥臭く、コミュニケーションしていく。決めた。振り切っていこう。

サボらず、相手と対峙し、真剣さと優しさと、いろんなものを磨いていこう。それがこれからの時代に必ず必要である感覚なんだ。今はその過渡期。私はわたしらしくなくてもいい。決め付けなくていい。

そんな話ができる心友に感謝なのだ。あったかいなー。

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