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復活節第4主日ミサ「シェガレ神父の説教」

A復活第4主日 囲いと門 
渋川教会 2023

 今有名な善き牧者の喩えを聞きました。羊飼いが先頭に立って羊はその声を聞き分けているとうイメージは美しい。朝は羊の群れが囲いの門を出て羊飼いに従って牧草に導かれ、夕方は再び門を潜って囲いに戻り、野獣から守られ、安心して夜を過ごせます。この喩えは囲いと門を重視しています。実は私たちも毎朝、生活上の囲いである自分の家の門を通り、職場を始め様々な門を潜って出掛けていき、夜はまた門を通って家に戻り生きています。こうした出入りの繰り返しによって、私たちはさまざまな交流の体験を積み、豊な人生を全うできます。しかし自分の部屋に閉じこもり、門に鍵がかかったままならば、囲いは閉鎖的な場となり、自分の世界が小さくなります。門を通り、外に出かけるのは大切です。
 私たちは家の門だけではなく、さっき言ったように会社の門、学校の門、教会の門、様々な門を潜って生きています。門は内と外を区切るものと同時に、内と外をつなげる重要な装置です。ところが現代社会の多くの門は通る条件が厳しく、狭き門となっています。入学とか就職の門など、若者の多くは門を叩いてもなかなか入れてもらえません。結局門が通れない人は落ちこぼれとなり、社会から外れます。また管理が行き過ぎるために門は排他的になり、場合によって人の命を奪ってしまうことがあります。数年前神戸にある学校の門における事件を思い出します。時間通りに学校の門を閉めたところ一人の高校生が門に挟まれ、死にました。過剰な管理がある所に門は抑圧、差別、排除の道具となりうるものです。
 イエスが語っている囲いと門は違います。囲いは羊にとって安心と安全の場となっています。強盗が入らないように柵と門が作られて無事です。イエスのいう強盗は、自分たちの利益だけを考え、弱い人を虐げる律法学者や祭司長のことだったが、現代の強盗は今話題となっている権限と権威を悪用をし、虐待を行う宗教者や教育者だと言えます。彼らと対象的に善き牧者であるイエスは権力ではなく、信頼関係を重視し、一人一人の名前を覚え、豊な牧場に導いてくれます。群れの中心は組織のルールではなく、何かの原理や主義でもなく、よき牧者の声です。この声は、羊たちを安心させる声です。この声に聞き従う羊が囲いと牧場の往復を無事に繰り返します。
 イエスの頭に、羊の囲いはこれから生まれる教会のイメージだったと思います。教会は皆が神様に守られて、安心でき、いのちのパンによって養われています。そして教会の一人一人は善き牧者に知られると同時に彼を知っていて、正しい方向を歩けます。 
 最後にイエスは「囲いの門は私だ」と言いきっています。この門を通るのは条件がなく、誰も排除されることもなく、牧草に導かれています。牧草は豊かな自然環境と神の心に叶う平和のイメージにつきます。残念ながら今の世界はものがあふれているが、心を満たす真の豊かさが感じられない人が多いです。豊かな牧草は神様の愛が皆に感じられ、皆がその愛を知り、互いに受け入れ合う社会です。そこに平和があり、喜びがあり、いのちがあります。どうかよき牧者の声に聞き従う私たちは牧草の豊かさを信じ、豊かさに至る福音の道を伝え、皆がのびのびして、豊かな家庭や職場や町を作っていけるように願いたいです。そして教会共同体の門は、いつも開かれて、多くの人が出入りでき、一つの群れとなり、豊かな牧草を楽しめることができますように祈りたいと思います。

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